2009.11.16

サルティホテル(3)

P1000029

壁から突き出てとぐろを巻いたようなLANケーブルをノートパソコンに差し込むと、僕はおもむろに電源ボタンを押した。
やや間があってノートパソコンは立ち上がり、次から次へと画面を変えていって、デスクトップに並んだショートカットやらフォルダを画面の左半分にばらまき散らしてやがて静止した。
僕はマウスを操作してyoutubeに繋ぎ、現れたトップ画面の検索窓にmadonnaと入力する。そして画面に並んだマドンナの小さなビデオ映像を丹念に眺めながらスクロールし、Celebration official videoと書かれた文字をクリックした。画面に現れたマドンナは軽快に踊りだし、それにあわせて男の黒人ダンサーが妖しく舌を出したりなめずり回したりしながら腰をセクシーにくねくねさせて踊りはじめた。単調なリズムが僕のノートパソコンの貧弱なスピーカーからくり返し流れつづけ、マドンナは歌いながらミニのスカートから黒の下着をちらつかせて、やはり黒人ダンサーに負けじと腰を淫らに激しく振りながら叫んでいた。
僕はその欲望の露出したような淫らな腰の動きに目を奪われ、都和子のことをおもった。あどけなさの残る都和子の顔を思い描いていると、やがてすぐにその都和子が僕の頭の中で、黒人ダンサーがやっていたように舌をなめずり回し、腰をくねらせ、嗚咽するかのようにして激しく喘ぎはじめたのである。
都和子は先日ひょんなことから知り合いになった女である。
「ねえ、お金くれない?」
都和子はそういって、南京街の門を入ったすぐのところで僕に声をかけてきた。
門をくぐって左には中華まんを売っている店があり、その向かいには土産品店があり、観光客が道路いっぱいにあふれ出ていた。前からやってくる若者はカップに入ったから揚げチキンを無造作に鷲づかみし、女とはしゃぎながら大声で笑っている。そんな観光客とぶつかりながらも前に進んで行くと、南京街の象徴らしい小さな公園のような広場がある。
昼過ぎになると、昼食を終えた僕は大抵ここでひとり、道行く人たちを眺めていた。ここを南に下って、左に数十メートル歩いたところに僕のかつての職場があったからだ。その職場を辞めることになり、今は新しい職場に勤めるようになったのだが、そのときに治療を受けていた歯が痛みだし、4年ぶりに漆原歯科医院に通い始めた最初の日に、僕は都和子に声をかけられたのだった。
都和子は行き交う観光客に臆することなく僕に近づき、面と向かってお金を要求してきたのである。
「お金はないよ」
娘のような年齢の都和子に僕はぞんざいに言った。
「嘘を言ってもだめ。いま銀行から出てきたじゃない」
「銀行から出てきたからといって、金を持っているとはかぎらない」
都和子は怯まなかった。むしろ威圧的な態度は僕を混乱させた。
そんな都和子の横柄な態度に接したとき、僕は自分の意識の中にあのマドンナのCelebrationを感じとったのかもしれない。
南京街の象徴的な広場を右に見て、西に少し歩いたところに餃子を食べさせる店がある。観光客をやりすごしながら歩きつづける僕のあとを、都和子はなおも執拗につきまとった。
僕は黄色い看板でぎょうざ屋と書かれたその店の引き戸を開けて中に入った。引き戸を閉めようと手を伸ばした腕に、都和子はいきなり自分の両手を絡ませて僕を店内へと誘導したのである。
笑顔をつくって空いてるテーブルに向かう僕たちは、もちろんCelebrityであるはずもないが、親子と見られることはあっても、恋人同士と見られることなど当然といっていいくらいにあるはずもなかった。僕はここ数週間見つづけているマドンナの妖しい肢体と、その肢体に黒人ダンサーのどこか卑猥で、生き物のように変幻自在に唇を這い出してぬらりぬらりと奇妙な動きをくりかえす濡れて薄く光る舌と、これもまた人間とは思えない激しく上下させて勝手に歓喜するように動く下半身を思った。
店員がおいたコップの水を一口飲み、僕は焼き餃子と、ここではすでに有名になっているジャジャ麺を注文した。それにビールを追加すると、都和子は、
「わたしも同じものを」
といって店員の方を向いて笑った。
餃子用の味噌でできているらしい特製ダレを小皿にとり、それを箸でまんべんなく混ぜ、ビールを一口飲み干す僕を都和子はじっとながめていた。僕はかまわず空になったグラスにビールを注ぐと、それを一気に飲み干した。
「ビール、好きなのね」
「好きさ」
「ください」
「え?」
「わたしにも、ください」
都和子のいい方はどこかぎごちない。金をくれと見ず知らずの男に接してきたのだから、礼儀とはいわないまでも、さしあたり面と向かって切り出す会話は行き場を失ってぎごちなくなるのは当然のことかも知れない。
「君はどこの大学?」
都和子のグラスにビールを注いでやり、僕は訊ねた。
「わかるの? 大学生だって」
「ある程度はね」
「そう」
都和子は注がれたビールをグラスの半分ほど空け、僕の顔を正面からまっすぐに見据えた。隣のテーブルには大阪からやってきたらしい男ばかりの三人の客が、あわただしく餃子を運んで動き回る店員をつかまえ、この店の餃子が雑誌に紹介されていたことをしきりに説明していた。そんなどうでもいい話を無視して僕はグラスにビールを注ぎ、おもむろに壁に無造作に貼り付けられているいくらかの色紙に目をやった。TVで毒舌を吐いているタレントの色紙があり、その横にはおみやげに持ち帰れますと書かれた案内の細長い紙が、やはり無造作に愛想なくピンで留められていた。
「K学院です」
「え?」
「だからK学院です。大学」
「ああ」
僕はようやく運ばれてきた餃子のひとつを箸でつまみ、味噌でできた特製ダレをたっぷりからめてから口に入れた。香ばしいような、それでいて中途半端なだるい甘さを伴った味噌味が口の中にひろがり、僕はそれをゆっくり咀嚼しながらも、頭の中ではK学院のことを考え、そしてマドンナと一緒に卑猥に腰を動かしながら踊っていた、あの淫らな黒人ダンサーの舌の動きを思いだしていた。
「それじゃ僕の近くだ」
「なに?」
「大学とマンション」
「そうなんだ」
「別にどうってことないけど」
「うん、別にどうってことない」
都和子は僕を真似るように、餃子にたっぷり特性ダレをからめると、それをどこかのろい仕草で口に運んだ。僕はわずかに残っているビールを都和子のグラスに注いでやると、店員に新しいビールを注文した。それにつられるように、三人連れの中の一人の大阪がビールと餃子を追加注文した。昼とも夜ともつかないぼんやりと霞んだような曖昧な時の中で、南京街をあてもなく歩いている観光客の声だけが賑やかに店の中に押し寄せてきて、僕たちの会話の中に無遠慮に割り込んできてはやがて形もなく消えていった。僕と都和子は見知らぬ島にとりのこされた漂流者のようだった。


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2009.10.31

サルティホテル(2)

Night

サルティホテルのフロントは2階にある。
1階はなぜかスポーツ用品店になっていて、ショウウインドウから見える店内は明るく、若者が好みそうなダウンパーカーやジャケットが品よく飾られている。南に面してなだらかな石造りの階段があり、そこを上がって入り口のドアを右に折れるとこぢんまりしたカウンターがあって、そこがサルティホテルのフロントだ。長椅子が一つだけ置かれているだけで、ただそれだけの愛想のない、まるでホテルとは思えない受付になっている。西に面して細長いつくりのカフェレストランがあり、そこからテラスが突き出ていて、ここはオープンカフェになっている。カフェレストランといい狭いつくりのカウンターといい、それよりもロビーがないという窮屈さは、およそホテルの体をなしているとは思えない構造で、そこがサルティホテルをどこか謎めいたものにさせていた。
初めて宿泊したとき、狭いカウンターの中にそろいのスーツを着た二人の男がいて、そのうちの一人が笑いもせずに応対したことも不思議な印象だった。
予約もない飛び込みだと告げると、カウンターの男は妙なつくり笑いを浮かべて宿泊用紙を出して寄こした。記入を済ませて返すと、8階の部屋の鍵を渡され、僕は一人でエレベーターのスイッチを押し、音もなく開いたドアに吸い込まれて籠の中に収まり、8階で降りて勝手に802号室のドアを開けたのである。なにからなにまで一人でやらされることに不満はなく、格式のあるお節介は苦手だから、むしろ勝手に行動することの自由さが僕には心地よかった。その意味ではサルティホテルにはなにかしらの期待がもてたのだが、それがどのような期待であったのかはそのときは当然ながら知るよしもなかった。

今、僕はそのときと同じ802号室にいる。
初めての時に応対したカウンターの妙な男はあいかわらず妙な男で、僕が802号室を指定して予約するといつも快く応じてくれた。ジャケットの胸ポケットに張り付いているようなネームカードには男の名前が書かれているが、僕はその男の名前を知ることはない。いや、僕はあえてその男の名前を憶えようとはしないのだ。まるでそれは僕と男の暗黙の了解のように、男もまた僕の名前を事務的に知るだけで、それ以上は立ち入って関わろうとは思っていないようだ。
漆原先生に治療された奥歯のある頬をさすりながら、僕はいまはもうすっかり僕の部屋になってしまったようなその802号室をひと渡り眺めた。液晶テレビの置かれた位置も、木目調に仕上げられた冷蔵庫の配置もいつもどおりで変わった様子はなかった。
部屋の窓は南に面していて、レースのカーテンを引くとビルが建ち並んでいるのが見え、そのビルの谷間からは僕のかつて勤めていた事務所が臨め、さらにその奥にメリケン波止場がかすかに確認できた。
僕は鏡に向かって口を開け、指で唇を押し広げ、漆原先生が歯科器具を巧みに操って削った奥歯を映し出してみる。
「お母さんは西宮の人?」
僕はそんなことをいきなり訊ねてきた漆原先生を思い出していた。
「いえ、新潟です」
「そう。親父がね、学生の頃に知り合った女性に似ているというんだ」
「僕がですか?」
「そうなんだ。医学生だった頃のずいぶん昔の話なんだけどね」
そういって漆原先生は、まるで自分のことのようにはにかんでみせた。
「ほら、あそこにいるのがその親父だよ」
漆原先生の指さす方の診察台に白髪の老人が歯科器具を持ち、こちらを向いて笑っていた。
その女性というのが僕の母だったとしたら、漆原先生の親父という人はどうするのだろう。診察台で喘いでいる患者をそのままにして僕に近寄り、お母さんは息災ですかとでも訊いてくるのだろうか。
「母ですよ、そのひとは」
いたずらにそんなことを言って笑ってやりすごすのも悪くなかったかもしれない。麻酔が効いて、まだしっくりこない歯茎を指でつつきながら、僕はそんなどうでもよいことを考え、洗面器に向かって唾を吐いた。血の滲んだ唾液はうっすらと赤くぼやけ、開いた蛇口から勢いよく流れ出た水とともに排水口に吸い込まれて消えていった。
僕は部屋にあるテーブルにノートパソコンをおいた。そのテーブルもやはりいつものところにいつものように配置されている。
コードを差し込み電源スイッチを押し、画面が立ち上がるのを確認してからネクタイをとった。ひっきりなしに行き交う車や人の群れをピッシリと閉鎖された窓から眼下に見下ろしていると、その音のない騒然とした雑踏がまるで自分には縁のない世界に思え、たった今、そこから逃避してきたことにわくわくするような歓喜を実感していた。
僕はたしかに逃避してきたにちがいない。僕が今やろうとしていることは逃避ともいえるが、それはまさに世間からの脱出であるに違いないのだ。僕はこのホテルで僕ではない僕になろうとしている。

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2009.10.24

サルティホテル

P1050116

その歯科医院は旧居留地にある。
もう5年も前になるが、僕は看板もないその歯科医院で治療を受けた。
奥歯にかぶせてあった冠が勤務中にポロリと取れてしまい、あたふたしていると、それならすぐそこにある歯科医院へ行くといいと同僚が教えてくれたのだった。
「ただね、看板はないよ」
同僚はそうつけ加えた。
看板がない歯科医院。そんな医院があるのか。僕は不思議に思いながらも、同僚が書く簡単な医院への順路をながめていた。
そのメモを手に事務所を出ようとする僕の背に、
「そこは紹介がないと駄目なんだよ」
と同僚の声が追い打ちをかけた。看板がないから、つまりどのようにしてここへやって来たのか、誰から紹介されて来たのか、そんな理屈らしいのだ。
その間にも、冠の剥がれ落ちた奥歯は痛みを伴って僕の気分を錯乱させた。
神戸市立博物館の前を通って六甲山に向かって北へ歩き、三井住友銀行の前で立ち止まる。ブティックのショウウインドからマネキンがつまらなさそうに微笑んでいる。どうもその隣の入り口が目的の歯科医院へ通じているらしい。たしかに看板らしきものは見あたらない。
僕は左手を痛みの走る頬にあて、入り口を抜けると闇雲に地下への階段を一気に駆け下りた。地下にある通路は薄暗く、こんなところに歯科医院はあるのかと不安になったが、迷路のように入り組んだ通路をあてもなく歩いていると、古びたペンキの剥げ落ちた木製のドアが目にとまり、そこには漆原歯科医院と書いてあったのである。

漆原先生はお元気なのだろうか。
僕は5年前と同じ三井住友銀行の前で立ち止まり、あいかあらず愛想のないショウウインドウのマネキンに一瞥をくれ、旧居留地をまばらに行き来する若者たちを目で追った。
ビルの自動ドアを抜けて中へ入ると楕円のカウンターがあり、年配のガードマンが一人、退屈そうに書類に目を通していた。ガードマンを無視して地下へ下り、見覚えのある廊下を左に折れ、そこからさらに右に曲がって、僕は漆原歯科医院と書かれてある古びたドアの前に立ったのである。
ドアを開けて中に入ると、鼠色したレザーの長椅子が置かれた待合所があるのだが、患者らしき人は誰もいなかった。
「いらっしゃい」
受付の小窓が開いて、年配の女性が声をかけてきた。聞き覚えのある嗄れた声である。
「予約を入れていた南です」
そう告げると小窓の中の女性は、どうぞ中にお入りくださいと姿を見せずに応えた。
診察室のドアを開けて中に入ると、白衣を着た背の高い男が歩いてきて、
「ああ、あなたでしたか」
と笑いながら近づいてきた。そしてにっこりとほほえんだ。漆原先生だった。
「たしかお近くでしたね、勤務先は」
「いえ、今は梅田です」
「え? 梅田?」
「そうです、梅田です」
「梅田からわざわざここまで?」
「はい」
漆原先生は少しも変わっていなかった。
無精髭にところどころ白いものが混じっていても、張りのある声は5年前と変わらずよく通って澄んで聞こえた。
診察台に座らされ、数枚のレントゲン写真を撮られ、口をすすいで僕は深呼吸を繰り返した。
「これはひどいね」
「はあ・・・」
「壊れている」
「歯が?」
「うん、壊れている」
表情を変えずにそういうと、口をすすいで深呼吸している僕にかまわず、歯科器具を取り出し奥歯を削り始めた。キインキインと唸りつづける電気器具を軽快に操り、間をおいてうがいをさせ、そして不安に駆られる僕を無視して麻酔注射を奥歯の近くに無造作に射した。尖った痛みが一瞬頬を抜けた。
「梅田からだと大変だから」
「え?」
口を開けながら応えるにはそれが精一杯だった。
「通うのがね・・・」
「はあ」
「一気にやってしまおう」
「はあ」
僕の頭からは夥しいまでの汗が噴き出し、前髪をつたって額にまで流れ落ちるのが判った。
相変わらず電気器具はキインキインと唸りつづけ、遠のきそうになる意識の中で、僕は何故か不思議と、まるで歯科治療に関係のない旧居留地界隈の街並みを頭の中に描いていた。そしてその街並みを地図に写し取り、僕はゆっくりとその地図上を歩きはじめるのだった。
漆原歯科医院のあるビルを出る。右に曲がって北へ向かって歩くと左には大丸百貨店がある。その向かいの道路をさらに北へ向かって歩くと左手にあるのはビヤホールのミュンヘン大使館だ。僕はここで大量のビールをあおったことを思い出す。そこをさらに北へ進むとJRの高架があり、続いて阪急の高架が姿を現す。阪急の高架下を右に折れて歩き続けると立ち飲み屋があり、その向かいはお世辞にもきれいとはいえない居酒屋ゴン太がある。ジャズを聴かせる喫茶もこのあたりの高架下だ。高架を抜けて北へさらに突き進んで行くと、そこはもう雑居ビルの集中する歓楽街だ。赤や青や黄色やそんな光の混在したネオンが洪水のように人々を呑み込んで暗躍しているさまは、まるで巨大化した妖怪の棲む魑魅魍魎とした異界をさえ想起させる。
僕の意識はそこで再び漆原歯科医院へと逆戻りする。そして再び僕は漆原歯科医院のあるビルを出て右に曲がり、大丸百貨店の前の通りを避け、筋を一つ東へ寄った通りを北へ向かって歩きはじめる。すぐに現れたのはサルティホテルだ。漆原先生の操る歯科器具の耳障りな金属音を聞きながら、僕はこの不思議なサルティホテルでの出来事を思い出していた。
僕はときどきサルティホテルに一人で泊まる。
メリケン波止場にある船の形をした高級ホテルも悪くないが、街の中心地になりを潜めるように、まるでホテルらしからぬ風情で佇んでいるこのサルティホテルはどことなく妖しく、中に足を踏み入れたとたん、僕はたしかに異次元の世界へ迷い込んだような、そんな心地よい思いに捕らわれてしまうのだ。

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2009.10.03

口笛

ベッドに横になり、朝刊を開いてなにげなく連載小説に目をやると男が口笛を吹いている場面だった。
土曜と日曜しか新聞には目を通さないから、この川上弘美の小説がどんなものなのかさっぱり判らずに読み進めていると、今度はどこからともなく女が歩きながら口笛を吹いて登場するのである。ますます何がなんだか判らずイライラしてきたので読むのをやめ、悩みの相談室欄に目を通してみた。車谷長吉先生が回答でもなさるのかなと思ってたらあてが外れた。
働かない無職の亭主のことで相談しているようだった。相談者である働く主婦が、働かないで家でいつもゴロゴロテレビゲームばかりしている5歳年下の亭主に愛想を尽かし、何とかしてくれと悩みをぶちまけていた。第一子があり、第二子の出産間近と聞けばことは穏やかではなく同情もするが、亭主が26歳で、女房が稼ぎ、そのうえ子供の世話をし、飯まで作ってくれるとなれば、そこは回答者じゃないけど、あなたはもう一人の子供の世話をし面倒を見ているのですといわれても仕方がないであろう。世の中にはこの手のなまくらな子供みたいなのが大繁殖しているのである。
憂鬱な気分になり、朝刊をばたばたと畳んで放り投げると、半分ほど開いている机の前の窓の外から、のらりくらりと間延びした口笛の音が傍若無人にも侵入してきた。窓の外には某通信会社の社宅があり、休日ともなれば朝早くから子供たちの喚声で賑やかこの上ない。お母さん~、お母さん~と叫ぶ小学生らしき子供の絶叫はなにやら切迫感があって、おや、何があったのだろうと心配にもなったりする。しかしながら口笛とくればこれはそんなふうにはならない。のらりくらりと一本調子で、しかも音程が外れているその口笛は、静かな社宅の間を縫って、ひっそり息をして何ごともなく生活している住人たちになにやら不安をかきたてている気配さえ感じさせる。あまりにも頼りない口笛はあまりにも頼りない少年を想起させ、そしてそれはそのまま川上弘美の小説世界の少年に重なっていく。それにしても下手くそな口笛である。不安で不吉な装いを纏った、どこかやりきれない哀調を感じさせる下手くそな口笛である。これはほんとうに少年のものなのか。
船の世界では口笛は何故か忌み嫌われている。船上で口笛を吹こうものならどこからともなく現れた者によって突然殴られたりするのだ。海の女神ネプチューンだったかなんだったかすっかり忘れてしまったが、その女神の嫉妬を呼び起こすだとかなんだとか、これもすっかり忘れてしまって自信はないが、あるいは海坊主が現れて船を転覆させるだとか、何故海坊主が怒り心頭で狂ってしまうのか判らないが、とにかく突如として殴られるのだ。道理に合わないのである。
川上弘美の小説の男と女が吹く口笛、それに窓の外から聞こえてくるぶきっちょな少年らしき男の吹く口笛、意味もなく頭の中でくるくると絡み合いながら流れて行く休日の朝である。

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2009.09.19

海峡を渡る風

Sennnokaze

東大沼の流山温泉は変わらぬたたずまいだった。
脱衣所にはやはり頭上からゆったりとジャズが流れて降り落ちる。
露天風呂に浸かって眼前の駒ヶ岳に目をやると、視界に入ってきたのは夕日に輝き黄金色に光るすすきだった。すすきは秋の到来を演出し、その後方にはっきりとした輪郭を浮かび上がらせている駒ヶ岳は寒々としていて秋そのものだった。
疲れきった身体を湯に浸すと、顔を撫でてとおりすぎる風もまた秋の気配を思わせる。
「千の風になってか・・・」
一人呟いてみた。
とうとう一人になってしまいました。札幌に転居して10余年にもなるSさんからそんなメッセージをいただいた。贈られてきた同人誌にそのメッセージはメモとして挟まっており、いつもの流麗な文字とは違い、そのメモの文字は力なく脱力しているようだった。主人を6月に亡くしたとあり、そしてとうとう一人になってしまいましたと続くのである。いずれは誰だって一人になるのだから、そんなに悲しんでばかりいてはいけませんよと、そんな独り言を呟きながらも、いやSさんには娘さんがいるからほんとうの一人とは違うなと妙な思いに捕らわれ、やや間があって、こんな屁理屈はまるで車谷長吉先生そのものじゃないかと嘆いてみたりする。

Sさんのご主人とは面識がなかったからかどうかは別として、そのとき不意に思い出されたのは坂本さんだった。
とうとう一人になってしまいましたとメモを寄こしたSさんと坂本さんはどうも結びつかないが、黄金色に揺れるすすきの向こうにある駒ヶ岳を見ていたら、すでに千の風になってしまった坂本さんの面影がそろそろとすすきにかぶさり、それが不思議とSさんに重なった、ただそれだけのことなのだろう。とにかくそのとき坂本さんを思い出してしまったのである。
坂本さんは川柳をたしなむお人だった。川柳だけにしておけばよいのに、小説にまで手を出したのがいけなかった。
「これはいけませんね」
道南を舞台にした坂本さんの小説を手にとり、生意気に言った。
「それよりは、川柳の評論こそ坂本さんだ」
「うむ」
坂本さんは複雑な表情を見せて相好をくずされた。
暴風に近い強風が、沖に停泊中の連絡船のブリッジの舷窓を叩いていたから、このときの二人は当直中だったように思われる。暴風が津軽海峡に接近する。ダイヤを切るから沖に停泊して待機せよ。当時はこんなふうにしてしばしば運航が切られた。4時間ごとの当直交代。そのときは坂本さんと当直中にこんなやりとりをして暴風圏の通過を待ったにちがいない。

「ここはソイがよく釣れるそうだよ」
のんびりした声である。どこから持ち出してきたのか、釣り竿を手にした坂本さんが言った。そしてリーサイド、つまり風下にあたる舷窓のガラス戸を開き、釣り糸をたれたのである。風に流されながらもするすると釣り糸は闇の中へ落ちていった。まるでそれは、蜘蛛の糸がふわりふわりと頼りげなく深夜のおぞましい奈落へとゆるやかに落ちていく小説の世界をみるようだった。
そんな坂本さんを見やりながら、そういえば坂本邸で実に旨いソイの刺身を食ったことがあるのを思い出していた。
そのソイは、坂本さんよりはいかにもしっかりした息子さんが釣ってきたものらしく、達者なその息子さんがさばいて書斎に運んできたものである。刺身はいろいろ食してきたが、これほどに美味い刺身を食べたことはそれまでなかった。
「釣れますかね、ソイは?」
「大丈夫!」
坂本さんが自信を持ってことにあたるときは注意を要する。やはり、1時間が経っても釣り糸はぴくりともしなかった。暴風圏はいよいよ接近し、波高の大きくなった三角波が夜目にもはっきりした形で確認することができた。かたかたと小刻みに波浪は客も車両も無い連絡船の舷を一定のリズムを刻みながら叩きつづけた。
「もうちょっと遠くへ投げてみてはどうです?」
「うむ、それもそうだね」
強風に怯むことなく、坂本さんは釣り竿を手元に引くと、開かれた舷窓の外へ向かっておもいっきり釣り糸を放った。一瞬光ったテグスは、やはり漆黒の闇の世界へ吸い込まれるように消えてなくなった。
そのときだった。カチンといった金属音が闇夜に目をこらす二人の耳に届いた。少しの間沈黙があり、そして二人は顔を見合わせて笑った。その笑いは実に気まずく、格好の悪い笑いであった。坂本さんの放った釣り糸は、強風に押し流され、前方にある甲板におもりごと無惨にもたたきつけられてしまったのだった。
坂本さんは観念した。僕も観念した。
それ以来、僕はソイの刺身を口にしたことがない。
大沼に吹く千の風は、そんな想いとともに津軽海峡を越えてやってくる。

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2009.09.06

赤星★

Sappro

昨日の朝刊でサッポロラガービールのCM紙面があった。
赤星。まるでクラッシックな風貌の缶が真っ赤な星とともに映えている。
なにやら「わが赤星物語」として、じんとくる、ほっとするエッセイを募集しているらしく、紙面にもその一部が掲載されていた。
9月9日数量限定発売らしく、それに先行して一部コンビニですでに発売しているとあった。黙っていられない。これは黙っていられない。
早速、近くのコンビニへ直行する。直行するものの、どこにもそんな赤星はなかった。
まあ、ここは関西。アサヒに比べてサッポロは分が悪いから仕方がないか。三軒目でありました、赤星。(笑)
うまいですなあ、サッポロは(笑)
調子に乗って、ただいまサッポロさんのサイトに行き、じんとくるかほっとするかは別として、「わが赤星物語」を書いてきました。400字以内。ただの戯言の類です。(笑)

Lenovo

サッポロはここまで。
次にといってはなんだけど、いきなりlenovoです。
なんか欲しいような欲しくないようでminiノート、結局買いました。
lenovoなんて全く知らなかったけど、店員さん曰く、中国製ですがもともとはIBMです。
つまりThinkPadなんですねlenoboって、知りませんでした。
ほんとうはvaioが本命だったけど、vaioは出たばかりでほとんど値引きなし。
それに比べ、dellやgatewayはかなりリーズナブルなところまで値引きしていて、でもね、バッテリーで2時間駆動のdellやgatewayに比べりゃ、5時間なんていうlenovoはやはりすぐれもののIBMであり、ここはlenovoということで決着したというところ。
無線lanでフリースポットからばりばりインターネットといきたいところだけど、ワタクシ時間がないものだからして・・・。(泣)
ただいま赤星を飲みながらlenovoで記事を書いていて候。(笑)

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2009.09.04

女と男ときつね

Niji Musuko Kitune

夏が終わったのか終わっていないのか、今日も暑い一日だった。
暑い一日だったと書いているが、その一日はまだ終わっていない。
エアコンをフル回転し、とりあえず意識を整え、パソコンに向かっている。
睡魔は容赦なく襲ってきて、仕方がないので一眠りし、起きたら外で奇妙な名も知れぬ鳥がキッ、キッと苦しそうに鳴いている。
先日読み終えた文庫本をベッドに横になりぱらぱらとめくっている。何を確認するでもなく、ただぱらぱらとやっているだけだ。
その一冊は角田光代で、もう一冊は吉田修一。ついでにと言っては失礼だが森見登美彦である。これらのいずれもがブックオフで買ったもので、したがってどんな小説なのか判らないのは当たり前で、つまり行き当たりばったりで何が飛び出すか判らないまま読み出したのである。
角田の小説は姉妹がいて、その妹が姉の男を盗るといった女の世界を書いている。そして吉田は男同士の同棲、つまりホモの男たちを何食わぬ顔でさらりと書いている。
角田の「夜かかる虹」を読み、やりきれない気分で吉田の「最後の息子」を読み終えたときには精根尽き果てた。(笑)
ゲン直しでもないが、ここはすっきりした気分になりたくて森見の「きつねのはなし」の登場である。
三者三様。女の世界に男の世界にきつねの世界である。実力派揃いであるが、これらを一気読みすることは、これはこれで相当疲れるので、その覚悟をお持ちお方はどうぞブックオフでお買い求めください。各100円、300円であなたを魑魅魍魎、摩訶不思議な世界へ誘ってくれます。(笑)
大阪午後から曇り。外では相変わらずキッ、キッと狐ならぬ怪しい名も知れぬ鳥が鳴いている夕刻である。

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2009.08.29

夏の終わりのハーモニー

Kousien

Kousien2

Pusan

Pusan2

うむ、まだまだ残暑が厳しい。
こうやって家で温和しくしているというのに残暑は容赦ない。
まだ蝉が鳴いている。その隙を突いて夕立ならぬ雨が降る。
バタンとベッドに倒れ伏し文庫をパラパラ。角田光代に吉田修一。
角田は毎月贈られてくるJCBの雑誌にエッセイを書いている。
吉田は毎月贈られてくるANAの雑誌になにやら短篇を書いている。
どちらも旅は道連れ、残暑に倒れ伏すベッドの友である。

甲子園。
なかなかしろくまの気持ちにはなれなかったが、今年もいくつかのゲームを堪能させて貰った。
準決勝2試合。観戦して帰途につくファンの足どりも軽かったり重かったり。今年もこうして甲子園の夏は終わってしまったのだ。
釜山。
何故か甲子園の最中に釜山へ出張。
朝、ホテルのカーテンを開け、目に入った靄にかすんだ光景がなんとも印象的だった。忙しくて街を散策せず。買い物といえば空港の免税店のみ。MISSHAのおねえさんは親切だった。

さて、雨も上がったようなので、本屋にでも行こうか。
角田光代の「八日目の蝉」でも探すことにします。
吉田修一は行き当たりばったりだ。
どなた様も忙しく、夏の終わりのハーモニー・・・・。

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