« 未登録の男 | トップページ | 金輪際 »

2009.05.16

マチュピチュ

お教えください。ええ、あなたに訊いているのです。あなたはそのことに関して洞察力を持ってるくらいのことは知っています。夢のことです。昨日私が見た夢のことです。どうです、あなたも幾らか興味はあるでしょう。その道に長けた人というのは最早黙っていられないのですから。それくらい私にだって解るのです。私はうなされて目が覚めたのです。年末で忙しいというのに夢でたたき起こされたのですから憐れなものです。その夢が苦しくて、私はもう二十数年にもなろうかという、そんな昔に出かけたことのあるマチュピチュでの出来事を思い出してしまったくらいです。いや、夢がそのままマチュピチュでの出来事だったようにも思えるのです。首がごろりと転がり落ちていくという洞窟がそこにはあって、どうも私の見た夢はそこに通じている。嘘ではありません。何もなしに首がごろりと転がるなんてことはなく、ええ、勿論そうですとも、悪いやつが悪事を働く、そして気がつけば首がごろりなのです。法の裁きを受けよ。ここに栄えた文明というのは偉大なものです。マチュピチュを舐めてはいけません。この国を憂いてもマチュピチュを舐めてはいけない。
そのガイドはこういったのです。ええ、マチュピチュのガイドのことです。彼は日本人ではあるけどイタリア人の女と結婚していて、何故そんな二人がペルーになんかいるのか、そんなことを詮索してはいけません。あなたはその道の専門家なのですから野暮はよしてくださいませ。とにかく二人はマチュピチュに住んでいてガイドをしている、それで充分です。そのガイドがこういったのです。この洞窟は罪人を処刑したところで、ごらんなさい、ここに上手い具合にごろごろと転がってきた首が集まる仕掛けになっていると。目を上げると上に向かってなだらかなスロープがあって、そうですその坂ですというものだから、私は目をこらして見ましたとも。よくできたものです、ええ、私は感心してしまいました。坂はほどよい傾斜で、そしてちょうどよいカーブまで拵えてあって、なんというかやはり文明だなと思わせてしまう。坂を下って行くとそこは大きな広場になっていてそこが行き止まり。勿論、首はひとつもなかった。首はないけど、殺気はあった。どうです、呪われたインカの文明は。文明なんてものはいつだって馬鹿馬鹿しい。その殺気を感じた時、私は身体いっぱいに夥しいまでの汗をかき、うっと唸って目を覚ました。その次の日も、またその次の日もきまって首がごろりの夢を見て、そして夥しいまでの汗に呻き苦しみ目を覚ます。ええ、どうかお教え下さい。私はこの先どうなるのでしょう。内蔵は痛んでおりますとも。勿論です。それはそうとそのガイドですがね、彼はその後どうなったか。呪われたインカの文明に同化してしまった憐れな彼はどうなってしまったか。イタリア女がいけねえ。マチュピチュに死す。リマに一泊して家に戻った彼を迎えていたもの、それがなんとイタリア女の散弾銃。どうです、驚いたでしょう。人を殺るには散弾銃に敵わない。嫉妬。イタリア女の嫉妬こそもののアワレナリ。ガイドはくたばっちまった。日本の妻をめとらなかった罰だ。天に唾吐くものは天命に背くものナリ。ここまでくると人の死なんて滑稽なものだ。笑わせる。ああ、お腹が痛いったらありゃしない。お教えください。ええ、あなたに訊いているのです。あなたはそのことに関して洞察力を持ってるくらいのことは知っています。どうかお助け下さい。うむ、今なんとおっしゃられたか。まったくあなたらしくもない。そんな弱気ではいけねえよ。お願いしているのはこっちだぜ。バカヤロウ。あら、ご免なさい。私としたことが口汚い。ええい、あなたがそうなら私にだって考えがある。好きなようにさせていただく。あなたを頼りにした私がいけなかった。お見限り。勝手にしやがれ。マチュピチュなんてクソ喰らえ。あたしゃ売られていくわいな。我と我が身をこそ憂いよ。ああ、なんてことだ。私の首が離れていく。どこまでもどこまでも首が離れてひらひらひらひらまるで蝶のように舞ってゆく。あなたに抱かれて私は蝶になる。馬鹿馬鹿しい。生きとし生けるものに幸あれ。そちらの方角は間違ってるぜ。グッバイ・ボーイが叫んでる。おーい、そこの首。方角だ、方角が違うってんだよ。いけねえよ、いけねえ。バカヤロウ。ひらひらひらひらグッバイ・ボーイ。

|

« 未登録の男 | トップページ | 金輪際 »

「小説・エッセイ」カテゴリの記事