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2009年3月に作成された記事

2009.03.29

有馬温泉

Asagohan
ヘルシー朝食

その宿は太閤橋から望める小高い山の上にあった。
神戸の奥座敷というくらいの有馬温泉だから、格式張ったホテルや旅館が目白押しだ。かなり前から予約を入れておかなければ部屋は取れないし、予約が取れたところで料金の方が決してお安いものではないことは判っていた。それでも有馬に行った。しかも予約ときたら5日前に入れたのである。さらに料金だって有馬にしては手頃なものだったから、期待するものはなにもなし。行き当たりばったりの有馬温泉行である。

部屋に案内してくれた女性がイカしてた。
イカしてたなどとは死語であるが、そのおばちゃんはまさにイカしてたのである。
お歳の頃は多分60は超えていると思われ、私のバッグをいかにも颯爽(?)と左手でお持ちになり、軽やかにエレベーターまで誘導し、4階の廊下の突き当たりの部屋まで案内してくれたのである。そこに辿り着くまでの廊下やロビーらしき広間やエレベーターなども年季が入ったもので、そこはさすがに神戸の奥座敷たる名温泉の歴史に満ちた雰囲気を思う存分垣間見せていたのである。秩序無く廊下の壁に貼られたモノクロの絵葉書を見て怯まないものはいないのだ。旧吉田邸は焼けて灰と化してしまったが、同じ木造で出来たこの宿だけは焼けてはいけない。ぼんやりと薄暗い廊下を歩きながらの私の偽らざる感想であった。

部屋に上がるとおばちゃんは息を切らし、ぜいぜいと呼吸を繰り返した。
やはりお歳には勝てないのだろう。
「バッグ、重かったでしょう?」
「いえ、いえ」
会話はそれだけである。
私は障子戸を開け、ガラス戸越しに見える有馬の山々を眺めた。山や丘に挟まれるようにしてホテルや旅館が建ち並び、それらのほとんどは古いものであったが、それはそれで温泉の深い味わいを醸し出していた。
「これをお願いします」
おばちゃんは宿帳を出して記入を促した。そしてつづけて、
「夕食は何時頃が?」
と訊いてきた。ここは部屋食なのである。さすがに有馬なのである。
「6時でお願いします」
「はい。朝は?」
「何時頃からいただけますか?」
「7時と7時半、それに8時です」
「それでは8時に」
「はい、8時ですね」
「よろしくお願いします」
炭酸煎餅をかじりながら、私は部屋を後にするおばちゃんの後ろ姿を追った。そしてふたたび眼下に見える露天風呂らしき屋根や工事中のクレーンなどに目をやっていると、不意に背後からおばちゃんが声を掛けてきた。
「お客さん、朝は7時でしたね?」
「え?」
「食事です」
「いえ、8時です。夜は6時」
「ああ、8時でしたね」
「うむ、よろしくお願いします」
「はい」
おばちゃんは何事もなかったように、ドアを閉めて出て行ったのである。

夕食までの小一時間、私は露天風呂の人であった。
この旅館は露天風呂が独立して山の斜面のようなところにあって、浴槽からはやはり有馬の山々が眺望できた。雪が降っていたり、靄がかかっていたりしたらさぞかし趣のあるロケーションに違いないが、あいにく見えるものといえば工事中のクレーンだったり、切り砕かれて露出した茶褐色の情けない山肌だった。
かつて秀吉は信長にその労をねぎらわれ、ねねと伴にここ有馬温泉に逗留している。赤茶色した湯に浸かりながら、ねねと戯れているそんなサルを思ってみた。効能は切り傷とあり、たしかに戦場で満身創痍の武士にとってはこの湯は有り難いものだったに違いない。両手で湯をすくって顔に浸してみると、やたらとひりひりして痛みのような刺激が走った。武士にはなれないな、私はなおも両手で湯をすくって顔に浸した。

部屋に戻るとおばちゃんがお膳を運んでいるところだった。
ヘルシー御膳というだけあって、小さな器にそれぞれの料理がさりげなくのっていて、おばちゃんはやはりぜいぜい呼吸しながらそれらを丁寧に並べている。ファストフーズならぬスローフーズである。
ガラス戸越しに外を見ながら煙草を吸っていると、なにやらカチカチという音が聞こえてきた。カチカチは不規則に、そしてその不規則の間隔は次第に短くなって連続的に繰り返し聞こえてくる。見ると、おばちゃんは懸命にチャッカマンと格闘しているところだった。湯豆腐の小さな鍋の下の固形燃料に先を向け、カチカチ、カチカチを繰り返しているのだ。
「どうかしましたか?」
「どうも上手くいかなくて」
「どれどれ」
「新品なんだけどね、これ」
「そうですか、どれどれ」
私はチャッカマンを受けとると、おばちゃんがやったようにカチカチを繰り返した。
「こうやって・・・」
「どうですか?」
「うむ・・・」
「新品なんだけど・・・」
「うむ」
「上手くいかない?」
「まずいね」
私はライターを持ち出し、チャッカマンの先に向けて火をつけた。
「これで大丈夫だ」
「ああ、よかった」
「石が悪いのかな、これ」
「新品なんだけど・・・」
「そういうこともあるのです」
「そうですか」
おばちゃんは新品にこだわりつつも納得してくれたようだった。
「8時でしたね」
「え?」
「明日の朝食」
「ええ、8時でお願いします」
「ごゆっくり」
「ありがとう」
部屋を出て行くおばちゃんは、いくらか右足を引きずっているように見えた。

寝る前にもう一度露天風呂に浸かった。
人気のない廊下を歩きながら、ふと目をこらすとなにやらガラスでできた水槽のようなものがあり、そこにはホタル育成中と書かれた貼り紙があった。子供たちの夏休みにホタルを放つ。粋な計らいである。ホタルの乱舞とはいかないまでも、たよりなげな幾匹かの飛び交うホタルを私は想像してみた。「螢川」ならぬ「ホタル温泉」である。
脱衣場の戸を開けて露天風呂に出ると、夕刻には気づかなかった紙に手書きされた蝶の絵が目にとまった。その紙に書かれた絵の傍には白い小さな網のようなものがある。眼鏡を取り出して読んでみると、夏になるといろいろな虫たちが湯の中に飛び込んできます、虫たちをこの網ですくって助けてあげましょうと書かれていたのである。
ホタルといい虫たちといい、ここは家族で来るところらしい。そうなると、おばちゃんたちはさしずめ孫たちの世話役といったところかもしれない。おばあちゃんの知恵袋。なんとも微笑ましい図ではないか。私は一人苦笑した。
そういえば、私の部屋番のおばちゃんもそうだが、廊下ですれ違うおばちゃんのほとんどが同じ年格好で、中には70歳にもなろうかと思われる方もおいでだった。いまはやりの再雇用というものだろうか。とすれば、この宿は有馬でも先端を行っているということになる。顔に刻まれた皺のひとつひとつは伊達ではないのである。ねねとサルのように戯れていてはいけないのである。
なるほど、どおりで若いカップルが見あたらなかったわけである。
赤茶色した湯が身にしみる弥生三月有馬の宵の奇々怪々。

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2009.03.21

ホットドッグ

Hotdog

朝刊を買いにでると、マクドナルドのポスターが目に入った。
ホットドッグをはじめたらしい。そういえばホットドッグなんてしばらく食べたことがない。
世はまさにハンバーガーが主流だから、ホットドッグなんて忘れられてしまったのだろうことは理解できる。
店の前のポスターを眺めながら、いかにも旨そうなそのホットドッグが食べたくなった。
昔はみなホットドッグだった。そしてそれはアメリカっぽい味はするものの、決して感動するような、そんな代物ではなかった。

60年代のアメリカのTVドラマには、必ずといってよいくらいホットドッグが登場した。
ピッシリしたジーンズをきめこんだ若者達が旨そうにホットドッグをパクつきながら、片手にはコーラなんかを持ち、ジュークボックスにコインを入れてガチャガチャ叩いてみたり、街中を抱き合いながら闊歩しているのだ。サマになってるその姿を一瞥し、そんなに遠くない将来、俺だってそんなふうにジュークボックスをガチャガチャ叩き、NYのマンハッタンを闊歩してやると思ったものである。
いざNYに行ってみると、そこで目を引いたのはピザだった。
そのころのTVドラマでもあまり目にした記憶はなかったが、NYの街のいたるところでピザの看板だけがやたらと目を引いていた。よくわからないまでも、そのピザの店のウインドウ越しに中を覗くと、おにいさんらしき店員が皿回しのようにブンブンと怪しい物体を頭上に掲げ回しているのである。遠心力の加わったその怪しき物体はみるみる間に傘のように広がり、おにいさんはそれを幾度となく繰り返し、やがてトッピングの具材を乗せてオーブンに放り込んだのである。それが初のピザ体験であった。ピザは頭上高く掲げて回せ! 燭台は高きに置け! 聖書にもある。(笑)

アメリカ人は忙しい人種だ。イギリスやフランス人のように食べることに時間を割かない。特にランチなどはホットドッグやハンバーガー、それにピザである。
ランチボックスにそれらをつめこみ、ちょっとした飲み物で簡単に済ませてしまう。驚いたのはマイク・タイソンのような体躯の輩もほとんどといってよいくらいこのような簡単なランチで終わってしまうことだった。
ブルックリンの港で荷役にあたっていた黒人たちは、すべてその体躯はボクサーのようだった。モハメッド・アリやタイソンがゴロゴロといて、丸太のような腕をした彼等に取り囲まれたら、それはそれは恐怖のなにものでもなく、燭台は高きに置けなどと聖書をかざしてみたところで意味をなさないのだ。
一度、彼等がこぞって船荷のコンテナから、当時有名だったS社のトランジスタラジオをジャンパーに隠し持ち去ろうとしているところを見てしまった。ちょうど昼を報せるサイレンがけたたましく鳴り出し、荷夫たちはランチをとるため陸に上がろうとしていたところの出来事だった。トランジスタラジオを持ってそのままドロンである。
荷役の責任者だった私は躊躇った。そのジャンパーに隠されているのは何だ! 舐めてはいけない。ワタクシは日本の優秀な航海士なのだよ。さ、それをかえしなさい! 神はすべてお見通しなのだ。さ、それをおかえしなさい!
荷夫たちは私に笑みをつくって挨拶をし、足早に去っていった。
汝の隣人を愛せ。これもまた有り難き聖書のお言葉なのである。私はただその場に呆然として突っ立っていた。

そのなかの一人の若い荷夫が仲間から遅れをとってなにやらモジモジしているのがわかった。私の方をちょっと見てから、彼はいかにも済まなさそうな表情をつくって、くしゃくしゃの紙袋を開いて見せた。中には紙製のランチボックスがあり、それを開けると、ケチャップに黄色いマスタードがだらしなく交じり合ったホットドッグが二つ顔を覗かせていた。一つやるよ。彼の目はそう言って笑っていた。ソーセージのはみでたそのホットドッグを一囓りすると、ケチャップはやたらと塩味がきつく、マスタードはこの世のものとは思えない刺激的な辛さをともなって私の鼻をねじ曲げた。強烈なアメリカがそこにあったような気がした。若者は紙袋をくるりと持ちやすそうに巻いてから、颯爽と階段を駆け上がって消えていった。まちがいなくそこにも強烈なアメリカの風が吹いていたような気がする。汝のアメリカを愛せ。そんな風である。

マックのホットドッグは妙に柔らかい。パン生地のせいにちがいない。
おじいさんが二人の孫にハンバーガーとフライドポテトを買っていた。
ホットドッグには目もくれないのである。


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2009.03.07

腰巻を捨てる

P1040897

夜は短し歩けよ乙女。いきなりですが、『夜は短し歩けよ乙女』です。
この小説のタイトルに負けて購ってしまいました。すばらしい。感服(笑)
森見登美彦著なる小説だけど、山本周五郎受賞とあるので、ハードカバーで出版された時から気になっていたのだけど、こうして文庫で発売されたこともあって、いたずらに飛びついてみたのである。いたずらに母を背負いてそのあまり云々。啄木のような心境だったのである(笑)
その後本屋大賞2位とあるくらいだから評判も良く、随分と読まれているのでしょうね。ワタクシのようなものの感想は要らない。何故か不思議な世界を京都という古の街を背景に展開されておいでである。京都はさすがに魑魅魍魎、妖怪奇譚、ありとあらゆる妖怪が跋扈しているようである。つまるところ、黒髪の乙女なる女子もじつは妖怪なのでしょう。そんなことも解らないのかと、これはきっとお叱りを頂くに相違ないとワタクシ、すでに白旗を掲げ降参状態なのであります。

腰巻を捨てる。あなおそろしや(笑)
かの向田邦子さんは寄贈、購入された本にある表紙カバーや俗にいうところの帯と呼ばれる腰巻、これを読む段になるとすべてゴミ箱に捨ててしまうとおっしゃっていた。邪魔になる。ご免なさいといいつつ、しのびがたきをしのんで帯をほどいてお捨てになるのである。たしかにページをめくる時にごてごて中途半端に手にからみつくようで、ホンモノの腰巻ならいざ知らず、どうもいただけない(笑)そこで本自体は素っ裸。丸裸。潔し。天晴れ。わたしゃ売られて行くわいな。
その素っ裸になられた著者とはじめてそこで真剣に向かい合うことができるなどと、そこまで向田さんはおしゃってはいないが、おそらく邪魔もあるけど、汝惑わされることなかれ、こういうことか。帯、否、腰巻などはその著者が書かれた内容とはまったく関係がないにちがいないのだ。腰巻に幻惑されてはいけない。妖艶なる腰巻こそをおそれよ。ただし、人間というもの、夜は短し歩けよ乙女ではないけど、タイトルに負けてしまうことはおうおうにしてある。ワタクシ的には「夜は短し」、「キュートな乙女」、「黒髪」、「話題の一冊」、「新時代」、「恋愛ファンタジー」などと書かれてあるありとあらゆる“腰巻のあざやかすぎる紋様”に完璧に惑わされてしまった口なのである。
帯は短いにこしたことはない。いっそ帯など無くていい。『帯など捨てて歩けよ乙女』なのである。うむ、これはさすがに京都とはいえ警察が黙っていないな(笑)
『夜は短し歩けよ乙女』、良いタイトルです。
これで検索してここを訪問するに至った方はガッカリするにちがいない。スミマセン。。
ピザをチリワインでいただきながらの休日の午後。合掌。

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