ホットドッグ

朝刊を買いにでると、マクドナルドのポスターが目に入った。
ホットドッグをはじめたらしい。そういえばホットドッグなんてしばらく食べたことがない。
世はまさにハンバーガーが主流だから、ホットドッグなんて忘れられてしまったのだろうことは理解できる。
店の前のポスターを眺めながら、いかにも旨そうなそのホットドッグが食べたくなった。
昔はみなホットドッグだった。そしてそれはアメリカっぽい味はするものの、決して感動するような、そんな代物ではなかった。
60年代のアメリカのTVドラマには、必ずといってよいくらいホットドッグが登場した。
ピッシリしたジーンズをきめこんだ若者達が旨そうにホットドッグをパクつきながら、片手にはコーラなんかを持ち、ジュークボックスにコインを入れてガチャガチャ叩いてみたり、街中を抱き合いながら闊歩しているのだ。サマになってるその姿を一瞥し、そんなに遠くない将来、俺だってそんなふうにジュークボックスをガチャガチャ叩き、NYのマンハッタンを闊歩してやると思ったものである。
いざNYに行ってみると、そこで目を引いたのはピザだった。
そのころのTVドラマでもあまり目にした記憶はなかったが、NYの街のいたるところでピザの看板だけがやたらと目を引いていた。よくわからないまでも、そのピザの店のウインドウ越しに中を覗くと、おにいさんらしき店員が皿回しのようにブンブンと怪しい物体を頭上に掲げ回しているのである。遠心力の加わったその怪しき物体はみるみる間に傘のように広がり、おにいさんはそれを幾度となく繰り返し、やがてトッピングの具材を乗せてオーブンに放り込んだのである。それが初のピザ体験であった。ピザは頭上高く掲げて回せ! 燭台は高きに置け! 聖書にもある。(笑)
アメリカ人は忙しい人種だ。イギリスやフランス人のように食べることに時間を割かない。特にランチなどはホットドッグやハンバーガー、それにピザである。
ランチボックスにそれらをつめこみ、ちょっとした飲み物で簡単に済ませてしまう。驚いたのはマイク・タイソンのような体躯の輩もほとんどといってよいくらいこのような簡単なランチで終わってしまうことだった。
ブルックリンの港で荷役にあたっていた黒人たちは、すべてその体躯はボクサーのようだった。モハメッド・アリやタイソンがゴロゴロといて、丸太のような腕をした彼等に取り囲まれたら、それはそれは恐怖のなにものでもなく、燭台は高きに置けなどと聖書をかざしてみたところで意味をなさないのだ。
一度、彼等がこぞって船荷のコンテナから、当時有名だったS社のトランジスタラジオをジャンパーに隠し持ち去ろうとしているところを見てしまった。ちょうど昼を報せるサイレンがけたたましく鳴り出し、荷夫たちはランチをとるため陸に上がろうとしていたところの出来事だった。トランジスタラジオを持ってそのままドロンである。
荷役の責任者だった私は躊躇った。そのジャンパーに隠されているのは何だ! 舐めてはいけない。ワタクシは日本の優秀な航海士なのだよ。さ、それをかえしなさい! 神はすべてお見通しなのだ。さ、それをおかえしなさい!
荷夫たちは私に笑みをつくって挨拶をし、足早に去っていった。
汝の隣人を愛せ。これもまた有り難き聖書のお言葉なのである。私はただその場に呆然として突っ立っていた。
そのなかの一人の若い荷夫が仲間から遅れをとってなにやらモジモジしているのがわかった。私の方をちょっと見てから、彼はいかにも済まなさそうな表情をつくって、くしゃくしゃの紙袋を開いて見せた。中には紙製のランチボックスがあり、それを開けると、ケチャップに黄色いマスタードがだらしなく交じり合ったホットドッグが二つ顔を覗かせていた。一つやるよ。彼の目はそう言って笑っていた。ソーセージのはみでたそのホットドッグを一囓りすると、ケチャップはやたらと塩味がきつく、マスタードはこの世のものとは思えない刺激的な辛さをともなって私の鼻をねじ曲げた。強烈なアメリカがそこにあったような気がした。若者は紙袋をくるりと持ちやすそうに巻いてから、颯爽と階段を駆け上がって消えていった。まちがいなくそこにも強烈なアメリカの風が吹いていたような気がする。汝のアメリカを愛せ。そんな風である。
マックのホットドッグは妙に柔らかい。パン生地のせいにちがいない。
おじいさんが二人の孫にハンバーガーとフライドポテトを買っていた。
ホットドッグには目もくれないのである。
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