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2009年1月に作成された記事

2009.01.31

牛すじ

Yakujin

厄神さんへ寄ったのにはわけがあった。
厄除け大祭がいつだったかなどは知るよしもなく、こんな年間行事を知るようになったら私は仏の道に一歩も二歩も近づいたことになる。これはいけない。
厄神さんへは人間ドックの帰りにひょいと立ち寄ったのである。気まぐれ、ただそれだけ。
こんなことを書いたら罰が当たりそうで、"小舟危うきおきつしらなみ"が"大舟危うきおきつしらなみ"になりそうであるが、ここはやはり慎み深く謙虚に生きていかなければならない。
尿酸値。このたびの人間ドックでひっかかったのがこれだ。
医師は風邪のためかマスクをしており、目だけははっきりと見開いて私に向かって診察を始めた。
「昨年に比べて数値が高くなってます」
「そうですか」
「なにか心当たりでも?」
「昨日、ビールを2本ほど飲んだのがいけなかったかなと・・・」
恐る恐る言ってみると、医師はぴしゃりと間髪入れず、私を見据えて言った。
「それは関係ないです」
前日のビールなどいくら飲んでも翌日の検査、こと尿酸値についてはまったく関係はない。医師はそんなことくらい解らないのかといわんばかりに私から目をそらした。
私はこの正月大量に数の子を食い、イクラを食い、筋子を食い、タラコを食い、そしてこれも大量にビールをあおった。プリン体の大量摂取である。日がな一日やることもなくそんな毎日を繰り返していた。私の正月というものはそんなものだ。
「正月の不摂生でしょうか?」
私は神妙になって訊ねる。
「それは考えられます」
医師は他に訊きたいことはありますかとひとこと言って、カルテを閉じた。
「運動をしなさい」
礼を言って部屋を出ようとする私に医師はとどめを刺した。

その運動でもないのだろうが、気がついたら私は門戸厄神にいたのである。
わたしゃ売られてゆくわいな、歩きながら歌ってみるが一向に勢いがない。
門戸厄神までの通りは老いも若きもである。この中には、あたりまえだが健康なものもいれば病を患っているものもいるにちがいない。明日とはいわないまでも、数日後に手術をするものもいれば、翌月には余命が絶えてしまうものもいるのかもしれない。そんな人々がただ黙々と歩いている。境内目指して黙々とただ歩いている。
世の不幸や我にあり。そんなことを思いながら歩いていると酒屋の前にテントが張られていて、そこはなんと急ごしらえの立ち呑みの屋台だった。酒屋だから地方の有名どころの地酒がふんだんにあり、嬉しいことに私の好物の牛すじのおでんまであるではないか。神は我を見放さず。いや、ここはお寺だから、仏は我を見放さず、なのだ。
私のお腹は空っぽである。強いて言えば、あのとろりとして気味の悪い、白く残酷な色をしたバリウムが少量入っているだけだ。
私は熱燗をたのみ、牛すじを3本と熱々の豆腐を注文した。
「おおきに!」
威勢のいい声でおにいさんが言い、
「熱いからお気をつけて」
とおねえさんが言う。やさしい。実にやさしい。生きていてよかった。さすがにここは日本三大厄神寺なのである。
牛すじは適度に歯ごたえがあり、そしてほどよく味がしみてやわらかかった。地元の酒だという燗酒は喉をやさしく撫で、すべるようにして胃の中に落ちていった。3本の牛すじがなくなるころには、私の五臓六腑は完全に勢いを取り戻していたようである。私はさらに牛すじとどこだか判らない地方の地酒を注文していた。その間もひっきりなしに人々は往来し、牛すじとお酒に釣られたわけでもないのだろうが、おや? と思って立ち止まるものもいれば、遠慮がちに甘酒などといって入ってくる老人などもいた。若いカップルはビールなぞを飲んでいる。参詣する前にお酒をいただけ。牛すじを食え。神の、仏の、いやイエスの言葉をぞおそれよなのである。
門戸厄神万歳。私はすっかり心地良い気分になっていた。

アルコール類はひかえましょう
一日のアルコールの適量
ビールロング缶なら1本
日本酒なら1合
ワインなら1/3本
ウイスキーならシングル2杯

帰宅して医師がよこした小冊子に目を通すと、そこにはこう書かれていた。
拷問である。生きていく気がしない。わたしゃ売られてゆくわいな。
門戸厄神。今度は2月3日に節分祭があるという。

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2009.01.24

厄神さん

Nenjyu

世の中には凄い方もいるものだ。

かげくらき
月のひかりをたよりにて
しずかにたどれのべの細道

この文言でググって我がブログに辿り着いた方も相当なものだ。天晴れ。
これは末吉だから、この方は余程気にかかってGoogleで検索したものとお見受けする。
まあ、ワタクシ的には“小舟危うきおきつしらなみ”の方がグーンと気分がへたってしまうわけで、またしてもお神籤に挑戦した次第である。
門戸厄神 東光寺。ここは日本の三大厄神の寺のようで、寺だろうと神社だろうととにかく“小舟危うきおきつしらなみ”をどうにかしたく厄除大祭に行き、私はお神籤の箱をガチャガチャと大袈裟に、この音天までとどけといった勢いで力まかせに振ったのである。そんな悲鳴にちかい祈りもとどかず、出てきたのは吉だった。ただの吉。がっかりである。和歌は無く、これもがっかり。
いまいましい気分になり、ひょいと見上げると、なんとそこには大きな文字で書かれた厄年早見表なるものがあって、またしても驚いたことに、私は大厄であった。八方ふさがり。矢でも鉄砲でも持ってこい。私は急にこの三大厄神の寺が嫌いになった。
落胆ばかりもしていられないので、私は気を取り直してお守りを買うことにした。
手に取ってみるとなかなか具合が良かったが、そのお守りの横にあった腕念珠が輝きを増してこちらうかがっているようだったので、迷わずそちらの方を選んだ。大枚千円也。家に帰って左腕にはめてみると、それはすこぶる具合がよろしい。立派に和紙で包装されていて、その和紙には次のようなことが書かれてある。

この腕念珠は身に着けるお守りです。左腕にはめてお使い下さい。
特に「ふさ」を七色で作りました。七色は昔より七難を除くと言われ、厄除けになります、大切にお使い下さい。

ありがたや、ありがたやである。私は急にこの三大厄神の寺が好きになった。
さらに和紙には小さな文字で、次のようなことが明記されていた。

★お風呂にはいる時は外して下さい。
★念珠の紐は必ず切れるものです。切れても心配ありません。早めに修理するか、こちらへお納め下さい。

ありがたや、ありがたやである。お風呂にはいる時には外すことにしよう。紐が切れたからといって心配してはいけない。切れたら修理をすればいい、それだけのことだ。これで“小舟危うきおきつしらなみ”も木っ端微塵なのだ。ざまあみろ。うむ、下品な言葉は慎もう。ざまあみろは削除です。ざまあみろ
うむ、頭が痛くなってきた。寝ます。おやすみなさい。
とにかく、今年1年が良い年でありますように。合掌。

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2009.01.11

運勢

Jinjya

丑年の運勢や如何に。
正月、近くの神社でお神籤をひく。
大抵の年は、これでもかこれでもかというくらいに大吉の大盤振る舞いだったものが、ここにきて神社の方でも浮かれてばかりではいけないと方針を転換したものか、どうも大吉の出が少ないように感じるのは気のせいか。
末吉を引き当て、あまりにも面白くないことが書いてあったので、日を改めてリベンジしてみたがやはり末吉だった。
お神籤にリベンジなどはいかがなものかと顰蹙をかいそうであるが、今年は年男でもあり、天照大神を押し倒してでも、はたまた八百万の神と談合してでもワタクシの思いは強固なのである。

のどけしと
見えしうなばらかぜたちて
小舟危うきおきつしらなみ

最初の末吉である。
長閑な日々だと思っていて油断をすると、たちまち災い難儀がやってくるのだよ。気を引き締めよ。
こんなことをおっしゃりながら、神様はケンタッキーフライドチキンなどを召し上がり、エビスビールなどをぐびぐびやっておいでなのであろう。

かげくらき
月のひかりをたよりにて
しずかにたどれのべの細道

リベンジの末吉である。
何事にも謙虚であれ。心穏やかな平常心こそが大切である。ゆっくりと行きなさい。
こんなところだろうか。くだんの神様はサッとケンタッキーをお隠しになり、エビスを発泡酒に代えて冷や奴に箸をそっとお出しになるのである。
いずれにしても、2009年の丑年は「おとなしく」しておれなのである。「大人しく」、「温和しく」なのである。

年明けて最初に読んだ小説は太宰の『酒の追憶』だ。
これはもう幾度となく読んできた掌編でとても気に入っている。
酒飲みたるもの、燗酒、ひや酒、盃酒、コップ酒、茶碗酒、独酌酒にチャンポン酒のなんたるかをわきまえ、こころしてかからなければいけないのである。
今年はこのあたりを肝に銘じ、乱暴なお酒の飲み方は厳に慎むことにしよう。しずかにたどれのべの細道なのである。小舟危うきおきつしらなみは断じて回避しなければいけないのである。

わたしゃ
売られて行くわいな

太宰も言っているように、このようなお軽の唄をうたいながら夜の梅田を闊歩してはいけないのだ。ただね、それが一番難しいところなのだよ。大人しく、温和しく「わたしゃ売られて行くわいな」と、想いははるかに来年の『寅』に飛んでいるのである。ことわっておきますが、阪神の虎ではないので悪しからず。こちらの虎は今年も到底・・。木枯らしの擬音。

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2009.01.05

駒ヶ岳

P1040857

新年、明けましておめでとうございます。
ということで、今年最初の写真は駒ヶ岳です。
正月休みもいよいよ終わりに近づいてきた。
天気も良かったので「優しい時間」を求めてやはり東大沼を走った。温泉行です。
日が差して駒ヶ岳の山頂を照らし、山頂は雲に覆われて見えなかったが、ほんの一瞬風に押し流され顔を覗かせたので一枚失敬したのがこれ。陽光に際だつ山肌がなんとも綺麗だった。
この後、しばし温泉に浸かる。露天風呂からも駒ヶ岳はくっきりと見えて、気分は上々なり。
明日は移動日だから、これが今回最後の温泉となる。

雪けむり肌をひと撫で山見やる   信天翁

今年の運勢はあまり良くないらしい。
これについては次回のお楽しみ。(笑)

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