木下順一さんのことなど
函館在住の作家、木下順一さんが亡くなった。
木下さんといえば、長く函館タウン誌『街』を編集されていて、函館でも知らない人がいないくらいの人物で、その風貌からくる威圧感は、会う人たちを絶えず圧倒した。
僕は函館にいた時分、木下さんとは少なからずお付き合いがあった。
まず最初の出会いだが、これは強烈な印象だった。
白いものが混じった髭をたくわえて、ギョロリと目を剥いてこちらを睨みつける。
ジャズ専門誌『スイングジャーナル』に投稿しようと思っていた原稿を見るなり、
「これ、『街』にくれないか」
と言うのだった。
その後になって、僕は何回か函館タウン誌『街』に原稿を執筆した。
執筆したと言っても、随筆らしきもので茶を濁した程度というか、木下さんはよくこんなものでも満足してくれたものだなと、今でも思い出すたびにちょっと恥ずかしい気分になってしまう。
その頃、木下さんは函館文学学校の講師を務めていて、文学学校の卒業生たちが同人誌を作ったりすると、あれやこれやと口うるさくその指導にあたっていた。
僕の所属していた同人誌も、ごたぶんにもれずその卒業生達が中心になって立ち上げたものだが、僕自身はというと文学学校にも行っていないので、木下さんとは恩師といえる関係でもなかったのである。
そんな強みもあって、我が同人誌の合評会などで辛辣な批評を受けようものなら、それはそれでこちらも応分の抵抗を試みるというか、自作に関してかなり執拗に反論を展開したりした。
木下さんが下戸なのを知っていて、合評会の後の飲み会などでは彼に噛みつき、相当やりあった記憶もある。
大先輩に対して随分失礼なことをしたものだと、今になっても冷や汗ものである。
当時、函館の五稜郭に「カチューシャ」というロシア料理のお店があって、ここへは足繁く通ったもので、酒の飲めない木下さんとばったりお会いすることも屡々あったが、そんなとき、彼は大抵、女性陣の輪の中に入り、懸命にと言うか、一生懸命になってなにやら講釈をたれているのである。
僕はそんな木下さんを見やりながら、良い気持ちになってロシアのウォッカ、“ズブロッカ”をひとおもいに飲んでいたりした。
ロシア文学、中でもドストエフスキー論を得意とする木下さんの饒舌はとどまるところを知らず、女性陣は皆従順な子羊のように、ただただ頷いているだけなのであった。
小児の時にすでに病に冒され、片足を切断してしまっている木下さんの歩く様はいつも痛々しかった。
本人もこれに関してはかなりの劣等感を抱いていたようで、ただ後年、これを逆手にとって、足の不自由な主人公などを徹底的に描き切り、演出する作品を多く書くことによって独自の木下純文学を確立したと、僕は思っている。
ここに紹介した作品『湯灌師』は、死者の顔に化粧をほどこし、唇に紅をさすことを生業としている男の話である。
死者。死はそのひとの終わりではなく死後の世界のはじまり。口紅。化粧。生と死を見事に対峙させて、この作品は怖いほどに圧巻である。
『湯灌師』については、著者である木下さんから直接いろいろ話を聞いたことがあるのだが、そのほとんどはすでに朧気だ。ただ、義足で人生のほとんどを生き抜くことを余儀なくされた木下さんの死生観が、その根底に潜んでいることくらいは話の端々から容易に察しがつき、その記憶だけは今でも鮮明だ。
この他にも『人形』、『庚申』と上質な作品は沢山あるが、特に障害者の“性”の問題に正面から挑んだ『人形』は忘れられない作品のひとつだ。
この作品もまた、少年の頃に片方の足を失った木下さんの人生観が色濃く滲み出ていると言っても過言ではない。
木下 順一 (キノシタ ジュンイチ)
1929年、函館生まれ。
函館のタウン誌「街」の発行人。
函館文学学校講師。
函館文化賞受賞。
北海道新聞文学賞受賞。
主な作品。
・六号室
・湯灌師
・人形
・庚申
・天使の微笑み
・少年の日に
・片足のガロ
・礼服―中折帽とセーラー服
・神様はいますか
彼の叫びが聞こえてくるようです。
享年76。
惜しい人がまたひとりこの世を去った。
そっと瞼をとじると、あの元気だったお顔と伴に、義足をぎこちなく引きずって歩いている木下さんのどこか寂しげな後ろ姿が思い出されてならない。
木枯らしの吹き始めた神戸からそっとその死を悼む。
ご冥福をお祈り申し上げます。
合掌。
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コメント
はじめまして。minaと申します。
湯灌師のキーワードでこちらに辿り着きました。
私は函館出身ですが、かれこれもう20年近く
東京に住んでおります。父がまだ函館におりますので、時々 故郷へ戻ります。
実は、つい最近 縁あって木下順一さんの「湯灌師」を読むこととなりました。その小説は木下様が直接ある方に、差し上げようとして自筆で言葉を添えて頂いた本です。「差し上げようと思っておそくなりました 順」という和紙が本にはさまれておりました。本を開くと表表紙に1999年1月20日と木下順一とありました。
廻り廻って 私のところへ届きました。
私は最近 誕生日を迎えてその日から4日間のお休みがあり 少しずつその小説を読んでおります。
恐らく本日 読み終えるものと思います。
私自身は木下順一さんに お目にかかったことはございません。縁があってか この本が手に届き読むにつれて不思議な気持ちとなっております。
信天翁様のページに辿り着いたのも何かのご縁かも知れません。また、寄らせて頂きます。
突然、失礼致しました。。。
投稿: mina | 2006.10.03 18:21
minaさん、はじめまして。
廻り廻ってですか、なんとも不思議なご縁ですね。
て、木下さんとですが。(笑)
さて、どなたに贈られたものが巡り巡ってやってきたものなのでしょうね。
達筆だったでしょう? 意外と綺麗な文字をお書きになる人なのです。(笑)
「湯灌師」については木下さん自身、相当力を込めてお書きになった小説で、会って話していると、その背景なんかをけっこう熱を帯びて解説などしておりました。
この解説が木下流というか、いつもそうだったのですが、圧倒されっぱなしでした。迫力がある。説得力がある。怖いくらいに。(笑)
函館文学学校の講師をしていた関係上、いつも生徒である女性達に囲まれ、嬉しそうに笑っていたお顔が懐かしく思い出されます。
これをご縁と思われるのでしたら、「六号室」、「人形」、「庚申」なんて作品も一度読まれるとよいかも知れませんね。
探すのがちょっと難しいかも知れませんが。
またのご訪問をお待ち申し上げます。(拝)
投稿: 信天翁 | 2006.10.04 18:24
こんにちは。私 これから仕事に出かけますが、少しだけこちらに寄らせて頂きました。
私自身は函館出身で若き日に空飛ぶウェートレスをして その後にJRAで勝利騎手インタビュアーなる仕事をさせて頂いておりました。
木下さんとは 直接的な関係はないのですが・・。遠縁とでも言うべきでしょうか???
先日、「湯灌師」を読ませて頂き 私自身は大変に気になる作品でありましたのも事実なので函館にいる叔母に木下さんの他の小説を頼みました。
自叙伝やら、また原稿が途中のものやら まだあるわよということで送って頂くことに致しました。まだ、手元に届いておりませんが・・・。
確かに 達筆でいらっしゃいました。
奥様も達筆でいらしたと言っておりました。
お年賀状などを毎年 私の父なども頂いていたようですので・・・。
湯灌師を読み その一部ですが もしかしたらこのことを書かれたのではないかと思うようなところもありました。私も 木下さんに直接そういうお話を聞けたら良かったのに・・・。
この3,4日前になりますが 木下様のお母様が札幌で息をひきとられたそうです。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
私は純文学が好きなんですが、そうして函館が好きなんですが 木下順一さんを知らないとは もぐりのようなものですね(笑)また、寄らせて頂きます。ご多忙のところ ご返信くださってありがとうございました。
投稿: mina | 2006.10.05 11:25
minaさん、
>こんにちは。私 これから仕事に出かけますが、少しだけこちらに寄らせて頂きました。
このコメントの入り方、イカしてます。(笑)
木下さんとは遠縁にあたるのですか?
そして函館にいらっしゃる叔母様が木下さんの生原稿をお持ちなのですか?
お手元に届いたら、大事に扱ってくださいね。
純文学なんて屁のようなものです。
もぐりもまた良し。(笑)
そうそう、同じコメントが二つ届いていましたので、一つは削除させていただきました。
悪しからず。
またのお越しをお待ち申し上げます。
信天翁拝。
投稿: 信天翁 | 2006.10.05 21:45