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2009年6月に作成された記事

2009.06.07

図書館

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僕は大阪市立中央図書館にいた。
ちょうど休暇だったこともあって、久しぶりに大阪に出てきたのだが、不意に思い立ったように大阪市立中央図書館に足が向いたのだ。
『いままでのところ、あなたはなまくらな人です。世の9割の人は、そういう人ですが。』といいきった先生のことが気になっていた。先生の名は車谷長吉という。48歳になり49歳の女とワケありで結婚した人である。この先生の書いた本が読みたい、大阪市立中央図書館に足が向いた理由があるとするならただそれだけである。

館内は思いのほか静かだった。最近の図書館は就職難民や行き場を失った高齢者達の避難所みたいなところがあると聞いていたから、図書館にはない騒々しい殺気だった気配があるのではないかと思っていたが、この静寂で秩序あるたたずまいに僕の期待は裏切られた。それでも館内にいる大抵の人はそれらしき人だった。
丸い机を陣取り新聞を開いている老人がいる。
本棚の横にある椅子に座り週刊誌を読みふける青年がいる。
テーブルに顔を伏せ、眠りこけている日雇い労務者風の男がいる。
そのどれもが大阪市立中央図書館には相応しくない人種であるように思われた。馬鹿にしているのではない。どう見てもそう思われるのだ。
「金輪際相応しくない」
僕は一人つぶやき、目的もなく館内を歩いた。
金輪際。そうなのだ、目的があるとするならこの金輪際なのだ。
車谷先生の書かれた「金輪際」を探しにここまでやってきたのだ。
わりと広い通路になっている本棚と本棚の間を歩いていると、そのところどころにパソコンのような端末がある。その端末が置かれている奥にはパーテーションされたいくつものブースのようなものがあり、そこではやはり仕事にあぶれたような若者や青年がDVDを視聴していたりする。至れり尽くせり。車谷先生がごらんになったらどういうのか。やはり世の9割の人はなまくらであるというのだろうか。

僕は空いてる端末の前に立った。
端末はこの図書館の蔵書の検索ができるようになっていた。
「著者名で探す」に人差し指をあてると画面が変わり、アルファベットの文字が並んだ。車谷先生の名を打とうとして躊躇い、そのかわりに「ムラカミハルキ」と文字を並べてみた。「検索」に指を持っていくと画面は一瞬にして僕の指示に従い、村上春樹の本のタイトルが整然と並んで現れた。「1Q84」が現れたところで僕は画面の「予約」に指を触れてみる。一連の操作は驚くくらい自然なリズムを伴って流れる。
659という数字が現れた。僕の前に659人の人が同じようにこの端末を操作し、そして「1Q84」を予約して去っていった。画面はそれを伝えているのだ。660の数字を得るのも面白いが、660の人となった時、果たしてどれくらいの時間を要するのか。それが不安で僕は画面を元に戻したのである。それよりも僕はこの図書館の図書館カードを持っていない。すなわち予約などもともと出来ない身なのである。
元の画面に戻って、今度は「クルマタニ」と入力して検索してみると車谷長吉先生の著書が現れた。その画面をくくって行くと、3ページ目くらいで「金輪際」が出てきた。まるで出てきたに相応しく、予期せずに不意を襲って現れたのである。さすがに車谷先生なのである。
画面を見ると、日本の小説の棚の「Fクルマ」にあると記され、予約はと見ると、驚いたことに「無し」であった。車谷先生など未知な作家で、「金輪際」などは金輪際知らんわ。端末画面は冷淡にもそう言っているのだ。
Fクルマの棚を探して僕は歩いた。果たして「金輪際」は日本の小説の文庫本のコーナーにあった。車谷先生の本はその他にもあったが、そのどれもが傷み、薄汚れていた。「金輪際」の表紙は手垢で鈍い光を放ち、意外と多くの読者が回し読みした痕跡がうかがい知れた。図書館カードがないこともさることながら、僕はこの手の手垢で鈍い光を放つ本を読むには勇気が必要だなと思った。
結局、僕は図書館を出て電車で西宮まで行き、そこにあるブックオフで「金輪際」を買った。ブックオフのものは図書館のものとは違い、表紙もしっかりしていてなんの躊躇いもなかった。この本とてどのように回し読みされたのかを知れば躊躇したものを。現金なものである。

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「金輪際」は苦しい小説である。
『人としてこの世に生まれたことは、恐ろしいことである。人はこの現世にある限り、はてしなく「業」を重ね、「救い」のない世界を生きて行くのである。いや、「業」によって発生する「因果応報」の果ては、この世にはとどまらず、あの世においても未来永劫、はてしなく続いて行くのである。それが、人がこの世に生まれたということであった。』
(文春文庫『金輪際』より)
収集されている7篇すべてがこの世は苦の世界であると車谷先生がおっしゃったように、全篇これ「苦の世界」である。どこまで行っても苦がつき纏い、苦に縛られ、苦に身をよじり、苦に呻き、苦に突き刺される容易ならざる私小説である。
世の善良人は読んではいけない。僕が車谷先生だったら帯にそう記すだろう。救われることなど何ひとつない。ここまで苦しい小説は初めてである。ただ、世の9割はなまくらな人だから、己が如何になまくらであるかを知りたいなら図書館へ行き、手垢で鈍く光る表紙の「金輪際」を求めるのもいいだろう。
多分、僕は金輪際手にしないと思うけど・・・。合掌。

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