口笛
ベッドに横になり、朝刊を開いてなにげなく連載小説に目をやると男が口笛を吹いている場面だった。
土曜と日曜しか新聞には目を通さないから、この川上弘美の小説がどんなものなのかさっぱり判らずに読み進めていると、今度はどこからともなく女が歩きながら口笛を吹いて登場するのである。ますます何がなんだか判らずイライラしてきたので読むのをやめ、悩みの相談室欄に目を通してみた。車谷長吉先生が回答でもなさるのかなと思ってたらあてが外れた。
働かない無職の亭主のことで相談しているようだった。相談者である働く主婦が、働かないで家でいつもゴロゴロテレビゲームばかりしている5歳年下の亭主に愛想を尽かし、何とかしてくれと悩みをぶちまけていた。第一子があり、第二子の出産間近と聞けばことは穏やかではなく同情もするが、亭主が26歳で、女房が稼ぎ、そのうえ子供の世話をし、飯まで作ってくれるとなれば、そこは回答者じゃないけど、あなたはもう一人の子供の世話をし面倒を見ているのですといわれても仕方がないであろう。世の中にはこの手のなまくらな子供みたいなのが大繁殖しているのである。
憂鬱な気分になり、朝刊をばたばたと畳んで放り投げると、半分ほど開いている机の前の窓の外から、のらりくらりと間延びした口笛の音が傍若無人にも侵入してきた。窓の外には某通信会社の社宅があり、休日ともなれば朝早くから子供たちの喚声で賑やかこの上ない。お母さん~、お母さん~と叫ぶ小学生らしき子供の絶叫はなにやら切迫感があって、おや、何があったのだろうと心配にもなったりする。しかしながら口笛とくればこれはそんなふうにはならない。のらりくらりと一本調子で、しかも音程が外れているその口笛は、静かな社宅の間を縫って、ひっそり息をして何ごともなく生活している住人たちになにやら不安をかきたてている気配さえ感じさせる。あまりにも頼りない口笛はあまりにも頼りない少年を想起させ、そしてそれはそのまま川上弘美の小説世界の少年に重なっていく。それにしても下手くそな口笛である。不安で不吉な装いを纏った、どこかやりきれない哀調を感じさせる下手くそな口笛である。これはほんとうに少年のものなのか。
船の世界では口笛は何故か忌み嫌われている。船上で口笛を吹こうものならどこからともなく現れた者によって突然殴られたりするのだ。海の女神ネプチューンだったかなんだったかすっかり忘れてしまったが、その女神の嫉妬を呼び起こすだとかなんだとか、これもすっかり忘れてしまって自信はないが、あるいは海坊主が現れて船を転覆させるだとか、何故海坊主が怒り心頭で狂ってしまうのか判らないが、とにかく突如として殴られるのだ。道理に合わないのである。
川上弘美の小説の男と女が吹く口笛、それに窓の外から聞こえてくるぶきっちょな少年らしき男の吹く口笛、意味もなく頭の中でくるくると絡み合いながら流れて行く休日の朝である。
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