2009.07.04

レイバン

Rayban_2  Reyban2_2

昔からレイバンが好きだった。
それだから帆船日本丸でホノルル港に着いた時、なにはさておきレイバンのサングラスを求めて歩き回った。当年19歳、フラダンスなどはどうでもよかったのである(笑)
ちょうどマッカーサーが愛用したタイプのティアドロップ、汗止めバーにケーブルテンプルのものがあったので、迷わずそれを購入した。レイバンといえばこれしかないのだ(笑)
高価だった。めちゃくちゃ高かった。それでも航海士というのは眼を労らなければならないから、一生ものとして買い求めたのである。眼の悪い航海士は要らない。つまり職業柄眼を大切にする者は、この手のもに関しては金にいとめをつけず高価なものを必須とするのである。親からの仕送りがいっぺんに吹っ飛んでいった(泣)
それ以来レイバンは3本、5本と増えていったが、現在のレイバンは上の画像にあるようなキアヌ・リーブスタイプが主流である。したがって、ただいまはキアヌ・リーブスを愛用しているのである。
ところがである。キアヌ・リーブスがいけなくなった。
颯爽とキアヌをかけて街を徘徊していて気がついたことは、遠くは見えても近くが見えないということである。厳密には本は読めない、携帯メールはできない、駅の時刻表が見えない、レストランのメニューが見えない等々なのである。マッカーサーがどうであったかわからないけど、これには閉口した。我が視力がキアヌに順応しないのである(泣)
「このレイバンに遠近は入れられますか?」
こんなに安価な予算で眼鏡ができますというお店で訊くことはただのこの一点、これである。帰ってくる返事といえば、
「残念ながら・・・」
「うむ、・・・」
なのである。

眼鏡といえばジョン・レノンの丸形のものも好きだ。
これをレイバンのサングラスにできないものか、思いは千々に乱れなのである(笑)
通勤途上にあるお店で冷やかしに訊いてみる。
「ジョン・レノン風のフレームはある?」
「これなどはいかがでしょうか?」
「うむ、なかなかいいね」
「ありがとうございます」
「これにね、レイバンカラーを入れたいんだ」
「レイバンでございますか?」
「うん。それと遠近にしたいんだ」
「遠近・・・」
「そう、遠近」
「・・・」
「ジョン・レノンにレイバンカラーで、そして遠近両用なんだけど」
「ええ??、・・・」

善人を悩ましてはいけない。聖書に曰くである(笑)
造っていただくのは、やはりキアヌになってしまったのである。
「マトリックス」ではないけど、大阪の地下鉄でキアヌをみつけたら、それはワタクシでございます(笑)
休日の午後、チリワインをいただきながら。
VAIOのロゴがイカしてる(笑)

追記
惜しくも亡くなられたマイケル・ジャクソン、あれはどうみてもレイバンじゃないね、多分。なんというか、デカすぎる。ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

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2009.06.07

図書館

P1000127

僕は大阪市立中央図書館にいた。
ちょうど休暇だったこともあって、久しぶりに大阪に出てきたのだが、不意に思い立ったように大阪市立中央図書館に足が向いたのだ。
『いままでのところ、あなたはなまくらな人です。世の9割の人は、そういう人ですが。』といいきった先生のことが気になっていた。先生の名は車谷長吉という。48歳になり49歳の女とワケありで結婚した人である。この先生の書いた本が読みたい、大阪市立中央図書館に足が向いた理由があるとするならただそれだけである。

館内は思いのほか静かだった。最近の図書館は就職難民や行き場を失った高齢者達の避難所みたいなところがあると聞いていたから、図書館にはない騒々しい殺気だった気配があるのではないかと思っていたが、この静寂で秩序あるたたずまいに僕の期待は裏切られた。それでも館内にいる大抵の人はそれらしき人だった。
丸い机を陣取り新聞を開いている老人がいる。
本棚の横にある椅子に座り週刊誌を読みふける青年がいる。
テーブルに顔を伏せ、眠りこけている日雇い労務者風の男がいる。
そのどれもが大阪市立中央図書館には相応しくない人種であるように思われた。馬鹿にしているのではない。どう見てもそう思われるのだ。
「金輪際相応しくない」
僕は一人つぶやき、目的もなく館内を歩いた。
金輪際。そうなのだ、目的があるとするならこの金輪際なのだ。
車谷先生の書かれた「金輪際」を探しにここまでやってきたのだ。
わりと広い通路になっている本棚と本棚の間を歩いていると、そのところどころにパソコンのような端末がある。その端末が置かれている奥にはパーテーションされたいくつものブースのようなものがあり、そこではやはり仕事にあぶれたような若者や青年がDVDを視聴していたりする。至れり尽くせり。車谷先生がごらんになったらどういうのか。やはり世の9割の人はなまくらであるというのだろうか。

僕は空いてる端末の前に立った。
端末はこの図書館の蔵書の検索ができるようになっていた。
「著者名で探す」に人差し指をあてると画面が変わり、アルファベットの文字が並んだ。車谷先生の名を打とうとして躊躇い、そのかわりに「ムラカミハルキ」と文字を並べてみた。「検索」に指を持っていくと画面は一瞬にして僕の指示に従い、村上春樹の本のタイトルが整然と並んで現れた。「1Q84」が現れたところで僕は画面の「予約」に指を触れてみる。一連の操作は驚くくらい自然なリズムを伴って流れる。
659という数字が現れた。僕の前に659人の人が同じようにこの端末を操作し、そして「1Q84」を予約して去っていった。画面はそれを伝えているのだ。660の数字を得るのも面白いが、660の人となった時、果たしてどれくらいの時間を要するのか。それが不安で僕は画面を元に戻したのである。それよりも僕はこの図書館の図書館カードを持っていない。すなわち予約などもともと出来ない身なのである。
元の画面に戻って、今度は「クルマタニ」と入力して検索してみると車谷長吉先生の著書が現れた。その画面をくくって行くと、3ページ目くらいで「金輪際」が出てきた。まるで出てきたに相応しく、予期せずに不意を襲って現れたのである。さすがに車谷先生なのである。
画面を見ると、日本の小説の棚の「Fクルマ」にあると記され、予約はと見ると、驚いたことに「無し」であった。車谷先生など未知な作家で、「金輪際」などは金輪際知らんわ。端末画面は冷淡にもそう言っているのだ。
Fクルマの棚を探して僕は歩いた。果たして「金輪際」は日本の小説の文庫本のコーナーにあった。車谷先生の本はその他にもあったが、そのどれもが傷み、薄汚れていた。「金輪際」の表紙は手垢で鈍い光を放ち、意外と多くの読者が回し読みした痕跡がうかがい知れた。図書館カードがないこともさることながら、僕はこの手の手垢で鈍い光を放つ本を読むには勇気が必要だなと思った。
結局、僕は図書館を出て電車で西宮まで行き、そこにあるブックオフで「金輪際」を買った。ブックオフのものは図書館のものとは違い、表紙もしっかりしていてなんの躊躇いもなかった。この本とてどのように回し読みされたのかを知れば躊躇したものを。現金なものである。

P1000124

「金輪際」は苦しい小説である。
『人としてこの世に生まれたことは、恐ろしいことである。人はこの現世にある限り、はてしなく「業」を重ね、「救い」のない世界を生きて行くのである。いや、「業」によって発生する「因果応報」の果ては、この世にはとどまらず、あの世においても未来永劫、はてしなく続いて行くのである。それが、人がこの世に生まれたということであった。』
(文春文庫『金輪際』より)
収集されている7篇すべてがこの世は苦の世界であると車谷先生がおっしゃったように、全篇これ「苦の世界」である。どこまで行っても苦がつき纏い、苦に縛られ、苦に身をよじり、苦に呻き、苦に突き刺される容易ならざる私小説である。
世の善良人は読んではいけない。僕が車谷先生だったら帯にそう記すだろう。救われることなど何ひとつない。ここまで苦しい小説は初めてである。ただ、世の9割はなまくらな人だから、己が如何になまくらであるかを知りたいなら図書館へ行き、手垢で鈍く光る表紙の「金輪際」を求めるのもいいだろう。
多分、僕は金輪際手にしないと思うけど・・・。合掌。

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2009.05.30

金輪際

鷺沢由比子はそっと携帯電話のオフボタンを押した。
周囲が急に静かになった。周囲というよりは由比子の耳を通して鳴り続けていたテープが切れただけで、ただそれだけのことだった。
止まないコール音にしびれを切らして電話に出ると、いきなり「マチュピチュ」という朗読されたテープが自動的に流れてきたのだ。黒革の財布の男かと期待したがそんなことはあるはずがない。時間がもったいなかった。首がごろり。馬鹿な話だ。マチュピチュなどには興味はない。
由比子はベッドに身体を投げ出すと、今日の朝刊に目を通した。拾い読みをしていると、悩み事相談の記事に目がいった。由比子は他人の悩み事には興味など無かったが、あまりにも馬鹿馬鹿しいマチュピチュの朗読を強引に聞かされたせいもあって、ちょっとだけ拾い読みをしたくなっただけなのである。言い訳がましいが、由比子はそう自分に言い聞かせることにして記事に目をやった。

円満の秘訣などひとかけらもなし

回答の見出しが大きく踊っている。惹かれた。いうことなし。
由比子はもっともなことだと思った。マチュピチュ。首がごろり。リマで一泊して帰っただけでイタリア人妻に散弾銃で撃たれて死ぬ。汝が天命を呪え。円満な秘訣などひとかけらもなし。由比子の頭の中ではそのように繋がって行くのだ。
回答者は作家であった。由比子の知らない作家である。そんな知らない作家が、この世に円満な秘訣などひとかけらもないことについて懸命に回答しているのである。その涙ぐましい姿勢に由比子は心打たれた。相談者が言っているように、つまらない相談であった。出直しなさい、由比子なら一刀両断、木で鼻をかんでやる。
悩みといえるのか、相談はこうである。私は仕事一筋で生きてきた。その結果、家事も育児も子の教育もそっちのけ、勿論近所付き合いもなくすべてはかみさん任せ、たんなる給料運搬人に堕して生きてきた。気がつけば定年も間近となり、これではいけないと反省しきり。そんな折り、「破滅型」といわれて生きてきた先生でさえ奥様と四国お遍路を歩いておいでであったことを知った。感動しました。そこで老後の夫婦が、あなたたちのように円満に生きて行く秘訣、そのようなものがあればお教え願えないか、そんなところである。
由比子はティッシュペーパーで鼻をかんだ。先生でさえといったところが気になって胸が高鳴った。回答や如何に。由比子はお茶の入ったペットボトルを鷲づかみにしてその先を読んだ。先生の回答である。先生はあくまでも冷静であった。こうである。
先生はまずご自分の身の上を説明する。私には遺伝性の疾患がある。それで結婚は諦めていた。ところが48歳になり49歳の女と結婚した。決心した理由は女の係累に結婚が不可能な子がいたからだ。そして先生はピシャリと言う。私のことを「破滅型の作家」と思っておいでだが、私は破滅を志したことは一度もありません。由比子の胸はまたしても高鳴った。先生の回答は小気味いい。そして先生はこう続ける。38歳まで月収2万円の貧乏生活。駅のベンチが寝床である。だが、一度として失意を感じたことはなかった。結婚生活がつづくと嫁はんがいろいろ高望みを言ってくる。一戸建ての家が欲しい、銀座で高級なお洋服を買ってくれ、船で世界一周に連れて行ってくれ云々。先生はここで精神的な病にかかり、10年近く精神病院に入院するのである。そしてこの病を癒やすために四国お遍路の人となるのだ。先生は言い切る。「何か老後の夫婦が円満に生きるために、一夜漬けで出来る秘訣がもしあったら、教えていただきたいのですが」とのご相談ですが、そんな秘訣は人生にはひとかけらもありません。この世は苦の世界です。作家になることを決心してから、53歳で強迫神経症になるまで、1日4時間以上眠ったことは一度もありません。ただひたすら勉強するだけの日夜でした。由比子は高鳴る胸の内で先生に拍手を送っていた。円満に生きるための一夜漬けの秘訣。そんなものがあったら逆に君に訊きたいものだ。先生はこう言って木で鼻をかんでやればいい。由比子はこの知らない先生が急に好きになった。それにしてもこの質問者は無礼な人だ。この手の男に限って1日きっかり8時間は眠っているにちがいない。

いままでのところ、あなたはなまくらな人です。世の9割の人は、そういう人ですが。

先生はこう締めくくっていた。なまくらな人が効いている。9割の人は汝を戒めよ。
由比子は携帯を開いた。通話記録にマチュピチュの男の履歴があった。この男もきっとなまくらな人にちがいないのだ。黒革の財布の男はどうか。これに期待するものは何も無し。言語道断。
由比子は携帯をアマゾンに繋いだ。先生の名を検索したら数冊の著書が見つかった。その数冊の中でも特に由比子の目を惹いたのは、『金輪際』という短篇だった。由比子はこの金輪際を好んで使う男を知っている。
金輪際も悪くない。由比子は金輪際を注文することにした。

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2009.05.16

マチュピチュ

お教えください。ええ、あなたに訊いているのです。あなたはそのことに関して洞察力を持ってるくらいのことは知っています。夢のことです。昨日私が見た夢のことです。どうです、あなたも幾らか興味はあるでしょう。その道に長けた人というのは最早黙っていられないのですから。それくらい私にだって解るのです。私はうなされて目が覚めたのです。年末で忙しいというのに夢でたたき起こされたのですから憐れなものです。その夢が苦しくて、私はもう二十数年にもなろうかという、そんな昔に出かけたことのあるマチュピチュでの出来事を思い出してしまったくらいです。いや、夢がそのままマチュピチュでの出来事だったようにも思えるのです。首がごろりと転がり落ちていくという洞窟がそこにはあって、どうも私の見た夢はそこに通じている。嘘ではありません。何もなしに首がごろりと転がるなんてことはなく、ええ、勿論そうですとも、悪いやつが悪事を働く、そして気がつけば首がごろりなのです。法の裁きを受けよ。ここに栄えた文明というのは偉大なものです。マチュピチュを舐めてはいけません。この国を憂いてもマチュピチュを舐めてはいけない。
そのガイドはこういったのです。ええ、マチュピチュのガイドのことです。彼は日本人ではあるけどイタリア人の女と結婚していて、何故そんな二人がペルーになんかいるのか、そんなことを詮索してはいけません。あなたはその道の専門家なのですから野暮はよしてくださいませ。とにかく二人はマチュピチュに住んでいてガイドをしている、それで充分です。そのガイドがこういったのです。この洞窟は罪人を処刑したところで、ごらんなさい、ここに上手い具合にごろごろと転がってきた首が集まる仕掛けになっていると。目を上げると上に向かってなだらかなスロープがあって、そうですその坂ですというものだから、私は目をこらして見ましたとも。よくできたものです、ええ、私は感心してしまいました。坂はほどよい傾斜で、そしてちょうどよいカーブまで拵えてあって、なんというかやはり文明だなと思わせてしまう。坂を下って行くとそこは大きな広場になっていてそこが行き止まり。勿論、首はひとつもなかった。首はないけど、殺気はあった。どうです、呪われたインカの文明は。文明なんてものはいつだって馬鹿馬鹿しい。その殺気を感じた時、私は身体いっぱいに夥しいまでの汗をかき、うっと唸って目を覚ました。その次の日も、またその次の日もきまって首がごろりの夢を見て、そして夥しいまでの汗に呻き苦しみ目を覚ます。ええ、どうかお教え下さい。私はこの先どうなるのでしょう。内蔵は痛んでおりますとも。勿論です。それはそうとそのガイドですがね、彼はその後どうなったか。呪われたインカの文明に同化してしまった憐れな彼はどうなってしまったか。イタリア女がいけねえ。マチュピチュに死す。リマに一泊して家に戻った彼を迎えていたもの、それがなんとイタリア女の散弾銃。どうです、驚いたでしょう。人を殺るには散弾銃に敵わない。嫉妬。イタリア女の嫉妬こそもののアワレナリ。ガイドはくたばっちまった。日本の妻をめとらなかった罰だ。天に唾吐くものは天命に背くものナリ。ここまでくると人の死なんて滑稽なものだ。笑わせる。ああ、お腹が痛いったらありゃしない。お教えください。ええ、あなたに訊いているのです。あなたはそのことに関して洞察力を持ってるくらいのことは知っています。どうかお助け下さい。うむ、今なんとおっしゃられたか。まったくあなたらしくもない。そんな弱気ではいけねえよ。お願いしているのはこっちだぜ。バカヤロウ。あら、ご免なさい。私としたことが口汚い。ええい、あなたがそうなら私にだって考えがある。好きなようにさせていただく。あなたを頼りにした私がいけなかった。お見限り。勝手にしやがれ。マチュピチュなんてクソ喰らえ。あたしゃ売られていくわいな。我と我が身をこそ憂いよ。ああ、なんてことだ。私の首が離れていく。どこまでもどこまでも首が離れてひらひらひらひらまるで蝶のように舞ってゆく。あなたに抱かれて私は蝶になる。馬鹿馬鹿しい。生きとし生けるものに幸あれ。そちらの方角は間違ってるぜ。グッバイ・ボーイが叫んでる。おーい、そこの首。方角だ、方角が違うってんだよ。いけねえよ、いけねえ。バカヤロウ。ひらひらひらひらグッバイ・ボーイ。

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2009.04.05

未登録の男

鷺沢由比子は突然の携帯のコール音に驚いた。
バイトが忙しく、疲れて帰宅したばかりだというのに、いきなりの携帯コールである。携帯を手に取り発信者を見ると「未登録」と表示されている。コール音は止むことなく鳴り続けている。由比子はしばらくの間、ぼんやりと光って見える「未登録」の表示を見続けることにした。コール音に変化はなく、一定の間隔で見知らぬ人物がこの地球のどこかで由比子が出るのを待っている。その内、地球のどこかの見知らぬ人物は落胆と伴に由比子の仕打ちに屈し、携帯を切るに違いない。この手の電話に釣られてはいけないのだ。由比子はなぜかしら勝ち誇った気分に満足し、携帯をテーブルの上に置いた。
鳴り続ける携帯の音を無視して由比子は今日の一日を振り返った。
それにしてもあの客達は怪しかった。訝しく窺う由比子のことなどまったく眼中にないといった態度で、男の方は女に財布のことなどを懸命に話していたのだ。
由比子はコンビニでバイトをして1年になるが、いままでこんな不思議で怪しく不躾な客を見たことはない。
「財布を忘れてきた」
ビールやらつまみやらをレジに持ってきた男の第一声がそれだった。
女は由比子を一瞥してから困惑した様子で目を落とし、男に向かって悲しそうな表情をつくり、これほどの憐れみがあろうかといった顔で男を見つめていたのである。時間にして数秒だったように思うが、由比子が見た男の表情からして、男には数分の時の流れがあったように思われた。
「戻ろうか?」
「・・・」
「戻ると時間がなくなるね」
「わたしがお支払いするわ」
「それでも問題が・・・」
男は相変わらず由比子を無視して女に話しかけていた。
男の狼狽といったものを由比子は初めて見たような気がした。男の狼狽はなにかしら仕掛けた罠が、いや、罠というよりは魂胆、あるいは狡猾なタクラミといったほうがよいのかも知れないが、男は明らかにその目論見が狂ってしまったことに焦りを感じているようだった。狡猾な焦り。性急な高揚。猥雑な翳り。それが男の狼狽のすべてである。
「それじゃこれで」
女が支払いを済ませ由比子からレジ袋を受けとった。
「黒革の財布なんだよ・・・」
男は未練がましくそう言って、女の腕をとって出て行った。由比子のコンビニは繁華街からはずれた山の手に近いホテル街にあった。
「桜にはまだまだのようね」
女がいい残した最後の言葉が由比子の耳から離れないでいる。
テーブルの上では相変わらず止むことなく携帯が鳴り続けていた。
あの男がこの「未登録」の男だったら可笑しいのに。由比子は携帯にそっと目をやった。
気がつくと、由比子は無意識で携帯を手にとり、ぼんやりと頼りなげに光っているオンボタンを押していた。

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2009.04.04

黒革の財布

財布を忘れたことに気づかず岩清水右京は事務所を出た。
帰りは定期だけでこと足りるから、自宅の近くのローソンに寄ってはじめてその失態に気づいたのである。
財布は南米に出張した折、余ったドルが幾らか残っていたので、機内の客室乗務員が売りに来たのをこれ幸いに購入したものだ。ドルなど空港で円に換えたところでたいした額にもならないので、これを財布に換えるということはなかなかの妙案だった。サルバトーレ・フェラガモ。メイドイン・イタリー製の札入れ。製造番号らしきものまで打たれている。機内でワインを飲みながら、右京はひとり満ち足りた気分だった。
13年も前のそんな財布を思い出しながら、右京はローソンのおねえさんに頭を下げ、ポケットの小銭をかき集め、チューインガムだけを購入したのである。
こうしてひとりワインを飲み、しみじみと財布を眺めていると、黒革でできたなんともいえない渋い光沢とともに遠い歳月が鮮やかに甦る。
財布にふと目をやると、白の細長い紙片になにやら数字が書き込まれ、透明なセロハンテープで貼り付けられている。それはすぐに携帯の電話番号だと判った。そうなのだ、自分の携帯番号を忘れないようにとメモとして貼り付けておいたものだ。その番号をしげしげと、まるで不思議な生き物でも観察するかのようにしばらくの間右京は眺めていた。そして気がつくと、あろうことか右京は携帯をとりだし、その過去の自分の携帯番号のキーを押していたのである。0、9、0・・・とメモの数字を追っていく。邂逅。そんな古くさく赤面するような言葉までもが脳裏をよぎった。過去の自分に会ってみたい。切羽詰まったそんな想いが衝動的に右京を突き動かしたのかもしれない。陳腐なアナクロニズム。過去の右京なら一笑に付していたにちがいない懐古趣味。右京は携帯を顔の近くまで引き寄せると、なおも間違いのないよう慎重にうっすらと光って浮かんで見える番号キーを押しつづけた。
コール音が鳴っている。いつまでもいつまでも、際限なく現在と未来を行き来しつつ電子音は鳴り止むことなく鳴り続けている。長い間をおいて、ツッという音とともに、鳴り止まないコール音は、やがて彷徨い人が疲れ果てて倒れ込むかのように突如として消え、聞き覚えのない女の声が現れた。右京の胸は高鳴った。

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2009.03.29

有馬温泉

Asagohan
ヘルシー朝食

その宿は太閤橋から望める小高い山の上にあった。
神戸の奥座敷というくらいの有馬温泉だから、格式張ったホテルや旅館が目白押しだ。かなり前から予約を入れておかなければ部屋は取れないし、予約が取れたところで料金の方が決してお安いものではないことは判っていた。それでも有馬に行った。しかも予約ときたら5日前に入れたのである。さらに料金だって有馬にしては手頃なものだったから、期待するものはなにもなし。行き当たりばったりの有馬温泉行である。

部屋に案内してくれた女性がイカしてた。
イカしてたなどとは死語であるが、そのおばちゃんはまさにイカしてたのである。
お歳の頃は多分60は超えていると思われ、私のバッグをいかにも颯爽(?)と左手でお持ちになり、軽やかにエレベーターまで誘導し、4階の廊下の突き当たりの部屋まで案内してくれたのである。そこに辿り着くまでの廊下やロビーらしき広間やエレベーターなども年季が入ったもので、そこはさすがに神戸の奥座敷たる名温泉の歴史に満ちた雰囲気を思う存分垣間見せていたのである。秩序無く廊下の壁に貼られたモノクロの絵葉書を見て怯まないものはいないのだ。旧吉田邸は焼けて灰と化してしまったが、同じ木造で出来たこの宿だけは焼けてはいけない。ぼんやりと薄暗い廊下を歩きながらの私の偽らざる感想であった。

部屋に上がるとおばちゃんは息を切らし、ぜいぜいと呼吸を繰り返した。
やはりお歳には勝てないのだろう。
「バッグ、重かったでしょう?」
「いえ、いえ」
会話はそれだけである。
私は障子戸を開け、ガラス戸越しに見える有馬の山々を眺めた。山や丘に挟まれるようにしてホテルや旅館が建ち並び、それらのほとんどは古いものであったが、それはそれで温泉の深い味わいを醸し出していた。
「これをお願いします」
おばちゃんは宿帳を出して記入を促した。そしてつづけて、
「夕食は何時頃が?」
と訊いてきた。ここは部屋食なのである。さすがに有馬なのである。
「6時でお願いします」
「はい。朝は?」
「何時頃からいただけますか?」
「7時と7時半、それに8時です」
「それでは8時に」
「はい、8時ですね」
「よろしくお願いします」
炭酸煎餅をかじりながら、私は部屋を後にするおばちゃんの後ろ姿を追った。そしてふたたび眼下に見える露天風呂らしき屋根や工事中のクレーンなどに目をやっていると、不意に背後からおばちゃんが声を掛けてきた。
「お客さん、朝は7時でしたね?」
「え?」
「食事です」
「いえ、8時です。夜は6時」
「ああ、8時でしたね」
「うむ、よろしくお願いします」
「はい」
おばちゃんは何事もなかったように、ドアを閉めて出て行ったのである。

夕食までの小一時間、私は露天風呂の人であった。
この旅館は露天風呂が独立して山の斜面のようなところにあって、浴槽からはやはり有馬の山々が眺望できた。雪が降っていたり、靄がかかっていたりしたらさぞかし趣のあるロケーションに違いないが、あいにく見えるものといえば工事中のクレーンだったり、切り砕かれて露出した茶褐色の情けない山肌だった。
かつて秀吉は信長にその労をねぎらわれ、ねねと伴にここ有馬温泉に逗留している。赤茶色した湯に浸かりながら、ねねと戯れているそんなサルを思ってみた。効能は切り傷とあり、たしかに戦場で満身創痍の武士にとってはこの湯は有り難いものだったに違いない。両手で湯をすくって顔に浸してみると、やたらとひりひりして痛みのような刺激が走った。武士にはなれないな、私はなおも両手で湯をすくって顔に浸した。

部屋に戻るとおばちゃんがお膳を運んでいるところだった。
ヘルシー御膳というだけあって、小さな器にそれぞれの料理がさりげなくのっていて、おばちゃんはやはりぜいぜい呼吸しながらそれらを丁寧に並べている。ファストフーズならぬスローフーズである。
ガラス戸越しに外を見ながら煙草を吸っていると、なにやらカチカチという音が聞こえてきた。カチカチは不規則に、そしてその不規則の間隔は次第に短くなって連続的に繰り返し聞こえてくる。見ると、おばちゃんは懸命にチャッカマンと格闘しているところだった。湯豆腐の小さな鍋の下の固形燃料に先を向け、カチカチ、カチカチを繰り返しているのだ。
「どうかしましたか?」
「どうも上手くいかなくて」
「どれどれ」
「新品なんだけどね、これ」
「そうですか、どれどれ」
私はチャッカマンを受けとると、おばちゃんがやったようにカチカチを繰り返した。
「こうやって・・・」
「どうですか?」
「うむ・・・」
「新品なんだけど・・・」
「うむ」
「上手くいかない?」
「まずいね」
私はライターを持ち出し、チャッカマンの先に向けて火をつけた。
「これで大丈夫だ」
「ああ、よかった」
「石が悪いのかな、これ」
「新品なんだけど・・・」
「そういうこともあるのです」
「そうですか」
おばちゃんは新品にこだわりつつも納得してくれたようだった。
「8時でしたね」
「え?」
「明日の朝食」
「ええ、8時でお願いします」
「ごゆっくり」
「ありがとう」
部屋を出て行くおばちゃんは、いくらか右足を引きずっているように見えた。

寝る前にもう一度露天風呂に浸かった。
人気のない廊下を歩きながら、ふと目をこらすとなにやらガラスでできた水槽のようなものがあり、そこにはホタル育成中と書かれた貼り紙があった。子供たちの夏休みにホタルを放つ。粋な計らいである。ホタルの乱舞とはいかないまでも、たよりなげな幾匹かの飛び交うホタルを私は想像してみた。「螢川」ならぬ「ホタル温泉」である。
脱衣場の戸を開けて露天風呂に出ると、夕刻には気づかなかった紙に手書きされた蝶の絵が目にとまった。その紙に書かれた絵の傍には白い小さな網のようなものがある。眼鏡を取り出して読んでみると、夏になるといろいろな虫たちが湯の中に飛び込んできます、虫たちをこの網ですくって助けてあげましょうと書かれていたのである。
ホタルといい虫たちといい、ここは家族で来るところらしい。そうなると、おばちゃんたちはさしずめ孫たちの世話役といったところかもしれない。おばあちゃんの知恵袋。なんとも微笑ましい図ではないか。私は一人苦笑した。
そういえば、私の部屋番のおばちゃんもそうだが、廊下ですれ違うおばちゃんのほとんどが同じ年格好で、中には70歳にもなろうかと思われる方もおいでだった。いまはやりの再雇用というものだろうか。とすれば、この宿は有馬でも先端を行っているということになる。顔に刻まれた皺のひとつひとつは伊達ではないのである。ねねとサルのように戯れていてはいけないのである。
なるほど、どおりで若いカップルが見あたらなかったわけである。
赤茶色した湯が身にしみる弥生三月有馬の宵の奇々怪々。

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2009.03.21

ホットドッグ

Hotdog

朝刊を買いにでると、マクドナルドのポスターが目に入った。
ホットドッグをはじめたらしい。そういえばホットドッグなんてしばらく食べたことがない。
世はまさにハンバーガーが主流だから、ホットドッグなんて忘れられてしまったのだろうことは理解できる。
店の前のポスターを眺めながら、いかにも旨そうなそのホットドッグが食べたくなった。
昔はみなホットドッグだった。そしてそれはアメリカっぽい味はするものの、決して感動するような、そんな代物ではなかった。

60年代のアメリカのTVドラマには、必ずといってよいくらいホットドッグが登場した。
ピッシリしたジーンズをきめこんだ若者達が旨そうにホットドッグをパクつきながら、片手にはコーラなんかを持ち、ジュークボックスにコインを入れてガチャガチャ叩いてみたり、街中を抱き合いながら闊歩しているのだ。サマになってるその姿を一瞥し、そんなに遠くない将来、俺だってそんなふうにジュークボックスをガチャガチャ叩き、NYのマンハッタンを闊歩してやると思ったものである。
いざNYに行ってみると、そこで目を引いたのはピザだった。
そのころのTVドラマでもあまり目にした記憶はなかったが、NYの街のいたるところでピザの看板だけがやたらと目を引いていた。よくわからないまでも、そのピザの店のウインドウ越しに中を覗くと、おにいさんらしき店員が皿回しのようにブンブンと怪しい物体を頭上に掲げ回しているのである。遠心力の加わったその怪しき物体はみるみる間に傘のように広がり、おにいさんはそれを幾度となく繰り返し、やがてトッピングの具材を乗せてオーブンに放り込んだのである。それが初のピザ体験であった。ピザは頭上高く掲げて回せ! 燭台は高きに置け! 聖書にもある。(笑)

アメリカ人は忙しい人種だ。イギリスやフランス人のように食べることに時間を割かない。特にランチなどはホットドッグやハンバーガー、それにピザである。
ランチボックスにそれらをつめこみ、ちょっとした飲み物で簡単に済ませてしまう。驚いたのはマイク・タイソンのような体躯の輩もほとんどといってよいくらいこのような簡単なランチで終わってしまうことだった。
ブルックリンの港で荷役にあたっていた黒人たちは、すべてその体躯はボクサーのようだった。モハメッド・アリやタイソンがゴロゴロといて、丸太のような腕をした彼等に取り囲まれたら、それはそれは恐怖のなにものでもなく、燭台は高きに置けなどと聖書をかざしてみたところで意味をなさないのだ。
一度、彼等がこぞって船荷のコンテナから、当時有名だったS社のトランジスタラジオをジャンパーに隠し持ち去ろうとしているところを見てしまった。ちょうど昼を報せるサイレンがけたたましく鳴り出し、荷夫たちはランチをとるため陸に上がろうとしていたところの出来事だった。トランジスタラジオを持ってそのままドロンである。
荷役の責任者だった私は躊躇った。そのジャンパーに隠されているのは何だ! 舐めてはいけない。ワタクシは日本の優秀な航海士なのだよ。さ、それをかえしなさい! 神はすべてお見通しなのだ。さ、それをおかえしなさい!
荷夫たちは私に笑みをつくって挨拶をし、足早に去っていった。
汝の隣人を愛せ。これもまた有り難き聖書のお言葉なのである。私はただその場に呆然として突っ立っていた。

そのなかの一人の若い荷夫が仲間から遅れをとってなにやらモジモジしているのがわかった。私の方をちょっと見てから、彼はいかにも済まなさそうな表情をつくって、くしゃくしゃの紙袋を開いて見せた。中には紙製のランチボックスがあり、それを開けると、ケチャップに黄色いマスタードがだらしなく交じり合ったホットドッグが二つ顔を覗かせていた。一つやるよ。彼の目はそう言って笑っていた。ソーセージのはみでたそのホットドッグを一囓りすると、ケチャップはやたらと塩味がきつく、マスタードはこの世のものとは思えない刺激的な辛さをともなって私の鼻をねじ曲げた。強烈なアメリカがそこにあったような気がした。若者は紙袋をくるりと持ちやすそうに巻いてから、颯爽と階段を駆け上がって消えていった。まちがいなくそこにも強烈なアメリカの風が吹いていたような気がする。汝のアメリカを愛せ。そんな風である。

マックのホットドッグは妙に柔らかい。パン生地のせいにちがいない。
おじいさんが二人の孫にハンバーガーとフライドポテトを買っていた。
ホットドッグには目もくれないのである。


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