創作 ひや酒
昨日は姪の結婚式だった。
クリスマスイブの慌しい結婚式だった。
妻の妹の娘で、子供のころからよく知っている。
まだ小学校へ上がる前など、妹のところにお邪魔して酒を飲んでいると、三歳違いの下の娘とともに襖の陰からこちらを覗き込み、クスクス笑っていたりした。
その笑いは、わたしたち夫婦のことを、なかなかいい感じだなとも思っているようでもあり、おじさんは男前だなとも思えるようなものでもあった。ようするに女の子特有のませた静かな笑いだった。
笑うほかには何を言うわけでもなく、どことなく臆病な物静かな子だったのだ。
そんなときはきまってわたしは饒舌になり、勢いでどんどんひや酒をあおってみせ、父親とは違っていることを懸命にアピールしていたようである。
式は教会でとりおこなわれた。チャペルウエディングというやつである。
この小さな教会は函館の元町というところにあり、少し坂をのぼって右に曲がったところに亀井勝一郎の生誕の碑がある。碑には自分が生まれ育った地のロケーションを、ロシア正教会とヨーロッパの寺院と日本の神社仏寺に囲まれるようにしてあるといったような、そんな言い回しのことが綴られ、とにかく、異文化の融合した中でわたしは生まれたのだということをいいたかったようなのである。中学か高校の教科書でしか知らない亀井勝一郎が、ああそうだったのかと、はじめて碑に接したときに、わたしはわけもわからず興奮したものだった。
賛美歌を歌い、そして聖歌を歌い、教会の出口で派手にライスシャワーをばら撒いて式は終わった。12月の函館にはめずらしく雪もなく、肩透かしを喰らった感じだったが、やはり風は冷たく、北の教会の威厳のようなものを感じないわけには行かなかった。
披露宴のようなパーティが、教会のすぐそばにある、この地で最も古いといわれている老舗のレストランで行われた。宴が盛り上がってきたところで、司会者がわたしを指名し、歌の催促をしてきた。打ち合わせのとおり事が進行している。わたしは長渕剛の「乾杯」を歌うことになっている。結婚式のお定まりの曲だ。歌う前に一言ご挨拶をと言ってきた。打ち合わせにはなかった。歌う準備を整えて、ひや酒を立て続けに空けていたわたしはご機嫌だった。矢でも鉄砲でも、雪や霰が降ろうと泰然としたものだった。
咄嗟に考えたのは、数日前にアンコールで再放送のあったTVドラマ、「北の国から」の中の一場面を引用してみようとの思いつきだった。黒板五郎が遺言を書くのだが、純や蛍に残すものなど何もないと言った出だしで始まるあれである。五郎が言いたかったことといえば、自分が死んでもなんら富良野は変わることなくそこにある。自分のことなど忘れられても富良野はただそこにある。残すものなどないがお前たちが育った北の地はそのまま、ただそこにある。それでいい。それを伝えることがおれの遺言だと結ぶ。
そんな五郎の語りを聞いていて、わたしは勝手に、五郎の言いたかったことは、「還る」なのではないのかと思った。「還る」。輪廻転生。倉本聡さんに知れたら笑われそうだが、そのときはそんな風に思ってこのドラマを見ていたのだった。
「還る」か。なかなかいいな。そのとき、わたしは本当にそう思った。
だが、遺言の一場面を持ち込むわけには行かない。なんといっても目出度い婚礼の席である。ひや酒の勢いは怖いなと思った。
マイクを持ち、わたしは新郎新婦に向かって言った。厳粛なたたずまいの教会で歌った賛美歌や聖歌の意味などわからなくてもよい。ただ、神父さんの前でともに支えながら生きて行くと誓い、互いに署名したことだけは決して忘れることのないようにと。
ひや酒の勢いがいよいよピークに達していたようである。ひや酒はやはり怖いのだ。
そのあとで披露した「乾杯」も、勢いのよいものとなって参列者の脳裏に刻み込まれたに違いなかった。
酒に関していえば、太宰治がこんなことを書いている。
そもそもお酒はお燗をして、小さい盃でチビチビ飲むもので、コップ酒、茶碗酒などは新聞種の大事件で、ひや酒となると、これはもう陰惨きわまる犯罪のなにものでもない。
このように、ひや酒などは一刀両断である。わたしはなんとなく目出度い席で犯罪を犯した心境になっていた。
帰りに寄った妹の家で、わたしはさらに次の犯罪を犯すことになる。
酒がふんだんに振舞われた。コップにひや酒をなみなみとついで飲んだ。すでに意識が遠のいてゆくのがわかる。太宰流に言えば、そばに構えている妻がこう言うことを口走るはずだ。
「まあ、あなたったら、どんな苦しいことがあったか知らないけど、そんな飲み方をするくらいなら、いっそのこと、わたしを殺してからにしてくださいな」
ちょうど、そんなところに新郎新婦がやってきた。花嫁衣裳の姿はすでにない。
わたしのそばに座って料理をつまんでいる新婦は、小さいころに襖の陰からこちらを伺っていた面影などすでになく、若い女性特有のはじけそうな色香さえ漂わせている。
「おじさん」
と言って、姪がなにやら気恥ずかしそうにバッグから取り出した。
「これ憶えている」
卓の上には円形の、紙でできた5枚のコースターが置かれた。
わたしに憶えがあるわけがなかった。
「もう、19年にもなるわ」
姪の話では、19年も前のクリスマスイブの夜、酔って妹のところに寄ったわたしが、プレゼントだと言って、寝てる姪たちをたたき起こし、ケーキとともに置いていったのがこれだと言う。手にとって見ると、どうやらスナックで貰ったらしい、ただのコースターだった。
19年前と言えば、わたしはいくらか荒れた生活をおくっていた。この地を離れなければならないといった、切羽詰った、荒んだ生活だった。クリスマスなんてどうでもよかったはずである。わたしはグラスに残ったひや酒を一息で飲んだ。
「魔除け」
怪訝そうにしている、その場に集まった幾人かの親戚のものに向かって、姪が先回りをして言った。
「魔除けか、そいつはいい」
一同がどっと笑った。
「仁さんから貰ったものなら、そりゃ、みんな魔除けださ」
笑いをひきとって言ったのが誰なのかは判らない。
わたしはコースターの一枚を手にとり、そして裏を覗き見た。きらびやかな表の絵柄とはちがい、なにやら小さな文字がぎっしり書き込まれていた。わたしは無意識に胸ポケットを探った。すでに眼鏡を必要としている年齢になっている。
「魔除けは読んじゃいけないことになってるのよ」
姪はわたしからコースターを奪い取ると、すこしはにかみながら言った。
「でも、ちょっとだけ教えてあげる」
姪が言うには、わたしがこの地を去った後の18回のクリスマスの出来事をずっと書き綴っているというのだった。日記と言えば言えなくもない。そんな類のものらしい。
「父が亡くなったときのものがこれ」
姪は、コースターの一枚を引き抜くようにしてかざしてみせた。
「あのときは大変だった。吐血がね」
妻の妹がそう言うと、姪は静かに頷いた。
「あれだけの血が人間の体内にあるなんて信じられなかった」
「もうすでに手遅れだったわ」
「末期癌ってやつだから」
わたしが付け足した。
どうしてこのような話になって行ったのかは解らない。
ひや酒の酔いがそうさせたと言えばそうなのかもしれない。
わたしが飛んで帰ったときには大量の吐血の後だった。
「魔除けじゃなくなっていた」
「そうね。父さん、死んじゃったから」
「で、この後の続きはどうなる」
「なにが?」
「コースターの日記。書くところがもう無くなっている」
姪はちょっと笑ったようだったが、わたしには無理に作った笑いのように思えた。
「それでいいんだよ」
自分で言ってから、何がそれでいいのか判らない。いい加減なものだ。
その後で、わたしは婚礼の席で言えなかった、「北の国から」の「遺言」について、適当にその場を繕うように、饒舌に語ってみせた。それはまったくの出鱈目な作り話である。
その中でも、「還る」についてはさらに饒舌になった。輪廻転生。
亡くなった姪の父が、「還る」とどう結びつくのかについては、まったく意味もなく、ただの戯言に近いものだった。五郎のいい加減な語り口調に似ていた。
「ただそこにあるんだよ、富良野は」
「父さんは『還る』んだ、還ってくるのさ」
もうすでに何を言っているのか判らない。
姪は半ば呆れたように、それでもやさしい笑いを作って頷いていた。
姪はこのコースターを教会まで持ち込んでいたらしい。
「よかったわね」
妻が姪に寄ってきて言った。
「なにが?」
「コースター」
「うん」
「遺言ねえ」
「うん」
「還るんだって」
「そうね」
姪の表情が、かすかに硬いものになって行くのがわかった。
「しあわせ?」
「うん」
「それならいいのよ」
「母さんをよろしく」
「わかってるわよ」
妻が姪の手をしっかりと握っている。
わたしたちに子供はいなかった。
「今年のクリスマスイブは雪がないね」
わたしは誰にともなく言ってみた。
相槌など打つものもなく、笑いが一斉にあがった。
姪は何事もなかったように、蟹のほぐした身を口にしている。
その隣で新郎である男が、申し訳なさそうに、ビールを飲んでいた。
新郎には失礼な話だが、この場にもっともふさわしくないのは彼のような気がしてならなかった。縁というのは不思議なものだ。
わたしは彼のコップにひや酒をついでやった。
ぼんやりした顔をこちらに向け、ぺこりとひとつだけお辞儀を返してよこした。
気のいいやつにちがいない。
その後のことは覚えていない。
わたしの意識はさらに遠のいていった。
<了>
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