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2008年12月に作成された記事

2008.12.31

歓喜の歌

Karajan_no9

2008年大晦日。
カラヤンの第九をかけっぱなしで大掃除。
いろいろあった2008年よさようなら。
いろいろありそうな2009年よこんちにちは。
歓喜の歌を口ずさみながら。
函館晴れ。風ひとつ無し。爽快なり。

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2008.12.29

眼鏡

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朝起きて、新聞の代わりにTVを入れると亡くなられた緒形拳さんが映っていた。
NHK制作の「プラネットアース」である。地球を旅する番組であるが、癌が侵攻していたであろう緒形さんにとっては痛々しい場面もかなり少なくなかった。
緒形さんの顔をまじまじと拝見していると、そこに共通してある彼の若々しさを作っている秘訣みたいなものがあって、そこばかりを興味を持って注視していた。それは眼鏡である。緒形さんは撮影のその状況状況に応じて眼鏡を代えていたのである。稀代の個性派俳優は病に冒されようともお洒落を貫き通していた。人生かくありやである。

復原力がなくなっている。
船の復原力とは船を立て直す力のことで、揺れに大きく傾いてもそれを起こして体勢を立て直す、それが復原力であり復原性という。
私の場合の復原力、それはたくさんお酒をいただいた翌日でもしゃきっとしていること、それである。
ここ数日お酒を飲んで家でゴロゴロしているが、翌日がどうもいけない。これしきのお酒で翌日すぐれないで頭の芯の方がじんじんするようでは先が長くないかも知れない。
そんなこともあって、久しぶりに昔の仲間から今晩お付き合いの連絡があったが、丁重にお断りすることとなった。

12月というのは日が短くていけない。気がつけば日は落ち、薄墨がサッと掃くどころか、あっという間の闇夜の世界である。体調を崩してしまうのもこの闇夜が隙を突いて一撃をくれるからなのだろう。そんなときはゆっくり休むに限る。何も考えずに休むのが良い。慌ただしく、忙しい1年だったのだから。
今しがた、2月末まで閉鎖が延長されたという緒形さんの公式サイトを拝見していて、稀代の個性派俳優にならって遠近両用眼鏡にカラーでも入れようかと思った。これで復原力が回復するようだと良いのだが。フレームはやはりセルがいいな。
函館天候くもり。まもなく、あっという間の闇夜の襲来。合掌。

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2008.12.26

優しい時間

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そんなTVドラマがあった。富良野が舞台だったがここは富良野ではない。
国定公園大沼。正確にいえば東大沼である。
夕方、いつもお世話になってる温泉に行った。なんといっても僕はここの「湯けむり会員」なのだ。
クリスマスの大沼はいたって閑散としている。若者達はこぞって街に繰り出すのだから、あんなににぎわった夏とは違って閑散としているのも当たり前といえば至極当然のことだ。
誰もいない。これが本当の貸し切りだと思った。そぼ降る冬の雨が雪に変わったのはトンネルを抜けたときだった。冬の雨というのもここでは珍しいことだが、トンネルを抜けるや雪に変わるというのもなにやら歌の歌詞のようで、あるいは大文豪の小説にも似ていて、なんとはなしに幸せの気分に浸ったのだった。

露天風呂も貸し切り状態で、しとしと降る霙混じりの雪を見ていると、ふいにガァー、ガァーと鳥の鳴く声が聞こえ、薄墨をサッーと掃いたような暗い空を見上げると、なんと6羽の大白鳥があざやかな飛行を見せているのだった。
さすがに大白鳥の飛行は雄大だ。以前、丹頂鶴の飛行するところを見たことがあるのだが、大白鳥も丹頂には負けていない。あんな大きな形をしてよく飛ぶものだ。アホウドリもそうだが、鳥というのはつくづく不思議な生き物である。
そんなことをいっている人間が一番不思議な生き物に違いないのだろうが・・・。
頭寒足暖。冷たい風が頬を撫で、湯は足から身体全体を温めて気持ちが良い。
頃合いをみて露天風呂を出て中にもどると、クリスマスでもないのだろうが、浴室内にオルゴールの曲が流れていた。頭にシャンプーをふり、聴くともなくその曲に耳をやると、「銀の流の背に乗って」だった。そのあとにつづいたのが「宙船」である。クリスマスキャロルでないところがいかにも良い。降参。
とうとう誰も来なかったひとりさみしい聖夜だった。こんなサイレントナイトもたまには良いものである。
のんびり自宅でモダンジャズカルテットを聴きながら。

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2008.12.20

グッバイ

Mati_6

昨夜は逃げる男だった。
Sさんの髪は黒く、その量も豊富だがお歳はすでに60代の中半だ。沖縄の風土がそうさせたのか、あるいはSさんの遺伝子の成せる技なのか、はたまたSさん自身の努力の賜なのか、とにかく風貌は驚くくらい若いのだ。
そのSさんの送別会兼忘年会が昨晩あった。暮れの12月、師走の退職である。しんみりすることもなく、笑って大いに騒いだ。そんなときでも何故か僕は逃げる男なのである。Sさんはともかく、いや、Sさんと個人的になら深夜までだろうと付き合ってもよかったのだが、如何せん、酒癖のあまりよろしくない御仁が複数いたこともあり、僕は逃げる男になったのだ。
会も終わって三々五々、しめしめと思いつつ地下鉄御堂筋線の改札を通過すると、なんとそこに立っていたのはSさんだった。Sさんは見るからにほろ酔い加減で一人で突っ立っていた。
「やあ、こんなところに・・・」
何がこんなところか解らないが、僕の口をついて出た言葉はそんなものだった。含羞。含羞とははにかみである。僕ははにかみながら頭をかき、買ったばかりのニコルの眼鏡フレームに手をやった。それに合わせるようにSさんも少年のようにはにかんだ顔になって、
「やあ」
と言って笑った。
逃げる男を詮索することもなく、Sさんはその黒々とした豊富な髪をかき上げ、FさんとTさんが来るのを待っているんだと言った。
「切符を買ってくると言っていたんだが、まだ来ないんだ」
「券売機には誰もいませんでしたよ」
FさんもTさんも酒を飲んだら見事なゴロツキに変身する。僕はひとわたり周りに目を配り、ゴロツキを探した。
「まあ、それならいいんだ」
「帰りましょう」
二人で混雑している御堂筋線に乗り込んだ。忘年会帰りらしい酔っぱらい連中に囲まれて突っ立ち、逃げる男は観念した。
Sさんは送別会で贈られた小さな花束の入った紙袋を大事そうに下げている。大きく開いた紙袋から名前の知らない花が顔を覗かせていた。名も知らぬ花の質素さと、花束を入れるにはまるで素っ気のないスーパーでくれるような紙袋の取り合わせは、そのままSさんの現在の心境なのかも知れないなと僕は思った。
「さて、これからは君たちの時代だな」
照れを隠すようにしてポツリとSさんが呟く。ちょっとだが呂律が怪しい。
「そんなこと言ったって、来年は還暦ですよ」
僕は二つ折りの携帯を起こし、メールに目をやる。山口つなみからのものが一通。今日も逃げる男なのだなと図星なことが書かれてある。
「構わないよ、メール」
「いいんですよ」
あんなに大きな声で笑っていたというのに、Sさんはいつしか神妙になっていた。

夏の頃にもこんな二人のシチュエーションがあったのを僕は思い出していた。
そのときのSさんは改札を抜けると酔いに足を取られ派手に転けてしまった。意外と大柄なSさんを抱えて阪急電車まで歩くにはかなり不自由だった。男にぶつかり、女にぶつかり、すまんなあを連発するSさんを抱えて汗をふんだんにかき、腹の中ではジュリーの「勝手にしやがれ」を叫んでいた。年を取るということは重たくなるということか。阪急電車内はアルコールと香水の匂いが交じり合い、夜のミナミをそのままひきづり込んでいるようだった。
「そんなこともあったね」
そのときと同じ阪急に乗り換えてその話をすると、Sさんは気恥ずかしそうに笑った。
「逃げる男ですよ」
「うん?」
「それから逃げる男を決めこんだのです」
「そうだったのか」
「そうですとも」
二人は顔を見合わせて笑う。まるで笑うしかないようにただ笑っているだけだ。
それにしてもSさんは沖縄を出てどれくらいになるのだろう。
阪神大震災があって、そのころ僕は釧路にいて、ちょうど運悪く神戸への転勤が決まり、宿舎のことで電話を入れたのがSさんだった。いや、Sさんに電話をしたわけじゃなく、そのとき電話に出たのがSさんだったのだ。神戸で上司になるはずだったSさんは、宿舎は倒壊していないから大丈夫、安心して来なさい、それだけを言うと自分は九州に転勤なんだと続けた。逢うに逢われぬ浮世の定め、わたしゃ売られてゆくわいな。お互いすれ違いの転勤である。そのことはSさんもまだ憶えているらしく、酔うと必ずその話題になるのだ。
それ以前から転勤を繰り返しているわけだから、きっとSさんは本土の生活の方が長いに決まってる。吊革にぶら下がっている僕の向かいに座るSさんは、まるで当時の琉球政府のお役人のように深い皺を眉間に寄せていた。男の顔は履歴書。そんないい囃された死語ともいえる言葉が不意に浮かんでは消える。Sさんは膝の上で大事そうに花束の入った紙袋を両手で挟んでいる。
「もう逃げることもなくなったね」
「いえいえ、まだまだ逃げますよ」
Sさんの隣の席の男が不機嫌そうに欠伸を繰り返している。
まもなく塚口という車内アナウンスがあり、伊丹行きに乗り換えるSさんは紙袋を小脇に引き寄せた。
大きく口の開いた紙袋はガサッと小さな音を立て、それに気を取られて欠伸男がギョロリと目をむいた。
「いずれまた一緒にどこかで」
「御堂筋線は懲り懲りです」
「それじゃ阪急沿線で」
「それはいいかもしれません」
Sさんはやはりあの夏の時と同じようにグラリとひとつよろけ、開きかけたドアに向かって歩いていった。

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2008.12.06

日だまりの席

日曜の朝にいつも顔を出すコンビニがある。
奥まったところに簡単なカウンターテーブルが拵えられたのは最近のことだ。
若い男や女もいるが、大抵はじいさんやばあさんが堂々と占領している。コンビニは変わったのである。
朝刊を抱え、カップコーヒーを持ってそのテーブルに座った時のことだ。じいさんとばあさんがチラリと僕に一瞥をくれた。僕はそんな二人を無視してコーヒーを飲み朝刊を開いた。世の中に美しいものは何一つ無く、相変わらず薄汚れた世間の辟易とする醜聞ばかりが活字になって踊っていた。
「若いの、この使い方解るか?」
いきなりじいさんが訊いてきた。その隣でばあさんがじいさんの携帯を覗いている。なにやらメールを書き込んでいる。携帯の画面ではカーソルが点滅していた。どうやらじいさんは送信の操作で躓いているようだった。
「誰に宛てるのですか?」
僕は興味もなくぶっきらぼうに聞き返した。
「死んだ息子だ」
僕は自分の耳を疑った。
「あの世に逝った息子だよ」
確かにじいさんはそうつづけたのだ。
「死んだ人には届きませんよ」
怪訝な顔を向けているばあさんとじいさんを交互に見やり、僕はぞんざいに言い放った。
「そんなことはない。どこにでも送れると言っていた」
じいさんの傍でばあさんが今にも泣き出しそうな顔をしていた。
僕はじいさんの携帯を受けとってじっと眺めた。
「ああ、確かにどこにでも送れそうな携帯ですね」
咄嗟に僕の口をついて出た言葉に驚いたのは僕自身だった。
「これをこうやって、そしてこうやる」
僕は出鱈目にキーを打ち、そして最後に送信キーを押した。
「どうです、飛んで行って何も残ってない」
僕はじいさんに携帯を戻しながら画面を指さした。愛想のないメニュー画面が黒い背景に整然と並んでいた。
「さて、僕はそろそろ帰らなくちゃ」
そう言って席を立とうとした時だ。携帯が震えるように小さく鈴の音のように鳴り出したのである。それはこの世のものとは思えない美しい音色だった。
じいさんはそっと僕に携帯を差し出した。
僕は恐る恐る携帯を受けとると、面白くもない不貞腐れた態度になってキーを押しメールを開いた。
「い・ま・ま・で・あ・り・が・と・う」
そんな文字が携帯の画面に白く瞬くように映し出されていたのである。僕は何故か恥ずかしくなり、携帯を覗き込んでいるじいさんとばあさんを背にしてコンビニを後にした。

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