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2005.12.29

遠い残像(四)


            2

 晩い夕食をすませ、何気なくテレビのスイッチを入れると、航空機事
故のニュースが映し出された。
 どこの国かわからないが、航空機事故にはめずらしく多くの生存者が
いるようで、リポーターがマイクを持ち、叫ぶように早口で報道してい
る。
 画面では、頭を包帯で巻き、血を顔面一杯にはりつけたような若者が、
事故の模様を力なく、それでもどこかしら落ちついた様子で話していた。
 その若者が画面から消えると、航空機の残骸の中から、上半身を出し
た婦人を、救助隊のものらしい屈強な男が二人がかりで、引っ張り出し
ているところが映った。叫ぶようなリポーターの声はなく、それにかわ
って、婦人の絶叫する痛々しい声が大きく響いた。残骸の中に隠れてい
る脚は、なかなか引きづり出されない。
 婦人は、ほとんど悲鳴に近い声で泣き叫んでいる。
「きっと、脚は折れているよ」
 顔を画面から背け、片方の耳を押えている妻に私は言った。
「こんな惨事を、あなたはよく見ていられるわね。残酷だと思わない?」
「誰が? 婦人を引っ張り出している連中かい」
「ばかなこと言わないで頂戴。平気で報道する人たちにきまっているじ
ゃない」
「でも、叫んでいるってことは、生きているんだから運のいいひとなん
だよ。このひとは死にはしないよ、大丈夫さ」
  妻は、あきれたような顔をして私を睨んだ。
「この報道自体がおかしいと思わない。何のために、このような映像を
送り出すのかしら。どういう意味を持つのかってこと。あなたは気がつ
かなかったかもしれないけれど、さっき、リポーターの横で、グッタリ
として動かない子供を見たわ。母親らしい女に抱かれていたけど、きっ
と、死んでしまったにちがいないわ」
「俺も見たよ」
「ああいう映像を一刻を争うかのように、世界の人たちに見せたからっ
て、 一体、何になるのかしら。航空機事故が無くなるとでも言うのかし
ら。残酷なだけじゃない」
 画面では、なおも婦人が悲痛に叫んでいた。
 妻の苛立ちが一層増すのをさけるため、私はテレビのスイッチを切っ
た。ボッというようなにぶい音をたて、一瞬、花火が炸裂するように輝
きを増したかと思うと、あっけなく映像はぼやけだして消えた。

 コーヒーを飲みながら、私は妻とは別なことを考えていた。
 私は、運がいいな、と胸の中でそっと呟いてみた。いつの頃からか、
大きな事故を見るたび、自分は運がいいのだなと思うようになっていた。
多分、それは、友人が船火事で死んだときから、突然起ったものにちが
いない。その男は同じ職種に就いていたが、航海中に起きた火災に遭い、
あっけなく死んだ。岸壁に横着けされた船内にカメラが入り、その友人
が黒焦げになって倒れていたという部屋を映し出した。壁も、机も、ベ
ッドまでもが想像を超えて焼けただれていた。机の上には元の形を失く
し、融けてぐったりとした花瓶が生き物の残骸のように横たわっていた。
私が一ケ月前に、その船を下船したときに置いていったものだ。

 カメラはその花瓶を執拗に撮りづづけ、その後で、再びベッドを映し
た。私は、黒焦げになって判然としないベッドに向って、掌を合せた。
そして、頭の中では、運がいいな、と独り言をそっと呟いていたのだ。
「どう考えても残酷なだけよ。他に、どんな意味があるっていうのかし
ら」
 妻が、釈然としないのか、消えた画面に向って、苛立ちを隠さずに言
った。
「きっと、あなたたちは運がいいのですよ、と問いかけているつもりな
んだろう」
 私は面倒臭そうに、説得力のない答えを返した。
「そんなものかしら、無責任ね」
「報道が、それとも俺のこと?」
「両方よ」
 妻は不気嫌そうに私を睨みつけた。
「鏡子さんっていったかしら、あなたの同級生。あの後、お電話がない
わね」
 妻は立ち上る姿勢をぎこちなくもどすと、私から視線を外して言った。
「もう、こないのかもしれないよ」
「でも、あなたの居る日を伝えておいたわ」
「憶い出せないのだから、諦めたんだろう」
「本当に、あなたは記憶がないの。二十数年も前のことですもの、わた
しに気を遣うことはないのよ」
「憶い出せないものは、憶い出せないのさ。どんな女性だったのかも、
まるではっきりしない。おそらく、誰かと感違いしているのかもしれない」
「そんなこと言ったって、あなたの名前をはっきり言っているのでしょ
う。それじゃ、やはりあなたに問違いないわ。記憶に失いなんて言うの
は、おかしいのじゃなくて。失礼なことよ」
「鏡子という女性にかい?」
「わたしにだって失礼よ。何事も曖昧にしないで頂戴」
「別に曖昧にしているわけじゃないよ。本当に憶い出せないのだから」
「どうなのかしら。いつもそう言って逃げるひとだから」
 そう言って妻は立ち上ると、バスルームに消えた。浴槽の栓を抜いた
らしく、排水口に吸い込まれる勢いのいい水の音が、バスルームに跳ね
かえってとどいた。その音に重なり、掻き消されるように、たよりなく
電話器の電子音が鳴った。妻はバスルームを点検し、そのまま寝室に消
えた。電子音の呼び出しは、どこか生き物の呻き声に似ていた。

 私はゆっくりと受話器を持ち上げた。
―まあ、めずらしく今日はいらしたのね―
 鏡子だった。私はわけもなくパスルームに目をやり、それから、用心
深く妻の消えた寝室を窺った。
―驚くことはないわ。先日も電話したのよ。山科君は船に乗っているっ
て、でも、今日ならいるからって奥さまが教えてくれたわ。やさしい声
をしているのね、山科君の奥さまって―
―勤務が不規則だから、家にいないときの方が多いんだ―
 私は意識的に、妻に聞えないように構えて言った。鏡子にも遠慮をし
て話しているようだった。
 何故、そんな風に鏡子に遠慮しなければならないのかわからないが、
とにかく、私は鏡子の声を開いた途端、本能的に防禦の体勢をとっていた。
―仕事ばかりじゃないって言っていたわ。夜遊びばかりしていちゃいけ
ないわ―
―そんなに出てはいないよ。いまだってこうしているんだから―
―自慢になんかならないわ。そんなことより、木当に自慢のできること
をやらなきゃいけないのよ。きっと、奥さまだって安心するはずよ―
―女房は安心しているよ―
―どうしてそんなことがわかるのかしら。勝手な思い込みはいけないわ。
昔とちっとも変っていないんだから―
 私は溜息をついた。わざとらしく大きく息を吐き出すことで、こちら
の不気嫌な様子が、いくらかでも電話線を通して鏡子に伝わることを祈
った。
―いま、なにをしていらしたの―
 鏡子は気にする風もなく、落ちついた口調で言った。
―テレビのニュースを見ていたところさ。航空機が墜ちたんだ、知って
いると思うけど―
―知らないわ。テレビは見ないのよ―
―へえ、テレビは嫌い? ―
―あなたに言ってもわからないと思うけど、テレビを見ていると頭が痛
くなるのよ。テレビだけじゃないわ、本を読んでいても、頭が割れるよ
うに痛くなることもあるわ―
 気落ちしたのか、鏡子は、思いがけないほどの小さな声になって静か
に言った。
―まあ、テレビに関しては見ない方がいいのかもしれないけどね。いま
も、女房とテレビの批判をしていたところなんだ―
―ありがとう、慰めてくれているのね―
 鏡子は、めずらしくやさしい声になっていた。
―ひとの話を聞くのが好きなの。こうやって山科君と話をしたり、圭子
さんと子供の頃の思い出を話し合ったりするのがとても好きなの。どう
してかって言われても困るけど、いまも、E中学の卒業アルバムを開いて
いたのよ。あなたも澄まして写っているわ―
―そのアルバム、僕の手元にないんだ。引っ越してくるとき、どうも紛
失したらしい―
―そう残念ね。それじゃわたしのこと、憶い出すこともてきないわね。
でも、そのうちきっと憶い出すわ―
―努力はしているんだ。きっかけがあればいいのだけど、それだって、
他の同級生に聞くことだってできるし、なんとかなると思うよ―
 私は、その場を繕うように曖昧なことを言った。
―こうしてアルバムを開いていると、不思議なことばかり考えてしまう
わ。ほんとうに小さかったのね、わたしたちって。丁度この頃、わたし
は夢をみていたわ。あなただってそうかもしれないけど、夢は大きい方
がいいのよね。圭子さんは、アメリカに留学することばかりを考えてい
たらしいわ。つい先日、遊びにいらして教えてくれたんだけど、中学生
にしてはませた夢ねって大笑いしたのよ。それに較べたら、わたしの夢
なんて小さなものだったわ。すっかり忘れてしまっていたというのに、
圭子さんが憶えていてくれたのね。あなたは、どんな夢だとお思いにな
るかしら。内緒にしておきたいのだけど、教えてあげるわ。わたしの夢
はね、お嫁さんになることだったんですって。なんてつまらないのかし
らって、ふたりで、また大笑いしてしまったわ。情けない話ね―
―いや、素敵な夢じゃないか。女の子は誰でも、そう思うって言うからー
―ほんとにそう思う?―

 鏡子はそこまで言うと、可笑しさがこみあげるのか、ふふ、と小さく
笑った。私も釣られるように、意味もなく笑った。笑いながら、可笑し
なものだなと思った。鏡子という女に釣られて、子供の頃の話に引きづ
り込まれていることが可笑しかったのだ。ふたりが何年ぶりかで偶然に
再会し、お互いに、面影の輪郭をおぼろげながら確認し合い、その頃の
ことを懐しんでいるのではない。考えてみれば、ふたりとも、過去はど
うあれ、まったく知らない者同志といっていいのだ。

―あなたの夢はなんだったのかしら―
―夢なんてあまり持たなかった。強いて言えば、外国航路の船長になる
ことだったのかな―
―圭子さんと一緒なのね―
―なにが? ―
―外国に行きたかったなんて、 一緒な夢を持っていらしたのね―
―多分、オリンピックが東京で行なわれた影響があるのかもしれない。
普通の子供たちは、みな、外国に憧れたのじゃないかな―
―わたしだけが普通ではなかったって言いたいの? ―
―そんなことを言っているんじゃないよ。話がどうもおかしくなってし
まう。そんなことより、今日は何かあったの?―
―同じことを言うのね。ご用がなくては電話をしてはいけないのかしら―
 鏡子は、挑みかかるような口調で、語気を荒げて言った。にわかに私
は不安になった。そもそも、何故不安になるのか、私自身にもわからな
いのだ。
―たいへんなの? ―
―仕事ならそうでもないけど―
―事故よ、航空機事故のことを言っているの。大勢のひとたちが亡くな
ったのかしら―
―結構、生存者がいるみたいなんだ。運のいいひとっているんだね―
―そんな言い方は失礼だわ。だって、事故に遭うことが不運なんです
もの。事故に遭ったことのないひとって、きまってそういうのよ。山
科君だってそうなのよ―
 私は、黒焦げになって死んでいった友人のことを、鏡子に話そうと
思ったが止めた。鏡子にいっても、わかってもらえないような気がし
た。どんなに友人の死を悼んでみても、たしかに、私は運がいい側か
らしか、友人のことを伝えられないような気がしたのだ。なによりも、
鏡子を刺激してはならないという思いが、ふいに起こったのもたしか
だった。

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