サルティホテル(3)

壁から突き出てとぐろを巻いたようなLANケーブルをノートパソコンに差し込むと、僕はおもむろに電源ボタンを押した。
やや間があってノートパソコンは立ち上がり、次から次へと画面を変えていって、デスクトップに並んだショートカットやらフォルダを画面の左半分にばらまき散らしてやがて静止した。
僕はマウスを操作してyoutubeに繋ぎ、現れたトップ画面の検索窓にmadonnaと入力する。そして画面に並んだマドンナの小さなビデオ映像を丹念に眺めながらスクロールし、Celebration official videoと書かれた文字をクリックした。画面に現れたマドンナは軽快に踊りだし、それにあわせて男の黒人ダンサーが妖しく舌を出したりなめずり回したりしながら腰をセクシーにくねくねさせて踊りはじめた。単調なリズムが僕のノートパソコンの貧弱なスピーカーからくり返し流れつづけ、マドンナは歌いながらミニのスカートから黒の下着をちらつかせて、やはり黒人ダンサーに負けじと腰を淫らに激しく振りながら叫んでいた。
僕はその欲望の露出したような淫らな腰の動きに目を奪われ、都和子のことをおもった。あどけなさの残る都和子の顔を思い描いていると、やがてすぐにその都和子が僕の頭の中で、黒人ダンサーがやっていたように舌をなめずり回し、腰をくねらせ、嗚咽するかのようにして激しく喘ぎはじめたのである。
都和子は先日ひょんなことから知り合いになった女である。
「ねえ、お金くれない?」
都和子はそういって、南京街の門を入ったすぐのところで僕に声をかけてきた。
門をくぐって左には中華まんを売っている店があり、その向かいには土産品店があり、観光客が道路いっぱいにあふれ出ていた。前からやってくる若者はカップに入ったから揚げチキンを無造作に鷲づかみし、女とはしゃぎながら大声で笑っている。そんな観光客とぶつかりながらも前に進んで行くと、南京街の象徴らしい小さな公園のような広場がある。
昼過ぎになると、昼食を終えた僕は大抵ここでひとり、道行く人たちを眺めていた。ここを南に下って、左に数十メートル歩いたところに僕のかつての職場があったからだ。その職場を辞めることになり、今は新しい職場に勤めるようになったのだが、そのときに治療を受けていた歯が痛みだし、4年ぶりに漆原歯科医院に通い始めた最初の日に、僕は都和子に声をかけられたのだった。
都和子は行き交う観光客に臆することなく僕に近づき、面と向かってお金を要求してきたのである。
「お金はないよ」
娘のような年齢の都和子に僕はぞんざいに言った。
「嘘を言ってもだめ。いま銀行から出てきたじゃない」
「銀行から出てきたからといって、金を持っているとはかぎらない」
都和子は怯まなかった。むしろ威圧的な態度は僕を混乱させた。
そんな都和子の横柄な態度に接したとき、僕は自分の意識の中にあのマドンナのCelebrationを感じとったのかもしれない。
南京街の象徴的な広場を右に見て、西に少し歩いたところに餃子を食べさせる店がある。観光客をやりすごしながら歩きつづける僕のあとを、都和子はなおも執拗につきまとった。
僕は黄色い看板でぎょうざ屋と書かれたその店の引き戸を開けて中に入った。引き戸を閉めようと手を伸ばした腕に、都和子はいきなり自分の両手を絡ませて僕を店内へと誘導したのである。
笑顔をつくって空いてるテーブルに向かう僕たちは、もちろんCelebrityであるはずもないが、親子と見られることはあっても、恋人同士と見られることなど当然といっていいくらいにあるはずもなかった。僕はここ数週間見つづけているマドンナの妖しい肢体と、その肢体に黒人ダンサーのどこか卑猥で、生き物のように変幻自在に唇を這い出してぬらりぬらりと奇妙な動きをくりかえす濡れて薄く光る舌と、これもまた人間とは思えない激しく上下させて勝手に歓喜するように動く下半身を思った。
店員がおいたコップの水を一口飲み、僕は焼き餃子と、ここではすでに有名になっているジャジャ麺を注文した。それにビールを追加すると、都和子は、
「わたしも同じものを」
といって店員の方を向いて笑った。
餃子用の味噌でできているらしい特製ダレを小皿にとり、それを箸でまんべんなく混ぜ、ビールを一口飲み干す僕を都和子はじっとながめていた。僕はかまわず空になったグラスにビールを注ぐと、それを一気に飲み干した。
「ビール、好きなのね」
「好きさ」
「ください」
「え?」
「わたしにも、ください」
都和子のいい方はどこかぎごちない。金をくれと見ず知らずの男に接してきたのだから、礼儀とはいわないまでも、さしあたり面と向かって切り出す会話は行き場を失ってぎごちなくなるのは当然のことかも知れない。
「君はどこの大学?」
都和子のグラスにビールを注いでやり、僕は訊ねた。
「わかるの? 大学生だって」
「ある程度はね」
「そう」
都和子は注がれたビールをグラスの半分ほど空け、僕の顔を正面からまっすぐに見据えた。隣のテーブルには大阪からやってきたらしい男ばかりの三人の客が、あわただしく餃子を運んで動き回る店員をつかまえ、この店の餃子が雑誌に紹介されていたことをしきりに説明していた。そんなどうでもいい話を無視して僕はグラスにビールを注ぎ、おもむろに壁に無造作に貼り付けられているいくらかの色紙に目をやった。TVで毒舌を吐いているタレントの色紙があり、その横にはおみやげに持ち帰れますと書かれた案内の細長い紙が、やはり無造作に愛想なくピンで留められていた。
「K学院です」
「え?」
「だからK学院です。大学」
「ああ」
僕はようやく運ばれてきた餃子のひとつを箸でつまみ、味噌でできた特製ダレをたっぷりからめてから口に入れた。香ばしいような、それでいて中途半端なだるい甘さを伴った味噌味が口の中にひろがり、僕はそれをゆっくり咀嚼しながらも、頭の中ではK学院のことを考え、そしてマドンナと一緒に卑猥に腰を動かしながら踊っていた、あの淫らな黒人ダンサーの舌の動きを思いだしていた。
「それじゃ僕の近くだ」
「なに?」
「大学とマンション」
「そうなんだ」
「別にどうってことないけど」
「うん、別にどうってことない」
都和子は僕を真似るように、餃子にたっぷり特性ダレをからめると、それをどこかのろい仕草で口に運んだ。僕はわずかに残っているビールを都和子のグラスに注いでやると、店員に新しいビールを注文した。それにつられるように、三人連れの中の一人の大阪がビールと餃子を追加注文した。昼とも夜ともつかないぼんやりと霞んだような曖昧な時の中で、南京街をあてもなく歩いている観光客の声だけが賑やかに店の中に押し寄せてきて、僕たちの会話の中に無遠慮に割り込んできてはやがて形もなく消えていった。僕と都和子は見知らぬ島にとりのこされた漂流者のようだった。
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