「電車の中で」を読む

黒井千次著になる短篇である。
これを読んでいて大抵の場合がこころあたりのあるものだった。
主人公の男は、電車が停車して扉が左右に開き、『さあ、乗れ』と呼びかけてくる車内に対する脅えがあり、プラットホームに立つ自分が車内の人となることへの気後れがある。
これは定年後にやってきた脅えや気後れであり、定年前の通勤時にはそんなことはなかった。むしろ通勤時は颯爽として、溌剌としていたにちがいない。
仕事を終えた人間がある時を境に今までの日常を俯瞰すると、この電車のプラットホームと車内の関係のように、グニャリと歪んだまったく異質な日常となって出現するのだ。
この男が対面に座る男と目が合い、執拗に睨みをきかされて、終始睨みつけられる車内の時間の流れはかなり怖い。
そしてこのようなシチュエーションは日常では結構あることなのだが、すれすれのところでわれわれは均衡を保っているのかも知れない。それだから、この対面の男が主人公と同時に降車する際に投げかけた科白、
『ま、長生きしてくれや』
は重たく、そして恐怖とともにのしかかる。
優先席に座る若者をステッキで小突き、さらに言葉を発することなく顎で意思表示する老人なんかも、これはこれでかなり怖さを伴った、通常あり得る異質な日常と言えるのだろう。
著者は定年という時期を境に見えてくる、ある種何処にでもある日常の内と外の異質性を提示するが、私なんかは定年なんかは先のことだが、この「電車の中で」の出来事に敏感に感じ入ってるひとりだ。
男とは目は合わないが、女性とならたまに目が合ってしまう。
するっと目を逸らすのは決まってこちらだが、この小説のように、執拗にかの女性が見つめ続けてこようものなら、おそらく、これはこれで困った事態であり、どぎまぎして席を立ってしまうかも知れない。
すでに、この小説の主人公のように、老界を彷徨ってる証なのかも知れない。
このブログで電車通勤の出来事などを相当書き込んでいるが、そんな思いもあって、この「電車の中で」には敏感に反応してしまったのかも知れない。
そして、この主人公が定年前の通勤時にいつも座る席だが、これは今私が通勤時に座っている席とまったく同じところなのである。ただ、この主人公と違うのは、この男が乗る車両が八時十二分発の後ろから二輌目なのに対し、私の場合は八時0四分発の前から二輌目ということだけだ。
やはり、すでに老界を彷徨っているのかも知れない。
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コメント
>『貰い物』 (2006/06/07)
レスありがとうございました♪
自分の「居場所」・・心のどこかで、何時も探してるようなとこあります。
電車でもお店でも> 空いてるときは・・^^
勝手に?決めた席に別の人が居たりすると、ちょっとガッカリしますし。(・・;
人の視線って気になるんですけど、こちらは何気なく見たつもりなのに、
それを相手に気付かれちゃうと、悪いことでもしたような気持ちになったり・・・
投稿: sion | 2006.06.10 22:28
sionさん、
そうなんですよ、最近は何処ででも居場所を探していたりするんですよね。
電車は特にそうです。自分がいつも座る席に誰かが居る、ちょっとだけ、そしてさりげなくお顔を拝ませて貰ったりしています。
ええ、別に悪気はなくですよ。(^^;
そこで人の視線です。オオゲサダ...。
自分では気が付かないけど、視線が合ったりすると、人ってあまりいい気はしないものかも知れませんね。
ガンをつける、ガンを飛ばすというように、ろくな表現がないし、やはりさりげなく視線が合ってしまったら、さりげなく外すというのが礼儀なのかも知れません。
て、そんなの礼儀っていうのかどうかは知りませんが・・・。
でも、お綺麗な方がいると無意識に視線を向けたりしてしまう。(^^;
礼儀をわきまえてさりげなくではあります...。
投稿: 信天翁 | 2006.06.11 12:33