カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2009.07.04

レイバン

Rayban_2  Reyban2_2

昔からレイバンが好きだった。
それだから帆船日本丸でホノルル港に着いた時、なにはさておきレイバンのサングラスを求めて歩き回った。当年19歳、フラダンスなどはどうでもよかったのである(笑)
ちょうどマッカーサーが愛用したタイプのティアドロップ、汗止めバーにケーブルテンプルのものがあったので、迷わずそれを購入した。レイバンといえばこれしかないのだ(笑)
高価だった。めちゃくちゃ高かった。それでも航海士というのは眼を労らなければならないから、一生ものとして買い求めたのである。眼の悪い航海士は要らない。つまり職業柄眼を大切にする者は、この手のもに関しては金にいとめをつけず高価なものを必須とするのである。親からの仕送りがいっぺんに吹っ飛んでいった(泣)
それ以来レイバンは3本、5本と増えていったが、現在のレイバンは上の画像にあるようなキアヌ・リーブスタイプが主流である。したがって、ただいまはキアヌ・リーブスを愛用しているのである。
ところがである。キアヌ・リーブスがいけなくなった。
颯爽とキアヌをかけて街を徘徊していて気がついたことは、遠くは見えても近くが見えないということである。厳密には本は読めない、携帯メールはできない、駅の時刻表が見えない、レストランのメニューが見えない等々なのである。マッカーサーがどうであったかわからないけど、これには閉口した。我が視力がキアヌに順応しないのである(泣)
「このレイバンに遠近は入れられますか?」
こんなに安価な予算で眼鏡ができますというお店で訊くことはただのこの一点、これである。帰ってくる返事といえば、
「残念ながら・・・」
「うむ、・・・」
なのである。

眼鏡といえばジョン・レノンの丸形のものも好きだ。
これをレイバンのサングラスにできないものか、思いは千々に乱れなのである(笑)
通勤途上にあるお店で冷やかしに訊いてみる。
「ジョン・レノン風のフレームはある?」
「これなどはいかがでしょうか?」
「うむ、なかなかいいね」
「ありがとうございます」
「これにね、レイバンカラーを入れたいんだ」
「レイバンでございますか?」
「うん。それと遠近にしたいんだ」
「遠近・・・」
「そう、遠近」
「・・・」
「ジョン・レノンにレイバンカラーで、そして遠近両用なんだけど」
「ええ??、・・・」

善人を悩ましてはいけない。聖書に曰くである(笑)
造っていただくのは、やはりキアヌになってしまったのである。
「マトリックス」ではないけど、大阪の地下鉄でキアヌをみつけたら、それはワタクシでございます(笑)
休日の午後、チリワインをいただきながら。
VAIOのロゴがイカしてる(笑)

追記
惜しくも亡くなられたマイケル・ジャクソン、あれはどうみてもレイバンじゃないね、多分。なんというか、デカすぎる。ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

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2009.03.29

有馬温泉

Asagohan
ヘルシー朝食

その宿は太閤橋から望める小高い山の上にあった。
神戸の奥座敷というくらいの有馬温泉だから、格式張ったホテルや旅館が目白押しだ。かなり前から予約を入れておかなければ部屋は取れないし、予約が取れたところで料金の方が決してお安いものではないことは判っていた。それでも有馬に行った。しかも予約ときたら5日前に入れたのである。さらに料金だって有馬にしては手頃なものだったから、期待するものはなにもなし。行き当たりばったりの有馬温泉行である。

部屋に案内してくれた女性がイカしてた。
イカしてたなどとは死語であるが、そのおばちゃんはまさにイカしてたのである。
お歳の頃は多分60は超えていると思われ、私のバッグをいかにも颯爽(?)と左手でお持ちになり、軽やかにエレベーターまで誘導し、4階の廊下の突き当たりの部屋まで案内してくれたのである。そこに辿り着くまでの廊下やロビーらしき広間やエレベーターなども年季が入ったもので、そこはさすがに神戸の奥座敷たる名温泉の歴史に満ちた雰囲気を思う存分垣間見せていたのである。秩序無く廊下の壁に貼られたモノクロの絵葉書を見て怯まないものはいないのだ。旧吉田邸は焼けて灰と化してしまったが、同じ木造で出来たこの宿だけは焼けてはいけない。ぼんやりと薄暗い廊下を歩きながらの私の偽らざる感想であった。

部屋に上がるとおばちゃんは息を切らし、ぜいぜいと呼吸を繰り返した。
やはりお歳には勝てないのだろう。
「バッグ、重かったでしょう?」
「いえ、いえ」
会話はそれだけである。
私は障子戸を開け、ガラス戸越しに見える有馬の山々を眺めた。山や丘に挟まれるようにしてホテルや旅館が建ち並び、それらのほとんどは古いものであったが、それはそれで温泉の深い味わいを醸し出していた。
「これをお願いします」
おばちゃんは宿帳を出して記入を促した。そしてつづけて、
「夕食は何時頃が?」
と訊いてきた。ここは部屋食なのである。さすがに有馬なのである。
「6時でお願いします」
「はい。朝は?」
「何時頃からいただけますか?」
「7時と7時半、それに8時です」
「それでは8時に」
「はい、8時ですね」
「よろしくお願いします」
炭酸煎餅をかじりながら、私は部屋を後にするおばちゃんの後ろ姿を追った。そしてふたたび眼下に見える露天風呂らしき屋根や工事中のクレーンなどに目をやっていると、不意に背後からおばちゃんが声を掛けてきた。
「お客さん、朝は7時でしたね?」
「え?」
「食事です」
「いえ、8時です。夜は6時」
「ああ、8時でしたね」
「うむ、よろしくお願いします」
「はい」
おばちゃんは何事もなかったように、ドアを閉めて出て行ったのである。

夕食までの小一時間、私は露天風呂の人であった。
この旅館は露天風呂が独立して山の斜面のようなところにあって、浴槽からはやはり有馬の山々が眺望できた。雪が降っていたり、靄がかかっていたりしたらさぞかし趣のあるロケーションに違いないが、あいにく見えるものといえば工事中のクレーンだったり、切り砕かれて露出した茶褐色の情けない山肌だった。
かつて秀吉は信長にその労をねぎらわれ、ねねと伴にここ有馬温泉に逗留している。赤茶色した湯に浸かりながら、ねねと戯れているそんなサルを思ってみた。効能は切り傷とあり、たしかに戦場で満身創痍の武士にとってはこの湯は有り難いものだったに違いない。両手で湯をすくって顔に浸してみると、やたらとひりひりして痛みのような刺激が走った。武士にはなれないな、私はなおも両手で湯をすくって顔に浸した。

部屋に戻るとおばちゃんがお膳を運んでいるところだった。
ヘルシー御膳というだけあって、小さな器にそれぞれの料理がさりげなくのっていて、おばちゃんはやはりぜいぜい呼吸しながらそれらを丁寧に並べている。ファストフーズならぬスローフーズである。
ガラス戸越しに外を見ながら煙草を吸っていると、なにやらカチカチという音が聞こえてきた。カチカチは不規則に、そしてその不規則の間隔は次第に短くなって連続的に繰り返し聞こえてくる。見ると、おばちゃんは懸命にチャッカマンと格闘しているところだった。湯豆腐の小さな鍋の下の固形燃料に先を向け、カチカチ、カチカチを繰り返しているのだ。
「どうかしましたか?」
「どうも上手くいかなくて」
「どれどれ」
「新品なんだけどね、これ」
「そうですか、どれどれ」
私はチャッカマンを受けとると、おばちゃんがやったようにカチカチを繰り返した。
「こうやって・・・」
「どうですか?」
「うむ・・・」
「新品なんだけど・・・」
「うむ」
「上手くいかない?」
「まずいね」
私はライターを持ち出し、チャッカマンの先に向けて火をつけた。
「これで大丈夫だ」
「ああ、よかった」
「石が悪いのかな、これ」
「新品なんだけど・・・」
「そういうこともあるのです」
「そうですか」
おばちゃんは新品にこだわりつつも納得してくれたようだった。
「8時でしたね」
「え?」
「明日の朝食」
「ええ、8時でお願いします」
「ごゆっくり」
「ありがとう」
部屋を出て行くおばちゃんは、いくらか右足を引きずっているように見えた。

寝る前にもう一度露天風呂に浸かった。
人気のない廊下を歩きながら、ふと目をこらすとなにやらガラスでできた水槽のようなものがあり、そこにはホタル育成中と書かれた貼り紙があった。子供たちの夏休みにホタルを放つ。粋な計らいである。ホタルの乱舞とはいかないまでも、たよりなげな幾匹かの飛び交うホタルを私は想像してみた。「螢川」ならぬ「ホタル温泉」である。
脱衣場の戸を開けて露天風呂に出ると、夕刻には気づかなかった紙に手書きされた蝶の絵が目にとまった。その紙に書かれた絵の傍には白い小さな網のようなものがある。眼鏡を取り出して読んでみると、夏になるといろいろな虫たちが湯の中に飛び込んできます、虫たちをこの網ですくって助けてあげましょうと書かれていたのである。
ホタルといい虫たちといい、ここは家族で来るところらしい。そうなると、おばちゃんたちはさしずめ孫たちの世話役といったところかもしれない。おばあちゃんの知恵袋。なんとも微笑ましい図ではないか。私は一人苦笑した。
そういえば、私の部屋番のおばちゃんもそうだが、廊下ですれ違うおばちゃんのほとんどが同じ年格好で、中には70歳にもなろうかと思われる方もおいでだった。いまはやりの再雇用というものだろうか。とすれば、この宿は有馬でも先端を行っているということになる。顔に刻まれた皺のひとつひとつは伊達ではないのである。ねねとサルのように戯れていてはいけないのである。
なるほど、どおりで若いカップルが見あたらなかったわけである。
赤茶色した湯が身にしみる弥生三月有馬の宵の奇々怪々。

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2009.02.22

チリワイン

チリのサンチャゴ空港に着いたときTさんが迎えにきてくれた。
これから二日間、彼がアテンドしてくれることになっていた。
早速Tさんの会社の貨物船に行って仕事を終え、我々は飯を食いに街に出た。チリという国はブラジルといった他の南米諸国とちがい、日本人の移民を受け入れなかったから今でも日本料理店はそれほど多くなく、仕方がないといってTさんはどうでもいいようなお店に私を連れてふらりと入ったのである。チリに単身赴任して3年とちょっと、感覚的にはすでにTさんはチリ人といってもよかった。
どんな料理が出たのかはすっかり忘れてしまったが、ワインの味だけは今でも鮮烈に憶えている。
いける口ですかと訊かれたので、多少はいけますと応えると、Tさんは意を得たりと思ったのかニヤリと笑い、ワインを2本注文したのである。チリソースに絡んだ魚貝を食べながらグイッとワインを飲むと、これがまた絶品の味がした。肥沃とはいえないなんとなく貧弱なチリの土地を思えば期待するものなんか何もなく、ワインなんかフランスだろうと思っていた先入観が木っ端微塵に打ち砕かれたのである。葡萄の濃さといったらただものではなく、これはもう空になったグラスの内側にあざやかに葡萄の澱が沈殿していて、また葡萄の口中に広がる香りの濃密さは今までに経験したことのなかったものであった。
旨い旨いといってあっという間に1本を空にしたものだから、Tさんも嬉しくなったのか、船便で1ケースお送りしましょうかなどと有り難いことをおっしゃる。いえいえそれはいけません。なんといっても私とTさんはこれが初対面なのだから、ここは涙を呑んでご辞退申し上げたのである。断腸の思い。今から思えばなんと残念だったことか。
それ以来というもの、私は自分が酒屋で買って飲むワインはチリ産と決めている。1000円も出せばお釣りがくるようなお値段で、ときによっては2本も買えたりするのだからチリワイン万歳なのである。
ロンドン駐在だったMさんが神戸に赴任して一緒だった時もチリワインをよく飲んだ。
さすがに国際派というか、いやこれはワインについてだけかも知れないが、Mさんもそこは蛇の道はなんとやらで、昼飯を食った帰りなど、神戸の元町の酒屋が店の前に出しているワゴンにどっさり乗ったワインの中からチリワインを鷲掴み、4,5本ほど買い求めるのである。つまみはどうでもいいやといいながら、近くの手作り豆腐をこれまた2,3丁包んで貰い、その日の仕事は手につかず、この国際派は終業の時間をただただ首を長くして待つのである。
そんな国際派のMさんは今は四国にいて、いつでも声を掛けてくれなどといっている。神戸と四国はほんのわずかな距離だから、そのうち酒の安売りスーパーでチリワインでも大量に仕入れておこうかなどと目論んでいる休日の午後である。
今日の神戸は午後から雨の降り出しそうな曇り空。昼は何を食おうかと思案し、そんなTさんやMさんを思い出し、冷蔵庫からスーパーで買ったピザを取り出し、こうしてチリワインをいただいているのである。我が休日ランチに栄光あれ。なぜか『ノルウェーの森』を聴きながら。

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ニコラス・ケイジ

Next

もう三ヶ月前にもなろうか、S君からいただいたDVDがひょんなことから鞄から出てきて、ちょうど今日は時間があったのでなにげなく観てみるとこれが面白かった。
主演はニコラス・ケイジ。あの「コットンクラブ」でギャングになれない若造、つまりチンピラ役を演じていた彼なのだが、あっと驚くくらい良い役者になっていた。「コットンクラブ」ではリチャード・ギアやダイアン・レインの影にかすんでいたけど、ちょっとだけ気になる役者であったような気はしていた。今じゃハリウッドの大スターだけど、今日観たDVDで、最近は映画にはとんと疎いけど、すでに彼は大物になっていたのである。
ダイアン・レインはなにやらおばあさんぽくなっているらしく、時代はそんなに経っていないような気がするけど、そこはやはりみながみなお歳をお召しになってしまったということか。
iTunesをBGMにベッドに横になって本を読んでいる我が身としては、シネコンには年齢相応の割引があると聞いても、どうも足を運ぶ気にはなれないのである。
DVD鑑賞の後、さて歯でも磨いて寝ようかと思いつつ、ふと思い出してしまったのがニコラス・ケイジではなくダイアン・レインだったのが可笑しい。そしてそのダイアン・レインがどう繋がるのかといえば、
「明日、歯ブラシを買いに行こう」
だったのである。年を取るとどうも歯がいけない。歯を丹念に磨くことは必須アイテムだから、買い置きがないとなるとどうも落ち着かないのである。かの大女優には申し訳ないのだが、「明日、歯ブラシを買いに行こう」はその買い置きがないのに気がついたということなのである。はなはだ不謹慎。失礼千万。平にご容赦。
左サイドバーにあるYouTube「ストリート・オブ・ファイアー」、この若き日のダイアン・レインに免じてどうかお許しを。
うむ、ニコラス・ケイジはどこ行った。ちなみにAmazonでのレビュー評価は散々である。手厳しい。ワタクシなどは娯楽映画としては上出来だと思うのですが・・・。まあ、いただきものだし・・・。合掌。

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2009.01.24

厄神さん

Nenjyu

世の中には凄い方もいるものだ。

かげくらき
月のひかりをたよりにて
しずかにたどれのべの細道

この文言でググって我がブログに辿り着いた方も相当なものだ。天晴れ。
これは末吉だから、この方は余程気にかかってGoogleで検索したものとお見受けする。
まあ、ワタクシ的には“小舟危うきおきつしらなみ”の方がグーンと気分がへたってしまうわけで、またしてもお神籤に挑戦した次第である。
門戸厄神 東光寺。ここは日本の三大厄神の寺のようで、寺だろうと神社だろうととにかく“小舟危うきおきつしらなみ”をどうにかしたく厄除大祭に行き、私はお神籤の箱をガチャガチャと大袈裟に、この音天までとどけといった勢いで力まかせに振ったのである。そんな悲鳴にちかい祈りもとどかず、出てきたのは吉だった。ただの吉。がっかりである。和歌は無く、これもがっかり。
いまいましい気分になり、ひょいと見上げると、なんとそこには大きな文字で書かれた厄年早見表なるものがあって、またしても驚いたことに、私は大厄であった。八方ふさがり。矢でも鉄砲でも持ってこい。私は急にこの三大厄神の寺が嫌いになった。
落胆ばかりもしていられないので、私は気を取り直してお守りを買うことにした。
手に取ってみるとなかなか具合が良かったが、そのお守りの横にあった腕念珠が輝きを増してこちらうかがっているようだったので、迷わずそちらの方を選んだ。大枚千円也。家に帰って左腕にはめてみると、それはすこぶる具合がよろしい。立派に和紙で包装されていて、その和紙には次のようなことが書かれてある。

この腕念珠は身に着けるお守りです。左腕にはめてお使い下さい。
特に「ふさ」を七色で作りました。七色は昔より七難を除くと言われ、厄除けになります、大切にお使い下さい。

ありがたや、ありがたやである。私は急にこの三大厄神の寺が好きになった。
さらに和紙には小さな文字で、次のようなことが明記されていた。

★お風呂にはいる時は外して下さい。
★念珠の紐は必ず切れるものです。切れても心配ありません。早めに修理するか、こちらへお納め下さい。

ありがたや、ありがたやである。お風呂にはいる時には外すことにしよう。紐が切れたからといって心配してはいけない。切れたら修理をすればいい、それだけのことだ。これで“小舟危うきおきつしらなみ”も木っ端微塵なのだ。ざまあみろ。うむ、下品な言葉は慎もう。ざまあみろは削除です。ざまあみろ
うむ、頭が痛くなってきた。寝ます。おやすみなさい。
とにかく、今年1年が良い年でありますように。合掌。

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2009.01.11

運勢

Jinjya

丑年の運勢や如何に。
正月、近くの神社でお神籤をひく。
大抵の年は、これでもかこれでもかというくらいに大吉の大盤振る舞いだったものが、ここにきて神社の方でも浮かれてばかりではいけないと方針を転換したものか、どうも大吉の出が少ないように感じるのは気のせいか。
末吉を引き当て、あまりにも面白くないことが書いてあったので、日を改めてリベンジしてみたがやはり末吉だった。
お神籤にリベンジなどはいかがなものかと顰蹙をかいそうであるが、今年は年男でもあり、天照大神を押し倒してでも、はたまた八百万の神と談合してでもワタクシの思いは強固なのである。

のどけしと
見えしうなばらかぜたちて
小舟危うきおきつしらなみ

最初の末吉である。
長閑な日々だと思っていて油断をすると、たちまち災い難儀がやってくるのだよ。気を引き締めよ。
こんなことをおっしゃりながら、神様はケンタッキーフライドチキンなどを召し上がり、エビスビールなどをぐびぐびやっておいでなのであろう。

かげくらき
月のひかりをたよりにて
しずかにたどれのべの細道

リベンジの末吉である。
何事にも謙虚であれ。心穏やかな平常心こそが大切である。ゆっくりと行きなさい。
こんなところだろうか。くだんの神様はサッとケンタッキーをお隠しになり、エビスを発泡酒に代えて冷や奴に箸をそっとお出しになるのである。
いずれにしても、2009年の丑年は「おとなしく」しておれなのである。「大人しく」、「温和しく」なのである。

年明けて最初に読んだ小説は太宰の『酒の追憶』だ。
これはもう幾度となく読んできた掌編でとても気に入っている。
酒飲みたるもの、燗酒、ひや酒、盃酒、コップ酒、茶碗酒、独酌酒にチャンポン酒のなんたるかをわきまえ、こころしてかからなければいけないのである。
今年はこのあたりを肝に銘じ、乱暴なお酒の飲み方は厳に慎むことにしよう。しずかにたどれのべの細道なのである。小舟危うきおきつしらなみは断じて回避しなければいけないのである。

わたしゃ
売られて行くわいな

太宰も言っているように、このようなお軽の唄をうたいながら夜の梅田を闊歩してはいけないのだ。ただね、それが一番難しいところなのだよ。大人しく、温和しく「わたしゃ売られて行くわいな」と、想いははるかに来年の『寅』に飛んでいるのである。ことわっておきますが、阪神の虎ではないので悪しからず。こちらの虎は今年も到底・・。木枯らしの擬音。

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2009.01.05

駒ヶ岳

P1040857

新年、明けましておめでとうございます。
ということで、今年最初の写真は駒ヶ岳です。
正月休みもいよいよ終わりに近づいてきた。
天気も良かったので「優しい時間」を求めてやはり東大沼を走った。温泉行です。
日が差して駒ヶ岳の山頂を照らし、山頂は雲に覆われて見えなかったが、ほんの一瞬風に押し流され顔を覗かせたので一枚失敬したのがこれ。陽光に際だつ山肌がなんとも綺麗だった。
この後、しばし温泉に浸かる。露天風呂からも駒ヶ岳はくっきりと見えて、気分は上々なり。
明日は移動日だから、これが今回最後の温泉となる。

雪けむり肌をひと撫で山見やる   信天翁

今年の運勢はあまり良くないらしい。
これについては次回のお楽しみ。(笑)

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2008.12.31

歓喜の歌

Karajan_no9

2008年大晦日。
カラヤンの第九をかけっぱなしで大掃除。
いろいろあった2008年よさようなら。
いろいろありそうな2009年よこんちにちは。
歓喜の歌を口ずさみながら。
函館晴れ。風ひとつ無し。爽快なり。

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2008.12.29

眼鏡

P1040823

朝起きて、新聞の代わりにTVを入れると亡くなられた緒形拳さんが映っていた。
NHK制作の「プラネットアース」である。地球を旅する番組であるが、癌が侵攻していたであろう緒形さんにとっては痛々しい場面もかなり少なくなかった。
緒形さんの顔をまじまじと拝見していると、そこに共通してある彼の若々しさを作っている秘訣みたいなものがあって、そこばかりを興味を持って注視していた。それは眼鏡である。緒形さんは撮影のその状況状況に応じて眼鏡を代えていたのである。稀代の個性派俳優は病に冒されようともお洒落を貫き通していた。人生かくありやである。

復原力がなくなっている。
船の復原力とは船を立て直す力のことで、揺れに大きく傾いてもそれを起こして体勢を立て直す、それが復原力であり復原性という。
私の場合の復原力、それはたくさんお酒をいただいた翌日でもしゃきっとしていること、それである。
ここ数日お酒を飲んで家でゴロゴロしているが、翌日がどうもいけない。これしきのお酒で翌日すぐれないで頭の芯の方がじんじんするようでは先が長くないかも知れない。
そんなこともあって、久しぶりに昔の仲間から今晩お付き合いの連絡があったが、丁重にお断りすることとなった。

12月というのは日が短くていけない。気がつけば日は落ち、薄墨がサッと掃くどころか、あっという間の闇夜の世界である。体調を崩してしまうのもこの闇夜が隙を突いて一撃をくれるからなのだろう。そんなときはゆっくり休むに限る。何も考えずに休むのが良い。慌ただしく、忙しい1年だったのだから。
今しがた、2月末まで閉鎖が延長されたという緒形さんの公式サイトを拝見していて、稀代の個性派俳優にならって遠近両用眼鏡にカラーでも入れようかと思った。これで復原力が回復するようだと良いのだが。フレームはやはりセルがいいな。
函館天候くもり。まもなく、あっという間の闇夜の襲来。合掌。

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2008.11.09

文学界

Photo

昨日、街に出て本屋に寄り文学界とダ・ヴィンチを買う。
ダ・ヴィンチは理由ありで買ったものだが、想像していたとおり期待はずれで、そのうえ活字が細かくて散々に苦しめられた。失望。熟年はとっとと尻尾を巻いて降参だ。
文学界を買った理由は新人賞の発表でもなく「同人雑誌評最終回記念座談会」と「全国同人雑誌リスト」だった。
文学界の同人雑誌評は昭和26年から始まっており、今号で最終回と書かれてあった。
座談会の方は後から読むとして、全国同人雑誌リストのページを開いてみると、そこには懐かしい同人誌名が並んでいた。
函館のものは「青の時代」、「サボテン通り」、「森林鉄道」で、残念ながら僕の所属している「晨」はなかった。休刊しているから当然といえば当然なのだが、毎月評を続けてくれた選者の方のお顔と伴に、なんとなく時代を懐かしんでいる。「青の時代」はともかくとして、「サボテン通り」、「森林鉄道」はよく続いているものだと頭が下がる。Yさんの執念が読み取れる。
執念といえば、函館から札幌に居を移したSさんがやってる「緒里尽」もよく続いている。お見事としかいいようがない。みんな逞しく生きていることがなにより嬉しい。
原稿用紙が無くてもネットや携帯で簡単に文芸賞をとれる時代になったにもかかわらず、同人誌に執着する方々が未だに全国に健在という現況は、それはそれで尊いものであろうと思ったりもする。とにかく半世紀にも渡り、文学界にはご苦労さんとしかいいようがない。
帰りにBook offにより100円コーナーを冷やかす。宮本輝と石田衣良を買った。
神戸の街がさりげなく描かれていて、久しぶりに読む宮本輝もいいものだ。

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2008.08.12

藪蚊

公園の木立で陽を避け涼をとる。
煙草に火をつけ、帰宅を急ぐビジネスマンを見やり、暮れなずむ夏の夕景にとけ込んでいると、どこからともなく藪蚊が集まってくる。
足元に目をやると黒い小さな姿をしたそれが縦横無尽に飛び回り、機を狙っては僕の脛目掛けて襲ってくるのだ。靴下がメッシュなこともあり、藪蚊はその上から僕の血を吸おうと急降下を繰り返し、数匹が入り乱れて突進してくる。
僕は携帯を鷲掴みし、足をバタバタやりながら応戦する。小さな黒い物体は懸命に身を翻し、僕の靴底の下を巧みに逃げ回る。

藪蚊(大辞林)
ヤブカ属の蚊の総称。体長 4~6mmで、黒色のものが多く、黄褐色や体・足に白帯のあるものもいる。藪や木立の中にすみ、昼間活動して人畜を刺し吸血する。デング熱を媒介する種もある。日本には約四〇種を産する。ヒトスジシマカ・トウゴウヤブカ・キンイロヤブカなど。

デング熱なんかをもらったひにゃたまらないな、誰ともなく語りかけるように僕はひとりごちる。そうして不意に過去に読んだことのある安岡章太郎の小説を思い出していた。
たしかその小説には蛾が出てきて、主人公の耳の中に入り込み、もがけばもがくほどその蛾が耳奥へ入り込んでゆくといったものだったように記憶する。
蛾が耳から入り込むなど尋常ではないが、『私説聊斎志異』を書くくらいの安岡だから、妖怪奇譚はお手の物に違いないと感心して読んでいたのである。
蛾ではなく藪蚊であったならどうか。蛾は動くことをやめ、安岡の耳奥で巣くい、俺はおまえの中が居心地が良いから当分はこのままで居させてくれ、寄生ではない共存なのだよ。蛾の言い分はそんなところだろうが、これが藪蚊となったらそうはいかない。藪蚊は絶えず刺してくる。刺して血を吸い尽くす。満足のいくまで血を吸い尽くす。そしてゆったりと棲まい、空腹になったらまた血を吸いにかかるのだ。そこには遠慮はない。遠慮がないからその分苦しい。絶えず苦しい。そんな状況が延々と続くのであれば、これはもう小説にはなり得ないな、そんなことをぼんやり考えながら、安岡が蛾に拘ったわけが解ったような気がした。

井上荒野の小説について話した。
僕はこの人の直木賞受賞作は読んでいないが、この方のお父さんは知っている。
井上光晴。小学校中退。世間には珍しい人間がたくさんいるけど、小学校中退なんて経歴の持ち主は僕しかいないんだ、そう言って井上さんは快活に笑って見せた。
童顔でありながら言うことは辛辣、文学の講義をしている間中でも酒の入ったグラスをかたときも離さなかった。このひとは死ぬ気だな、いつかは人はみなこんな風になってしまうのだな、そんな想いで僕は井上さんをじっと見ていた。グラスに注がれた生のウイスキーはどんどんなくなっていく。やはりこのときの井上さんは本気で死ぬ気だったのである。「文学伝習所の人々」は読んだ記憶はあるが、今となってはその記憶自体が怪しいものとなってしまった。僕も本気で死ぬ気になって酒を飲む、そんな年齢にさしかかったのかも知れない。
井上荒野さんの小説は官能小説らしい。本人はどう思ってるか知らないが、僕はどうも読む気になれないでいる。「切羽へ」がその直木賞受賞小説のタイトルらしいが、今、井上さんの年譜を見ていると、荒野さんが長女で、次女が切羽さんというらしい。切羽とは井上さんが炭坑の坑夫だったときに突き進んでゆく掘削先端場を言ってるんだろうと勝手に思っていたが、果たして荒野さんの切羽とは何を暗示させているものだろうか・・・。
いずれにしても僕にはやはり読む気にはなれないのである。

小説を書き続けようとしてる人がいる。小説を書こうとしている人がいる。そんな人にエールを送るとすれば、小説は自在闊達、筆の走るが間々に、これしかないないのかも知れない。勿論面白くなければ一巻の終わりである。
藪蚊を題材にした小説でも書いてみるか。メッシュの靴下目掛けて襲いかかる藪蚊をみながら、そんなことをぼんやり考えていた。

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2008.07.30

整理整頓

長くブログをやっていると、目に見えない毒のような埃や垢や脂肪のようなものが蓄積されてしまい、身動きが取れなくなってしまう。
そこで不要になったものを取り除き、必要なものだけを整理することにした。
多少時間はかかるが、これを新たに再出発することとしたい、そんな気持ちでいる。
北京オリンピックの年というのがなんとなく面白い。(笑)

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2008.07.27

夜が来る

P1040705


サントリーオールド-『夜が来る』-

暑い、馬鹿馬鹿しいくらいに暑い。
日本の夏はなぜこうも暑いのだろう。
ごろりとベッドに横になり、あてにならない風を迎え入れようとするが、半分ほど開いた窓から入ってくるのは熱風である。仕方がないので扇風機を回すが、これでは太刀打ちできないのでエアコンを入れる。かくしてどこへも出かけず、病床六尺の体、身体の節々まで、まるで床ずれのような不快な痛みが襲ってくるのだ。

夕方になって、ぶらりと出かけて見つけたのが画像にあるサントリーオールド第二弾の「オールドサウンドフォトスタンド」である。隣が昨年の第一弾で、それよりは一回り大きくなっていて、サウンドの方も重量感が増したようだ。
Soft Bank の犬のお父さんは、その白い身体の部分を押すと、『ヤバイ、ヤバイ』といったり、『お前にはまだ早い!』といって渇を入れたりするらしいが、このサントリーは相変わらず『夜が来る』が渋く流れるのである。
その『夜が来る』を聴きながら、秋よ来いと念じていたりする休日の午後。

『夜が来る』夏ハマナスの艶姿    信天翁

上海ですっかり胃を壊し、食の方は細くなってしまった。
ご飯に冷や汁をぶっかけて食いたいで候。犬マンマ。猫マンマ。
「お前にはまだ早い!」
きっと犬のお父さんに気合いを入れられるんだろうな。(笑)
[金蓮]で肝臓を鍛え直さなくてはいけないのだ。

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2008.07.21

豫園

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豫園は上海を代表する有名な観光スポットらしい。
らしいと書いたのは、我不知歴史的上海だからである。
調べてみると、1577年に完成した四川省の役人潘允端が両親のために作ったとされる上海を代表する名園とあり、その2万平方メートルにおよぶ広大な敷地内にある庭園はまるで迷路である。
残念ながら、その日はデジカメを忘れてしまったので画像は1枚もない。
アテンドのSさんは何度となく来ているらしいが、そのたびにどこを歩いているのか忘れてしまい、このときも我々二人はその迷路の虜となり、炎天下35度もあろうかという園内を頭から汗を吹き出しながら、放浪していたのである。
この豫園の外には「豫園商城」という観光客目当ての商店街があるのだが、豫園内にも公的というのか、そんな機関の目が光った商店がいくつもある。
骨董品店なんかもあって、値段はあってないようなものだから、値切りは当然なわけで、いきなり半額のお値段から交渉するのである。
僕は我不知歴史的上海であり、土産など買う気はまったくなかったのだけど、Sさんはやたらとこんなものはどうか、これなんかは骨董としてなかなかのものだなどと、まるで上海の回し者のごとくそそのかしにかかるものだから、ほんのつまらないもの、それが何かとは言えないが、土産として買ってしまったのである。
僕は「敵は本能寺にあり」のSさんを警戒し、もうこの手に乗ってはいけないと肝に銘じ、豫園内の迷路をぶらついた。
不意に一人のおねえさんが寄ってきて、我々の入場券を見せろと言う。Sさんが中国語でなにやら話している。
「このさきに茶館があり、入場券を持っていくとお茶をいただけるらしい」
Sさんはどうしますかと訊いてくる。まあ、騙されるのも悪くはない、どうせ暇なんだから、僕はSさんにそう言って、ここはひとつ騙されてみることにしようということになった。

茶館に入ると、日本語の流暢なやり手ババァならぬ笑ってばかりいるおばちゃんがいて、茶器のセットを前に講釈をたれ、若いおねえちゃんにお茶を淹れさせるのである。
笑うおばちゃんは1枚の紙を示し、
「お茶はなにがいいか?」
と訊ねてくる。あいかわらず流暢な日本語である。
その愛想のない貧弱な紙にはこう書かれてあった。

        養身茶

1[甘片]将軍腹、抑制脂肪吸収、減肥無副作用
2[金蓮]護肝醒酒、脂肪肝、肝硬変、解毒、肝病有特効
3[霊芝]抗癌、癌細胞瀇散抑制、放射治療副作用的緩和
4[青花]糖尿病、血糖値下降、
5[柑茶]急性慢性鼻炎、花粉症、眼病蓄膿症、美容、皮膚病
6[留留]神経衰弱、自律神経失調、神経性頭痛、五十肩
7 略
8[黄仙]便秘、腹部膨脹、痔疾、消化不良、腸道病
9[黒玉]脳梗塞、高脂血症、動脈硬化、血管硬化
10[皇羅]恢復疲労、強精、滋陽、強壮、更年期障害


「わたしは9番を勧めます」
笑うおばちゃんは僕の顔を見るなり切り出した。
これですといって持ってきたガラスの器には、ジャスミンのような香りのする漢方草がびっしりと詰まっている。
「日本人、これよく買っていく」
おばちゃんが言う。
「うむ、ただそれだけのことか」
僕はSさんに笑いながら言った。
「たしかに脳梗塞にはなりたくないけどね」
僕は母が脳梗塞で倒れたのを思い出していた。
「悪くはないけど、今は2番だな」
前日にSさんと日本料理店でしたたかに飲んだので、ここはやはり肝臓を労ってやらなければならなかった。
「これはすごく苦い。苦い」
この辺から笑うおばちゃんの日本語は怪しくなってくる。
「苦くてもかまわない」
「苦い、苦い。いいのか?」
「苦い、苦い、かまわない」
蓮の実の一種だという、乾燥した黒い小さな堅い玉をおばちゃんは器用に潰し始め、そして小さな茶碗に入れ、そこに適度な温度のお湯を差した。差したというよりは、器に向かって湯をぶっかけているといった具合で、器全体がお湯浸しになるのだ。日本の茶道らしきものはそこにはない。
「苦い!」
「苦い、苦い」
「これは苦い!」
「苦い、苦い」
おばちゃんの笑い顔は、いつしか険しくなっている。
「どうです、ひとつお土産に・・・」
おばちゃんに同情したのか、Sさんはここでも「敵は本能寺にあり」になり、僕にその[金蓮]を盛んに勧めるのである。
「それじゃ一缶・・・」
「謝謝」
我知中国的苦茶。(笑)
豫園の庭園はその迷路もさることながら、魑魅魍魎として妖しさもまた奇々怪々なのである。

今日は『海の日』である。
蒸し暑い休日の中、僕は不器用に乾燥した黒い玉を押し潰し、茶碗にお湯をぶっかけ、そして[金蓮]を飲んでいる。
肝臓が元気を出しているのかどうか解らないが、35度という猛暑の中で喘ぎ喘ぎ生きている。
今日の天声人語は『海の日』について書かれていた。
-東京湾に満ちるのは「日本の水」だが、それはアマゾン河口やマルセイユの港にもつながっている。-
アマゾン河口やマルセイユの港につながってる「日本の水」は、まちがいなく上海の港にもつながっている。揚子江にもつながり、そして水郷の街朱家角の運河にもつながっているのだ。

海よ俺の海よ
大きなその愛よ
男の想いをその胸に抱きとめて
あしたの希望(のぞみ)を俺たちにくれるのだ
(『海 その愛』作詞:岩谷時子)

海の恩恵に感謝しつつ。
そして上海でお世話になったすべての人に感謝しつつ。謝謝。再見。
それにしても[金蓮]の不味さといったらないな。(笑)

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2008.07.19

朱家角ギャラリー

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朱家角をゆく

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『街道をゆく』でも『竜馬がゆく』でもましてや『司馬遼太郎がゆく』でもない。朱家角をゆくなのである。
上海から車で小1時間ほど行くとそれがある。水郷の街朱家角。
我不知歴史的上海だから、あいかわらず車の中に閉じこめられ、
「これが清の時代の・・・」
といわれようとも、
「これは明の時代に・・・」
といわれようとも、
「うむ、そうでしたか」
「うむ、なるほど」
などと頷きながら関心を装い、もう少し冷房を効かせてもらえませんかといいたい言葉を飲み込んでいるのである。
我不知歴史的上海だから、ここはネットの力をお借りして朱家角をご紹介すればこうなります。

上海の南東約40km、淀山湖のほとりにある水郷が朱家角。またの名を珠街閣ともいう。その歴史は1700年以上時代をさかのぼった三国時代に始まるという。街の中には運河が通り、明代には水上交通により、商業の中継地として栄えた。白壁と瓦屋根の民家が連なる風景は昔ながらの江南地方の風景を今に伝えている。「上海のベニス」とも呼ばれる、静かでゆったりとした町だ。

我々が車を降りると、やり手ババァらしきご婦人がやってきて、妖しい笑いとともに、
「安くしとくよ」
などとすり寄り、正規の入場料金の半額以下の金をせびるのである。これが上海、なぜか上海、ついでにベニスな上海なのである。
休日となると混雑しているのかも知れないが、この日は月曜ということもあって、じつに長閑な朱家角で、軒を連ねる歴史的建造物を改造してできた土産品店なんかも、呆れるほどのんびりしたものだった。
現地でアテンドしてくれるSさんと僕はやり手ババァに従い、そんな長閑で退屈しそうな瓦屋根の民家群を次々と見て回った。
ランニング姿のオヤジが煙草を吸っている。金魚を入れたビニール袋を持ってきて、買えと言ってつきまとうおばちゃんがいる。手に持ったペットボトルを寄こせと迫るバアさんがいる。何をするでもない退屈そうなジイさんが椅子に座り、こちらを伺っている。その横を洟垂れ小僧がすばしっこく走り回っている。さすがの月光仮面もたじろいでしまうのだ。
歩きを拒むような石道路、濁って流れることすら忘れてしまったような水面、その上を渡る肉を焼いたような鼻をつく焦げ臭い匂い。そのどれもこれもが清の時代明の時代から受け継がれてきているのだろう。中国4000年はやはり手強いのだ。

P1040656

やり手ババァは黙々と前を歩き、時々振り返ってなにやら語りかける。
舟着き場の前に来ると、どうだ、これに乗ってはと勧める。我不知中国語。
Sさんは堪能な中国語を操り、あっさりと半額の料金を交渉する。バアさんはいよいよ呆れて、一言ポツリと言い残して早々に立ち去って行った。我不知中国語。(笑)
上海のベニスかどうかは別として、艪回舟に乗って街の中を走る運河を行くと、1700年前の風が頬を撫で、その気持ちよさは格別だった。もう少し冷房を効かせてもらえませんかなどといった不謹慎な言葉は出てきはしないのだ。(笑)

上海から一番手軽に行ける水郷。「小橋、流水、人家」といわれ、明・清代の街並みと現在に受け継がれる古鎮での人々の生活を垣間見る事ができる。石造りの太鼓橋・放生橋、「街三里、店舗千個」とい言われ石畳の小道に店舗と民家がひしめきあう北大街、江南豪農人家建築の傑作である席氏応接間、清代の「呉中七個」の王昶記念館、レトロな「江南第一喫茶楼」と江南水郷の風情に富んだ水上「遊覧船茶館」等がある。

その後、上海市内に戻って夕食をいただく。
『緑波楼』。上海料理と上海風点心の名店。海外からの国賓も多く訪れる特級クラスのレストランとある。
たしかに小籠包は絶品であった。口に含んだ豚の煮こごりの熱い汁を飲み込み、
「上海蟹はないのですか?」
僕はおそるおそるSさんに訊いてみる。
「残念ながら、上海蟹は12月頃なんですよ」
「うむ、そうでしたか」
「上海蟹がどうか・・・」
「いえ、好きな人を知っているだけで・・・」
上海蟹、上海蟹。マンハッタン、マンハッタン。

いいからまそ、まそ、ま、まそっとおいで
ころがる程に丸いお月さん見に
ギターをホロ、ホロ、ホ、ホロッとひいて
そしらぬ顔の船乗りさん

海を越えたら上海
どんな未来も楽しんでおくれ
海の向こうは上海

ながい汽笛がとぎれないうちに
海を越えたら上海
君の明日が終わらないうちに

我不知歴史的上海。
それにしても、陽水の上海も我不知歴史的上海にかなり近いものがあるな。
陽水の「なぜか上海」を聴きながら・・・。

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2008.07.17

なぜか上海

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上海という言葉の響きには、なにやら心地良いリズムがある。
中国でも屈指の都市になっている上海。
ちょっと長い出張でそんな上海へ飛んだ。なぜか上海なのである。
仕事を終えるといろいろなところへ案内してくれる。
こちらはそんなにも期待していないから、そしてどこそこが観たいなどといった下調べもしていないから、まあ、つまりお任せで引っ張り回されたのである。
そんな中で出会ったのが写真にある高貴なお方の像である。
正体不明。我不知中国語。文責無。言語道断。同類相哀。

上海博物館。
最近無料開放になったということで、すでに長蛇の列。
鳥が囁いてるような中国語が飛び交う中で待つこと30分、いい加減帰りたくなったのだが、そこは案内してくれる方のためにも弱音を吐いちゃいけない。
うんざりして、もうこれが限界、あたしゃひとりで帰るわいなと倒れかかったとき、生意気そうな係官らしきのがやって来て入館に相成ったのである。目出度さもひとしおなりの炎暑かな、なのである。

この仏像のような像、紀元前なのか紀元後なのか、つまりそんな有り難い歴史的お宝がゴロゴロしているのでよく解らないが、お顔を拝見していると、なにやら汗がスウッと引いていって、目出度さもひとしおなりの炎暑かな、なのであった。
館内は近郷の田舎から夏休みを利用してやって来たものか、先生に引率された洟垂れ小僧たちが縦横無尽に走り回り、石造りの階段に座りまくり、ノートを取っている姿が微笑ましかった。かつての日本ののどかなよき風景を拝ませて貰っているようだった。
手を触れるな! そんなことが書かれているだけで、仏像なんかはショーケースにも収められていない。これに落書きなどする輩がいれば、これはこれで凄いことになるのだろうと、有り難きかな高貴像を拝見しながらの微笑み返しなのである。
何を言ってるのか解らなくなってきたので、目出度さもひとしおなりの炎暑かな、の見聞録はこれにて終了。
像の妖しきご尊顔に免じて、どうかお許しを。

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2008.07.06

暗き紅灯の巷

Narutotai
梅雨開けて鳴門の鯛をひとり酌む

富貴名門ノ女性ニ恋スルヲ
純情ノ恋ト誰カイウ
暗キ紅灯ノ巷ニサマヨウ女性ニ恋スルヲ
不情ノ恋ト誰カイウ
雨フラバ雨フルヨシ
風フカバ風フクヨシ
泣イテ笑ッテ月下ノ酒場ニ媚ビウル女性ニモ
睡蓮ノゴトキ純情有り
酒ハ飲ムベシ百薬ノ長
女ハカウベシ人生無上ノ快楽
窈窕(ヨウチョウ)美人ノ膝ヲ枕ニ
一夜明ケレベ夢モ無シ金モ無シ
叩ク電鍵、握ル舵輪、覗クコンパス六分儀
アア、我ラ海行クカモメ鳥 明日ノ命ヲ誰カ知ル
サラバ歌ワン我ラガ歌ヲ ダンチョネ節

このような口上を朗々と語り、

沖ノカモメと商船校ノ生徒ハヨ
広イ世界ヲネ 股ニカケ ダンチョネ

泣イテクレルナ出船ノ時ハヨ
泣ケバ舵輪(ホイール)ガネ 手ニツカヌ ダンチョネ

と10番くらいまで歌い始めるのである。
船乗り版ダンチョネ節、野蛮極まりないのである。
八代亜紀なら、

沖のカモメに深酒させてよ
愛しあの娘とよ 朝寝するダンチョネ

と、これはこれで色っぽいのである。

15,6才の時から歌わさせられていたから、すこぶる怖い餓鬼どもだった。
卒業すると、今では聞き慣れない甲種船長という国家試験免状を取るのが最終目標。これを取ってしまうと、これはもうどんな大きな船の、例えば10万トン、20万トンのタンカーの船長もでき、豪華客船「飛鳥」や「さくら」のようなクルーザーの船長だってでき、果てしない地球のどこまでも航海することが可能なのである。
甲があるから乙も丙もある。乙や丙はある意味限定された海域の航海士や船長しかできないから、やはり甲種船長は手強くもあり、なかなか合格とはいかないのである。

そこで青函連絡船。
何を血迷ったのか、あるいは国鉄の安全輸送のステイタスがそうさせたのか、甲種船長免状を取らなくては採用してくれなかった時期があり、不運にも僕はその頃の採用であった。
かのダンチョネ節を歌っていた学生時分は、外航に船出してしまうと恋愛もままならず、かつての仲間とさえ再会することもまったくできない状況が予想されたから、勢いだけは立派だが、暗き紅灯の巷を思いやって悶々としていたのである。
富貴名門の女性なんかには縁がなく、睡蓮のゴトキ純情のある女性にも暗雲が立ちこめていて、心だけは全開で荒んでいたのである。

僕は二つちがいの姉にお願いしたことがある。
同級生のあの娘ね、このまま外国航路に出たらまともな恋愛なんかできないから、都合がついたら一度紹介してくれないか、そう頼んだのである。
姉は驚き、そして、いつのまにこんな不良になってしまったんだといった顔をして、それからほんのちょっとだけ笑いながら、いいよ、とだけかるく応えた。今から考えると、なんとも切羽詰まっていたような状況で、恥ずかしさもどこへやら、人生とは大海に船出することなんだ、それには筋道というものがある、その筋を通すことがこのお願いなんだ、訳がわからないかも知れないけど、人生には訳がわからないことが一杯で、いつかそれははっきりする、僕は思いつきで言ってるんじゃない、ここだけは解って欲しい、そんな支離滅裂な懇願をしていたようだ。
いまでも姉に会うと、背中を冷たい汗が流れ落ちるのだ。

ダンチョネ節を歌っていた時分、母にはこういっていた。
「外航船に乗ったらね、家の一軒くらいわけないよ、いつでもプレゼントしてやる」
彼は人を喜ぶすのが好きだった。僕もまた人を喜ばすのが好きだったらしい。
生意気盛りはダンチョネ節そのものであった。
母は笑いながら、
「それは楽しみだね」
といい、久しぶりに帰省した年輪も行かない息子のために、好物の具の一杯入った鍋物なんかを作っていた。
こんなふうだったから、母に合わせる顔もなく、連絡船を下船してお盆なんかに函館から帰省すると、姉の時と同じような汗が背中に大量にへばりつき、居心地と来たらすこぶる悪いものだった。
救いといえば、晩年になって母が漏らした言葉がある。
外国へ行ってしまってそのまま戻らなくなってしまう、母はそう思っていた節もあり、そしてこう続けた。
「肌の黒いお嫁さん、金髪のお嫁さん、突然連れてくるんじゃないかとね、そればかりが心配だったんだよ」
母は大正の生まれである。少し変わり者の息子だから、それくらいはやるんじゃないか、どうも真剣にそう思っていたらしい。
「それだけでも、あんたは親孝行だったよ」
「うむ・・・」
僕は笑うしかなかった。
母の父という人は「金鵄勲章」をもらったほどの軍人で、日露戦争後に亡くなった。明治大学に行っていた弟は学徒出陣で神風特攻隊員となり、これまた壮絶な死を遂げている。そして息子はといえば、いよいよ外国航路の船長にでもなろうかというところまできたというのに、赤字の国鉄に飛び込んでしまった。満州を這々の体で逃げ切ってきた母の人生は無情この上ない。
今年のお盆はどんな顔して墓参りしたらよいものやら。
「あんたは親孝行だったよ」
やはり、変わり者の息子としては笑うしかないのである。

富貴名門ノ女性ニ恋スルヲ
純情ノ恋ト誰カイウ
暗キ紅灯ノ巷ニサマヨウ女性ニ恋スルヲ
不情ノ恋ト誰カイウ
雨フラバ雨フルヨシ
風フカバ風フクヨシ
泣イテ笑ッテ月下ノ酒場ニ媚ビウル女性ニモ
睡蓮ノゴトキ純情有り
酒ハ飲ムベシ百薬ノ長
女ハカウベシ人生無上ノ快楽
窈窕(ヨウチョウ)美人ノ膝ヲ枕ニ
一夜明ケレベ夢モ無シ金モ無シ
叩ク電鍵、握ル舵輪、覗クコンパス六分儀
アア、我ラ海行クカモメ鳥 明日ノ命ヲ誰カ知ル
サラバ歌ワン我ラガ歌ヲ ダンチョネ節

ダンチョネ節。
これは悲しみの歌なのである。
悲しみの歌というより、恨み節といってよいのかも知れない。
梅雨の明けたような大阪で、声を小さくそっと口ずさんでみる。

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2008.06.21

遠方より来たる

Uni

神はわれを見捨てず。
函館からウニが届いた。われウニとたわむれ、そして泣き崩れおり。
友、遠方より来たるの図である。この際、ウニだって友になるのだ。
これはエゾバフンウニ、ムラサキウニではない。味の濃厚さにおいてはバフンウニだ。これに勝るものなし。矢でも鉄砲でも持ってこい。ふたたび、われかの地を想い、ウニの重きに泣きて三歩歩まずなのだ。ありがたや。

ウニと言えば積丹のウニも実に旨かった。
新しい仕事について小樽に住んでいた時分、余市を過ぎて、今ではどこだかすっかり忘れてしまったが、ここの寿司屋のウニ丼は絶品だった。ウニがてんこ盛り、思わずわれ泣き崩れるのである。
ウニを食うなら田舎の小さな料理屋がいい。これでもかというくらいに惜しみなくでてくる。寂しさや悲しさなんてウニを食ったら忘れてしまう。ウニは神なり。ウニを神と崇めよ。汝、ウニと共に生け。マルコの福音に曰くである。

僕は、蟹はあまり食わない。蟹が解らない虫と書くから食わないのではなく、どうも毛ガニ以外は大味すぎて駄目なのだ。
上品さにおいてはカニなどウニの足元にも及ばない。たとえばウニを殻から出して器の上に置くとする。しばらくすると、見よ、汝がウニはまるでか弱きオナゴのように崩れ落ち、よよと泣かんがごとくその姿を変えるのだ。身を溶かす。乙女の姿しばしとどめん。寂しきかな汝が姿。どうにも手をさしのべ、主は汝と共にありと励まさずにはおれないのである。
その点ではカニはいけない。どうだ、食え! カニはそう叫んで器の上で胡座をかいているのである。

カニといえば釧路。釧路の話をすればなにやら礫が飛んできそうだが、ええ、カニはよく食いました。
仕事を終え車で帰ろうとする。するとトランクを開けろといわれる。いわれるままにトランクを開けるとカニが箱ごとドカンと積まれる。食べられないほどのカニがドカンなのだ。カニもて追わるるごとくなのである。われに正義あり。われに微笑みあり。胡座かくカニと共にわれあり。汝の友を愛せ。
こんなふうだからカニは上品に食ってはいけないのだ。殻ごと口に持っていってバリバリとやって身を食い尽くす。伊丹十三の映画に出てきたワンシーン、あれはカニだったかどうか怪しいが、いかにも下品を強調していたようだ。うむ、カニはやはりウニの対極にあるのだな。
目黒のサンマはいいけど、釧路のカニはいけない。マタイ、マルコにルカ、ヨハネ。最近マルコの福音が身に応える。

それにしても暑い日が続いている。
カラ梅雨。傘があるけど雨がない。雨の音を聴け。陽水も泣いている。ついでに村上春樹も泣いている。
花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに。小野小町もきっと泣いている。
ウニを戴きつつとりとめのないつぶやきだ。ビール一缶、空いて候。

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2008.06.15

惜春

P1040623

鬱勃たるパトスをもて。
こう叫んだのは北杜夫だ。「どくとるマンボウ航海記」。
マンボウ先生はいかがしているかと調べてみたら、まだご健在の様子で一安心。アホウドリにマンボウはつきもので、パトスをもって美しい老人になろうとしているのは実に爽快なのだ。
パトスをもて! パトスをもて!
仕事の合間にネットを覗いてそんな呪文を唱えていると、前のデスクに座ってる女子2名がチラリとこちらに目を向ける。
それくらいならまだいいが、女子には僕の後ろを歩く癖がある。これはけない。聖書にもある。「汝、人の後ろを歩いてはいけない」。マタイ伝第16章。いやこれはちがう。こんなことをいうのは気の弱そうな、泣いてばかりいそうなヨハネに違いない。ヨハネよ泣くな! 神は汝と共にあり。汝の悲しみは神の悲しみなり。
とにかく、窓を背にしている僕の後ろを歩いてはいけない。それがたとえ広い通路に見えようとも、それは通路ではないのだ。ゆっくりマンボウ先生と語らうこともできないではないか。
微笑もて正義を為せ! 
僕に近づいてはいけない。後ろはまっぴらゴメンだ。

朝、出勤すると机の上に封書が乗っていた。
札幌のS.玲子さんからものだ。大きな文字で僕の名前が書かれていて、裏にはこれまた大きな文字でS.玲子である。
ここでも一度書いた同人誌「緒里尽」が入っているに違いない。
Sさんは美しくお歳を重ね、こうしていまだに奮闘しながら「緒里尽」を出しているのだ。
滅多に来ることもない封書、しかも堂々たる女の差出人である。
僕は二人の女子に交互に目をやり、ヨハネのような気の弱そうな声になって言った。君たち、これが同人誌というものだよ。笑い顔がひきつる。悪事をしていないというのにひきつる。これをね、300部印刷するのに要する費用が、原稿用紙、これは625文字なんだけど、1枚につき1000円也。随分昔の話だけど、今はもっとかかってるかも知れない。美しく歳を重ねるにはこれくらいのお金が必要なんだ。まあ、今はネットというツールがあるから少しはマシかも知れないけど、美しい老人になるためにはネットは捨ておけだ。聖書にもある。汝、ネットの悪弊を知れ云々。マタイ伝・・・。ああ、神よなんということか。あなたのヨハネは馬鹿です。どうぞお笑いください。
「まあ、そうですか」。二人は示し合わせたように声をそろえて言う。そうでござんす。そうなんざんす。
そしてね、この女性なんだけど、この方はまったく素敵な人で、もう70になろうかというのにこんなふうに、1年に1回同人誌を出しているんだ、参ってしまうね、実際。手に取った同人誌をパラパラやって見せてやる。ヨハネの顔は相変わらずひきつっているのだ。別に説明しなくてもよいことを勝手に言っている。悲しきは訳もなく繰り出される言い訳。パトスはどこいった。微笑もて正義を為せ! 笑ってくだせえ。ええ、構いやしません、どうぞお好きなように。
Sさんが70。うむ、嘘だ。まだそこまではいっていないにちがいない。殴られる。神を悲しませてはいけない。

僕は「緒里尽」を開いた。
『惜春』、これがSさんの小説のタイトルである。
竹本菊太夫のことが書かれてあった。名も知れず松前の地で逝った義太夫をやる男のようだ。なぜかしら悲しみに満ちた小説だった。うむ、惚れたな。竹本菊太夫、お洒落なお名前だ。ただね、Sさん、弱いよ、これじゃ。もっと大胆に発想しなくちゃいけないぜ。神はお見通しだ。何だって知っている。
菊太夫の悲しみ、ここはこんなに平坦であってはいけない。こんなに善人ばかり出てきちゃ僕は苦しくなってしまうんだ。
石もて追わるるごとく。ご存知の啄木だ。菊さんはどうも弱くていけない。線が細い。もっとボロボロにすべきだった。
世話になったおまさとその息子市太郎に向かって菊太夫はいうんだ。
あたしなんざ悪いことばかりの人生でした。
人生がそんなものだから、こんな蝦夷地の松前くんだりまできてくたばってしまうんだ。
女ですかい、そりゃおりましたともさ。市さんに金の工面をさせて、それであたしゃ遊んでおりましたともさ、ええ。ご存じないのは母親代わりのおまささんと市さん、あなたくらいのものですよ。すみません。あたしゃ馬鹿なんだ。あなたたち親子は実に素晴らしい。いつだって笑っておいでだ。おや、また女を連れて歩いていやがる。義太夫もなかなかだけど、人様の金をあんなふうに使うなんて罰があたるってもんだ。くたばっちまえ。ええ、松前の民は見識がある。大坂ではこうはいかなかった。大坂なんてところはね、ええ、なんというのか・・・。よしましょう。あしゃ労咳でくたばってしまう身なんだ。ただね、市さん。あたしの墓はいらねえよ。これいじょう迷惑はかけられねえ。三途の川を渡られねえ。ちょいと石をひとつ、これだけで構やしねえ。石ころに享年27とひとつだけ。あっさりしたもんだ。そこにね、お願いがあるとするなら、こんなわがままいってほんにすまないことだけど、ハマナスをね、一輪、置いておくれでないかい。特に弱そうなやつを、とびきり弱そうなやつをひとつだけ置いておくんなさい。菊ですかい? そいつはいけねえ。菊はいけねえや。菊は菊太夫だけでたくさんでござんす。ええ、菊はいけねえよ、市さんたら、金輪際いけねえ。やがてそのハマナスがあっしのようにくたばっちまうか、根をつけ松前に生きつづけるか、これはあっしの賭でござんす。丁半でござんす。この期に及んで賭だなんて、なにからなにまで馬鹿な菊太夫でござんした。笑わば笑え糞野郎。ああ、ごめんなさい、お里が知れてしまうというもんだ。大坂がいけないのだ。松前は悪くない。さあ、そろそろおさらばだ。おまささん、市太郎さん、ほんにご機嫌よう。あたしゃ売られてゆくわいな。ヨヨイノヨイ。南無妙法蓮華経。南無阿弥陀仏。神仏よさらば!

祝「緒里尽」第14号。
どうか同人各位に神のご加護がありますように。
信天翁拝。

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2008.06.07

正義と微笑

社会保険事務所へ行った。
帰りは近くのファミレスに寄って飯を食い、そして太宰でも読もうと決めていた。
それだからオフィスを出るとき青空文庫をプリントしたのだ。「正義と微笑」。
いざプリントをしてみると108ページもあった。他にもプリントをする者がいればかなりやばいことになる。
僕は敢然とプリンターの前に立ちはだかった。べつに敢然とでなくてもいいのだけど、僕は正義と微笑をもって敢然と立ちはだかったのだ。幸運にも誰ひとりとして気がついてはいないようだった。我微笑む。
社会保険事務所の入り口に門番のようにいるおばちゃんは相変わらず元気な様子で、ようこそいらっしゃいました、お茶でもおひとついかがですか、などと言い出しそうに、これも相変わらずの親切な応対なのだ。
お茶など飲んでる暇などない。僕はさっさと書類の届けを済ませて外へ出た。おばちゃんは僕の背中に向かってありがとうのお礼を言う。あなたもね。どうか神のご加護を。

時間が早いせいか、ファミレスは空いていた。
ひとりにしては広いテーブルだったが、僕はそこに座るや太宰を取り出した。108ページである。適当にメニューを見て、そして適当にハンバーグなどを頼んだ。目玉焼きが乗っているやつで、今日は目玉焼きも悪くないと思ったからだ。
飲み物が欲しい。160円プラスするとフリードリンクになるので、そいつを追加して頼んだ。
オレンジジュースを取りにゆき、そして席に戻り、108ページを手元に引いて読み出した。
断食と共に微笑みを、太宰の語りである。マタイ伝の第6章。正義と微笑を。目玉焼きの乗ったハンバーグに微笑みは必要か? 仕方がない。ハンバーグには正義だけにしておこう。
ハンバーグが来た。デミグラスソースがふんだんにかかっていて、ハンバーグ自体はふっくらとできあがり、僕はちょっと満足だったが、そのあとがいけなかった。
件のデミグラスソース、こいつがいけない。味がだらりとしている。甘い。コクがない。これではいけません。
テーブルを見ると、それまで気づかなかったが、ソースの類がなにひとつない。暗澹。あるのは塩だけである。一体全体関西はどうなっているのか。ウースターソースくらいおいておくものだ。ううん、苦しい。汝嘆くことなかれ。断食と共に微笑みを。ハンバーグには正義を。馬鹿らしい。責任者出てこい。これじゃ最後の晩餐だ。
僕はナイフを入れたハンバーグの裂け目めがけて塩を振った。ハンバーグはモーゼが海を二つに割って見せたように大きく開いていたのだ。出エジプト記。いざ見よ、これがモーゼの十戒である。デミグラスソースと塩が混ざり合い、その大海のような奇妙なソースを、僕は切った挽肉片にからめて食べた。味は絶品であった。そんなわけがあるか。ごもっとも。汝、生き来しおのが食の貧しきをしれ。神のご加護を。神はいつだって寛大なのである。

オレンジジュースが二杯。アイスコーヒーが二杯。食後はこう決めていた。
108ページもの大作を読み切るには何が何でも必要なのだ。それじゃもう一杯。僕は席を立ってジュースを取りにゆく。
そしてそこで気がついた。見よ、待合いには食を求めてやってきたごとき民のようなお客が溢れているではないか。
モーゼに引きつられて、エジプトを脱出しようと集まったような悲しきお顔をした民が、まるで心細そうに目には力なく、ぐったりして、いまにも倒れそうな様相なのである。
僕はオレンジジュースを飲み続ける自信もなく、108ページをそそくさと閉じ、辺りをちょっと見回してみる。
いつの間にかやってきたらしい主婦が二人、隣の席で語らい、ステーキにかぶりついていた。その向かいの席ではこれも女二人が食後の煙草をふかしている。
汝の隣人を愛せ。汝肥えてはいけない。煙草は健康に良くないんだぜ。ごもっとも。アーメン。
肥えてはいけない隣人も、健康を自ら侵している隣人も、これからオレンジジュース二杯にアイスコーヒー二杯なのだろう。
かくしてモーゼに引きつられてやってきた民は力なく崩れ、モーゼを痛罵する。
ふん、こんなんじゃなかった。いったい正義はどこにあるというのだ。微笑みなんてくそ喰らえ。神がきいてあきれるぜ。十戒などといってわれわれを騙してる。馬鹿野郎。あの肥えた豚どもをどうにかしろ。
モーゼはきっと泣くにちがいない。そして言うのだ。
「我は復活なり、生命なり、我を信ずる者は死ぬとも生きん。凡そ生きて我を信ずる者は、永遠に死なざるべし。汝これを信ずるか」
民はモーゼと共に泣くにちがいない。もののあわれ。あっしたちが悪うござんした。おお、神よ、そんなに泣かないでくだせいまし。なあに、あっしたちもそんなに馬鹿じゃない。一食くらいがなんだ。ふん、おまえら早いとこ食べて、そして早いとこくたばっちまえ。ええ、神よ、あっしたちは平気です。金輪際平気です。気にしちゃいけません。悪いのはあなたじゃなくあっしたちです。ええ、あっしたちよりも悪いのは、ああやってぬくぬく太って何食わぬ顔をして平気で生きながらえているあいつらなんだ。あなたさまが悪いわけじゃござんせん。すみません。謝ります。そうですとも、われわれ民はいつだって平気なんだ。食うなといわれれば食わない。従順、それが民ってもんなんだ。忘れていました。ええ、そうですとも、あなたさまが悪いわけじゃござんせん。ほんとうです。スンマセン。ヨヨイノヨイ。
お終いだ。僕は畏れをもってその場を逃げ出した。
従順な民の怒りに幸あれ。そして神様、どうか僕にご加護を。

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2008.06.04

美しい老人

「おや、あんなところにお店ができた」
机の上に缶ビールをおいてGさんが言う。
「どれどれ」
僕とSさんが窓越しに外を覗く。
たしかに新装オープンしたらしい小料理屋が、ぼんやりした照明の中に確認できた。
つまみ無しでビールを飲んでいたせいか、誰ともなくちょっと冷やかしに行ってみようかということになった。
マンハッタン、マンハッタン。
心が浮き立つ。
マンハッタン、マンハッタン。
玄関前にある、贔屓筋から贈られたに違いない胡蝶蘭を見ながら、お店の入り口の張り紙に目をやった。生憎なことに、9時まで予約で一杯とある。
マンハッタンが大きな音と伴に崩れ落ちた。心が荒んだ。
「まあ、こんなこともある」
Sさんは踵を返し、地下鉄の駅の方へ歩き出す。
「串揚げでも食べて行こう」
Gさんと僕は従順に頷いた。
マンハッタン、マンハッタン。
心が浮き立つ。
マンハッタン、マンハッタン。

Sさんは65歳である。沖縄県人だからただの65歳ではない。
泡盛をがんがんやるのかなと思っていたら、意に反してSさんはビール一辺倒のお人だ。
その好きなビールをやめて焼酎にしたのが悪かった。
晩酌セットを注文し、それ以外のつまみは無しである。
ウズラの卵の串揚げ、鶏のから揚げ。その他は忘れてしまった。
とにかくそんなに多くないつまみで、僕もSさんもGさんも焼酎のお湯割りをがんがんやったのである。
話題はといえば、中身は何もない。
年を取ると話題からも見放されるのだ。
文学も音楽も絵画も何もない。恋愛などの話題は金輪際無い。芸術からずんずん遠ざかってゆく、これが年を取るということなのかも知れないなと思いながら、僕は熱めのお湯をどんどんグラスに注ぎ、焼酎を飲んでいた。
「ボストンで見かけた老人の話でもしましょうか」
あまりにも淋しいので、僕はそう言ってみた。
「老人?」
「ええ、老人です」
「老人がどうかしたの?」
「美しく年を取ってゆく老人です」
「うむ、美しい老人ね」
「その老人は、公園のベンチに座って新聞を読んでいるのです」
「新聞を?」
「そうです」
「それのどこが美しいの?」
「200ページくらいの新聞なんです」
「うむ、200ページ・・・」
「ただひたすら読んでいる」
「それだけでも感動だな」
「ニューヨークではないところがいいんです」
「ボストンには有名な美術館がある」
「その老人は美術館へも行くのだろうか?」
「行きますね、この老人なら」
「そういう老人にはスキがない」
「ええ、スキがないから美しい」
「老人と海」
「老人と美術館」
「そういう老人に私はなりたい」
「それはちがう。なりたいのは『貝』だよ。昔、そんな映画があった」
「私は貝になりたい。主人公はフランキー堺だった」
「美しくない映画だった」
「ボストンといえば松坂はどうなった?」
「負け知らず、立派なものだ」
「松井はどうなんだろう」
「ヤンキースはもう終わってしまった」
いつの間にか、美しい老人はヤンキースにすり替わっているのである。

マンハッタン、マンハッタン。
心が浮き立つ。
マンハッタン、マンハッタン。
ついに話題に突き放され、僕等はお店を出た。
Gさんが中央線に向かって歩き出す。僕とSさんは御堂筋線だ。
不幸は突然に襲ってくる。なんの予兆もなく、突然襲ってくるのが不幸というものだ。
改札口まで来たとき、Sさんがぐらりと傾き、まるで柔道の井上康生に足払いを喰らったかのようにバタリと転倒してしまったのだ。あっという間の出来事だった。
咄嗟に僕はSさんの左腕を持ち上げ、大丈夫ですかと声をかける。
後ろを歩いていた見知らぬ男が駆け寄り、Sさんの右腕を持ち上げた。世の中まだまだ捨てたものじゃない。
Sさんは、まるで美しく年を重ねた男とは思えない表情で笑っている。
こんな場合は笑うしかない。笑うこと以外に何がある。Sさんの笑いの中にはそんな卑屈な諦念があり、そしてその笑いはまるで美しくない老人のそれであった。
「やはりビールにしておけばよかったですね」
僕も美しくない声になってSさんに語りかける。
Sさんは立ち上がろうとするが、そのあとになってすぐにまたよろけてしまう。
僕は見知らぬ男に礼を言い、Sさんの左脇に肩を押し込み、不自由な姿勢で歩き出すしかなかった。忙しく追い越してゆくおねえさんやおにいさんには目もくれず、美しくない姿勢で歩くしかなかった。
ノートルダムのせむし男。せむし男には老人だって振り向きはしない。
エスカレーターのある広場の近くにあるスクリーンでは宝塚のスターが美しく歌っている。
若い男女が抱き合い、老夫婦は重たい足を引きずって力無く歩いている。
鬼さんこちら、手のなる方へ。鬼さんこちら、手のなる方へ。
僕の頭の中では中島みゆきが歌い続けている。
マンハッタン、マンハッタン。
心がさみしく塞ぎ込む。
マンハッタン、マンハッタン。

僕は美しくない笑いを装い、美しい老人になろうとしている。
正義は決して美しくはない。
同様に微笑みだって決して美しくはない。
だが僕は「正義と微笑」を愛しているのだ。

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2008.06.01

雨の物語

Rain

お昼を食べに入る店が三軒ほどできた。
その中の一軒は不思議な雰囲気を持った店である。
とりとめて綺麗といった店でもなく、かといって味の方がきわめて絶品といったこともない。店員はといえば、茶髪が悪いというわけではないが、多くの男はその茶髪にピアスである。(笑)
若い女子店員もきびきび動いているが、アルバイトのような方たちがほとんどのようで、この店のどこがいいのかよく判らないが、たまに行列ができたりしているのである。
味が今ひとつと言ったが、そのくせソースも醤油も塩もテーブルには置かれていない。なにからなにまで不思議な店なのである。味に自信がある? そんなことはないとこちらもそれは自信を持って言えるのだが・・・。(笑)
そもそもこちらは、向田邦子や椎名誠のように、気分はウスターソースダボダボ派なのである。
大阪の怪。どうも自分で自分がよく解らなくなっている今日この頃である。

いよいよ梅雨の季節の到来である。
先日はその前哨戦のような日だった。
電車に乗る。にわかに濡れた傘がズボンの裾に触れている。
隣の座席で若い女子が眠りこけ、夢の中をさまよっている。
こんなときはどうしようもなく、傘を蹴るわけにもいかないので、ただひたすら女子のように脚を閉じるしかないのだ。拷問である。(笑)
梅雨の時期はそんな日の連続だ。
お~い、北海道!
こう叫んでしまうのもこの時期なのである。
紫陽花にライラック。
初夏の北海道ではこれらがワッと咲く時期である。
ただ今年の梅雨はちょっと感じが違うのだ。梅雨を楽しもう、そんなところなのだ。

「風の歌を聴け」といったのは村上春樹だ。
今年のワタクシはと言えば、「雨の歌を聴け」なのである。
Just wolk in the rain ではないが、雨の歌を聴かなくてはいけない。
「傘がない」と泣いてしまったのは井上陽水。陽水にも言いたいな、「雨の歌を聴け」と・・・。
ただ、雨といって思い出すのは伊勢正三の「雨の物語」だ。イルカもいいけど、やはり「雨の物語」は正やんがいい。

誰もが物語り その1ページには
胸弾ませて 入ってゆく

さてさて6月は水無月。
梅雨で大雨が降ったりするというのに「水無し月」である。
どんな物語が生まれるのだろう。
かの昼食でお邪魔するお店の味も大胆に変わるといいのだが・・・。
ぞれよりはまずはウスターソースだな。
お願いだからウスターソースを置いてくれ。
水無月の初日。日本ダービーの日。大阪は雨の気配など無い晴れである。
生きていて候。(笑)

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2008.05.24

月よりの使者

P1040613

ローカル線に乗っていた。
車窓に目をやると、一匹の蜂が狼狽(うろた)えながら窓ガラスを上下に行ったり来たりしていた。
本能が目に映る自然に反応するのか、蜂はひたすら車窓の外に行こうとしている。子供の頃の私ならまちがいなくピシャリとはたき落としているに違いない。
私は席を移動した。そして席を移りながら、まもなく到着する駅が城崎温泉であるのを不思議に感じていたのである。
「城の崎にて」の志賀直哉を思い出し、そして「網走まで」の志賀直哉を思い出していた。どちらかというと、そのときの私は「網走まで」の列車にいたようで、随分昔に読んだその志賀直哉の処女作を思い出していたようだ。
思い出すと言ってもその記憶はまったくなく、二人の子どもを連れた母親がどんなふうにして網走行きの列車に乗ったのか、車内の様子はどうだったのか、いや、なによりこの作品の筋立てはどんなものだったのかを思い出そうとしていたようなのだ。
結局何も思い出せないまま、私は今なお窓ガラスを上下に行ったり来たりしている蜂を見ているだけだった。

「網走まで」は、二人の子どもを連れた女の人が客車に乗り込んできて、前の座席にすわる主人公の『自分』が網走まで行くというこの女の境遇をいろいろと想像する、ただそれだけの作品である。
どこにでもある話だが、行き先が網走というところにこの小説に秘められたただならぬ不安があり、今にもくず折れそうな危うさがあり、それが読者を引き込むのであろう。
このように些細な日常を描き出すことが小説になった時代があり、そしてそれを必要としていた読者がいた。
思えば遠くに来たものだじゃないけど、狼狽える蜂の隣の座席に坐る中学生らしき子供たちは懸命に携帯電話のキーを打ちまくっているだけである。携帯に夢中で蜂どころではない。もちろんピシャリなんてやろうはずがない。
この子たちに「城の崎にて」や「網走まで」を読ませたらどんな反応があるのだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら、私の思いは急に月光仮面へと飛んで行くのである。

「三丁目の夕日」じゃないけど、あの頃のヒーローは月光仮面だった。
月よりの使者「月光仮面」は白いオートバイに乗って突如としてやってくる。
悪を懲らしめるためにやってくるのが月光仮面だが、この歳になるとなにやら気分が浮かれているときにも「月よりの使者」はやってくるものらしい。
私はこの時分、正座して月光仮面を観ていたような記憶がある。
あんなに強い月光仮面がいつ登場するのか、早く「サタンの爪」がふんだんに悪事を働き、ここぞとばかりに登場してくれ、そう願いながら少年は正座を続けていたのである。
そんなヒーローであったから、いまでも主題歌は諳で歌える。
サッと書くならこんな具合だ。

どこの誰かは知らないけれど
誰もがみんな知っている
月光仮面のおじさんは
正義の味方だいいひとだ
疾風(はやて)のように現れて
疾風(はやて)のように去って行く
月光仮面は誰でしょう
月光仮面は誰でしょう

私は仕事を終え、城崎温泉に浸かりながら、ひとりで小さく歌っていた。
金曜の午後だというのに他に客はなく、洞窟になっている風呂は竹でできた塀で女風呂と仕切られていたが、隣からの声が聞こえないのを幸いに、私は月光仮面を歌い続けた。

どこの誰かは知らないけれど
誰もがみんな知っている
月光仮面のおじさんは
正義の味方だいいひとだ
疾風(はやて)のように現れて
疾風(はやて)のように去って行く
月光仮面は誰でしょう
月光仮面は誰でしょう

二番の歌詞はさすがに思い出せないので、一番だけを繰り返し繰り返し歌っていたのである。
ちなみに月光仮面の原作も、この主題歌の作詞も、かの森進一とゴタゴタのあった川内康範である。

洞窟風呂にある岩に腰を下ろし、風に打たれながらふと足下に目をやると、一匹の蟻がよろよろと小さな枯葉と格闘しているのが目に入った。蟻の傍には温泉がひたひたと迫ってるのだが、これには目もくれず、蟻はひたすらよろよろを繰り返しているのである。蜂の次が蟻だなんて妙な取り合わせだが、私はこの蟻をずっと見ていることにした。
それがここ「城崎」に来た目的でもあるかのように見続けていたのである。
蟻はしばらく枯葉と格闘を繰り返していたが、飽きてきたのか、はたまた目的を全うしたのか、傍にあるプラスチックでできたゴミ入れの壁を器用に登り始め、そして頂上までたどり着くと、哀れにもその中に真っ逆さまに落ちて消えてしまたのである。蟻の運命やいかに。なんとも「城の崎にて」を彷彿とさせる事態であった。

仲間からはぐれてしまった蜂が一匹。
仲間からはぐれてしまった蟻が一匹。
そして突如として疾風のように現れる月光仮面。

どこの誰かは知らないけれど
誰もがみんな知っている
月光仮面のおじさんは
正義の味方だいいひとだ
疾風(はやて)のように現れて
疾風(はやて)のように去って行く
月光仮面は誰でしょう
月光仮面は誰でしょう

私は蜂のことも蟻のことも忘れて、ただひたすら月光仮面を歌い続けるしかなかった。
なんの変哲もない幸せという日常が不幸の向こうに繰り返される。
やはり、『思えば遠くに来たものだ』の心境が私を呪縛して去ろうとしない。
これが現代版「城の崎にて」なのである。
合掌。

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2008.05.08

大沼の風

P1040558  P1040563

先日、ここで取り上げた「千の風になって」の記事に出てきたモニュメントである。
歌碑だとばかり思っていたら、このようなモニュメントというのか石碑みたいなものが地面に埋め込まれていた。
千の風が舞って、土埃で覆われてしまったら姿を消してしまうんじゃないだろうか。
そんなところもまた「千の風になって」の企みというかコンセプトなのだろうか。
千の風というのはいかにも寂しい。

モニュメントから目を上げれば、そこには駒ヶ岳である。
生憎の時間で、天候もすぐれないせいか、ちょっと寂しそうな駒ヶ岳である。
気が重い日というのはこんな駒ヶ岳が相応しい? 
こんな日は富士にだって月見草は似合わないにきまってる。八つ当たり。
休暇もそろそろ終わりに近いのである。(笑)
とりあえずお約束のモニュメントのご紹介まで。信天翁拝。

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2008.04.19

ダウト

P1000052  P1000345

子供の頃よくトランプ遊びをした。
今はカードとお洒落に呼ぶが、昔はトランプだった。
今の子供たちのようにニンテンドウもプレステーションもなかった時代だから、兄弟が集まってやるゲームといえばトランプだったのである。兄弟ばかりか、修学旅行の列車の中でも同級生たちとワイワイ騒いだものである。
トランプゲームの中でもシンプルで単純なものしか知らなかった。ページ・ワンが一般的に主流で、ポーカーなどはそのずっと後なのである。
向田邦子さんの小説に「ダウト」というのがあるが、これもトランプゲームのひとつでよくやった。配られたカードを順に出してゆき、たとえば「ハートの9」などと言って出すのだが、出されたものが疑わしいと思ったら相手は『ダウト!』と叫び、ピタリと嘘を見破ったらその人の勝ち、単純なものである。
私は嘘が苦手でこの「ダウト」ではいつも負けてばかりだった。
平然とした顔をして、天から槍が降ってきても動じないといった案配で「ハートのエース」などと言ってカードをさりげなく出しても、『ダウト!』と叫ばれあっけなくその場で野垂れ死にしてしまうのである。
「ダウト」の世界は難しい。人生を生き抜いてゆくということはまさしくこの「ダウト」の世界に通じることなのかも知れない。そんな思いを持ちながら向田さんの「ダウト」を再読している休日なのである。
トランプという発音にはなかなか心地よいものがある。
トランポリンもなかなか良いが、私的にはトランプはカードとは別物で、いつもトランポリンの網の上を跳ねているようなそんな印象なのである。ちなみにトリンプは女性の下着メーカーであるが、この心地よさを狙ったものであるか否かは私には解らない。
トランプ、トリンプ、トランポリン。トランプ、トリンプ、トランポリン。
神戸の街はマンハッタン、マンハッタン、トカトントン、トカトントン。
なにかのお呪いにでもなりそうなのである。

昨日の昼飯。
ふらりと入った居酒屋風の店のテーブルは満席で、カウンターに座った。
隣の客と肩触れながら落ち着かなく煮魚定食などを食べていると、TVからいきなり八代亜紀の声が聞こえてきた。
TVに目をやると、デビューの頃とあまり変わらない八代亜紀が歌っている。
♪寒い夜汽車で・・・
「愛の終着駅」である。
店ではオヤジが料理をこしらえ、おばちゃん二人が忙しく立ち回ってる。
「おおきに」
「あんたんとこ、お茶まだやったな、ごめんな」
「焼き魚はそっちのお客や・・・」
おばちゃんは元気よく声をからし、そして八代亜紀は『愛』を叫んでいる。
♪寒い夜汽車で・・・
この「愛の終着駅」は私の数少ない演歌のレパートリーである。
この曲はいきなりサビの出だしで始まるから、この頭に失敗してしまったら一巻の終わりなのである。
鯛のかぶと煮の身をほぐし、声に出さずに口ずさんでみる。そして盛んに歌っていた頃を思い出してみる。
函館の大門に五稜郭。
柳小路に広小路。
青いネオンに赤ネオン。
男に女にママにホステス。
『ダウト!』と叫ばれたのは果たしていつの頃だったのか。
トランプ、トリンプ、トランポリン。トランプ、トリンプ、トランポリン。
神戸の街はマンハッタン、マンハッタン、トカトントン、トカトントン。
昭和はすでにまほろばなのである。


寒い夜汽車で 膝をたてながら
書いたあなたの この手紙
文字のみだれは 線路の軋み
愛の迷いじゃ ないですか
よめばその先 気になるの

君のしあわせ 考えてみたい
あなた何故なの 教えてよ
白い便箋 折り目のなかは
海の匂いが するだけで
いまのわたしを 泣かせるの

北の旅路の 淋しさにゆられ
終着駅まで ゆくという
あなたお願い 帰って来てよ
窓にわたしの まぼろしが
見えたら辛さを 解ってほしい
(八代亜紀「愛の終着駅」作詞:池田充男)


iTunes Store で八代亜紀の「愛の終着駅」をダウンロードし、向田邦子の「思い出トランプ」を読んでいる休日の午後。
トランプ、トリンプ、トランポリン。トランプ、トリンプ、トランポリン。
神戸の街はマンハッタン、マンハッタン、トカトントン、トカトントン。
やはり昭和はまほろばなのである。

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2008.04.13

千の風になって

P1030535

歌うことはないが、よく聴く曲だ。
昨日の朝日新聞の「赤be」にこの作者不詳、新井満訳の記事が載っていた。
この三月までの『愛の旅人』欄が『うたの旅人』にかわり、久しぶりに手に取ると、そこには大沼駒ヶ岳の大きな写真が寒々とした姿で威容を誇っていた。
この『愛の旅人』は機会あるごとに即リンクして、関連記事を書き込んでいたのだが、今回からはasahi.comに掲載されていないようで、リンクを貼ることはできなくなった。残念なことである。

代わりにといってはなんだが、昨年の秋の大沼駒ヶ岳を載せてみた。
新井満はこの作者不詳の詩を翻訳するにあたり、Winds と1カ所しか出てこない『風』にこだわり、6カ所も登場させている。その翻訳を完成させたところが大沼にある彼の別荘なのは知っていた。大沼は私の庭みたいなところだから、新井満の次のような談話には敏感に反応してしまった。

「風を見た人っていないですよね。でも、森の中を風が通ると木々が揺れるでしょ。風の形がわかるんです。風の姿を見たような気がしましたね」

駒ヶ岳から吹き下ろす風が大沼の森の木々を揺らし、そこに『風の息』を見た芥川賞作家は一気に翻訳を進め、この作者のいわんとするところが『死と再生のポエム』であることに思い至る。
たしかに大沼の風は居心地がいい。
初夏。テニスに興じ、一汗かいたところでやさしく顔をなでてゆく薫風。
晩秋。湖面に映る駒ヶ岳を揺らすように吹き抜ける一陣の突風。
初冬。このときの風だけはどうにもいけない寒さを伴って襲ってくる暴風だ。
風はいつだってその姿を変え、やさしく、時に凶暴になって人々を驚かせる。
大沼の森を吹き抜ける風を見て、その風が『千の風に』姿を変えるところがなんとなく嬉しかった。
新井満は夏の二、三週間を大沼で過ごすということだから、この晩秋の一陣の突風も初冬の凍りつくような強靱な風も知らないに違いない。
今月の25日、ここ大沼に『千の風になって』の歌碑が建つらしい。
私の休暇が5月に入ってからだからちょっと拝見でもしてこようかと思ってる。
大沼駒ヶ岳の写真を観て、故郷が懐かしくなった休日の午後である。

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません
死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
千の風に 千の風になって
あの 大きな空を 吹きわたっています
あの 大きな空を 吹きわたっています
     (原詩・作者不詳、新井満訳)


もちろん、風を感じたあとは大沼だんごに流山温泉である。
ついでに、カラオケに行って『千の風になって』でも歌おうか。

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2008.04.06

三井寺の桜

Nioumon

桜を追って三井寺へ行った。
天台寺門宗総本山園城寺(おんじょうじ)。これが正式な三井寺である。
近くに比叡山延暦寺があり、明智家の菩提寺西教寺がある。

Kannondou

琵琶湖を一望できる高台に観音堂があり、そこの桜は実に見事だった。
みたらし団子を頬張り、ペットボトルのお茶をグイと飲み、一句ひねり出そうかなと思ったがやめた。ワタクシ、芭蕉ではないのである。(笑)

Kannondou2

三井寺がある大津は昔々のその昔、5年間ほど都として存在したらしい。
大津京。その名残があるのか、この街はどこかゆったりと構え、そしてのんびりしている。街の人に道を尋ねたりすると、京都よりは優しい言葉遣いで教えてくれるのが有り難い。

Jyuzu

国宝の金堂は修復中で写真に収めなかったが、中は拝観できた。
大日如来に弥勒菩薩に毘沙門天。室町時代に鎌倉時代、なにやら歴史を感じさせる仏像が睨みをきかせていて壮観だった。
その有り難さを享受しようと腕輪念珠を買った。
魔除け悪除け病除け。ワタクシに女除けはないのである。(笑)
そしてついでに、何を血迷ったのかポケットサイズの「般若心経」まで買ってしまった。
マカハンニャハラミッタシンギョウカンジサイボサツ・・・
腕輪念珠を腕に巻き、般若心経をポケットに忍ばせ、一体ワタクシはどうしようというのであろう。(笑)
これで締めて800円也。うむ、オヤジ晩酌セットの方が良かったかも・・・。
もちろん、ワタクシの大事なかの方には厄除けのお守りを買った。
ギョウジンハンニャハラミッタジショウケンゴウンカイ・・・
魔除け悪除け病除け。そしてついでにかの方は男除けなども・・・。(笑)
えりもの春ならぬ、かつての大津京の春もこれで終わりなのである。

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2008.04.03

湯舟投手

新年度の始まり。慌ただしい毎日が続いている。
外回りをしていたときの楽しみはなく、オフィスに閉じこめられて今じゃすっかり事務職なのである。
味気ない昼食をとりながらも携帯を握りぼやいてばかりいる。
携帯の向こうの、ピストルをぶっ放すキャリアのかのお方も新年度からは想像を絶する忙しさで、それでも話だけは聞いてくれる。相哀れむ。マンハッタン、マンハッタン。トカトントン、トカトントン。お互い合掌なのである。(笑)

帰宅し、疲れてシャワーを浴びながら防滴ラジオのスイッチを入れる。
熱いお湯と伴にいきなりタイガース戦の実況が流れる。
解説は元阪神タイガースのエース湯舟だった。
湯舟、どこかで聞いたことがあるなあと思いながら、温めのお湯をかぶりながらバシャバシャと髪を洗う。

阪神淡路大震災の年に神戸に転勤してきた。
引っ越し荷物を宿舎に取り込んでいるときにインターホンが鳴った。
この忙しいときにと舌打ちしながらドアを開けると新聞の勧誘員が立っていた。忙しいからと言って断ろうとすると、そのY新聞の勧誘員はタイガース戦のチケットをちらつかせるのである。
勿論それは対ジャイアンツ戦のもので、よかったら今後も提供したいとおっしゃるのだった。
結局1年の契約をし、神戸の街が瓦礫と化しているというのに、ワタクシは犯罪者のような後ろめたさをひきずりながら初めて甲子園球場に行ったのである。(笑)

ジャイアンツのファンでもないというのにジャイアンツの応援席の人となり、マウンドで好投を続けるタイガースのエース湯舟を間近で観ていた。
結果は湯舟の好投もむなしく、タイガースは負けてしまった。
甲子園のカクテルライトが美しく、ここで六甲おろしが聴けたら最高だったがそれも叶わなかった。
人混みに押されながら球場を出てブラブラ歩いていると、一人の男が立ちふさがるように前から近づいてくる。
何事かと思って構えてると、その男はメモ帳を手に取り、
「今日の湯舟はどうだったか?」
と訊いてくるのだった。
なんのことはない、スポーツ新聞の記者だったのである。
「あまり良かったとはいえないね」
あたりまえのことを言ってやる。
湯舟のことは知らないのでそれ以上は言えない。
それでも記者は執拗に湯舟のことばかり訊いてきた。余程タイガース通だとでも思ったのだろう。
「いつもの湯舟らしさがなかったね」
いいかげんうんざり気味に通ぶって応えてやった。
そして通は通なりにそそくさと逃げてしまうのである。(笑)
翌日の新聞には、タイガース通のワタクシのコメントがとびきり大きく載っていた。湯舟万歳。

防滴ラジオから流れる湯舟の声はさわやかだった。
あれから何年経ったのだろう。
神戸の街はすっかり復興し、当時の面影すらない。
我が身を憂い、かのキャリアのお方を想い、なつかしい湯舟の投球スタイルを思い描いている桜満開の4月の夜なのである。

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2008.03.30

根来寺の桜

Negoro

関西の桜は例年に比べ遅いようである。
先日訪れた紀の国は根来寺の大門の桜。
根来寺といわれてもさっぱり解らない。
根来衆といわれれば、ああ、あの武装した僧侶の集団かと納得する。
タクシーの運転手も根来寺の桜は綺麗だといって説明してくれるが、その先の寺の説明はない。(笑)
ちょっと回って観てみますかといわれたので寄ってみたが、やはり二分咲きといったところでがっかりした。
タクシー内のラジオは甲子園の実況である。
中京大中京と明徳義塾の接戦で甲子園は盛り上がっているようだった。
「和歌山の箕島高校はどうなっちゃったんでしょうね」
「最近はさっぱりです・・・」
「尾藤監督のときは強かった」
「今じゃ智弁和歌山です」
車窓を流れる桜をちらりと見やりながらそんな話をしている。
智弁和歌山といえば県下でも有名な進学校で、野球部の監督は各学年から10名しか部員を取らないらしい。
3学年で30名、この少ない部員数で甲子園常連なのである。
そして聞くところによると、その各学年の県外からの部員数は二、三割に絞っているという。やみくもに県外からの野球留学を認めているわけではないらしい。それで甲子園常連校であり、優勝候補なのである。
そんな話を運転手にしていると、
「お客さん、くわしいね」
と褒められてしまった。
種をあかせば、ほんの二、三日前に和歌山県人から聞いたばかりなのである。
「ただ、ボクは箕島野球が好きなんだ」
「ええ」
「和歌山といって思うのは箕島だけなんだ」
「・・・」
「あとは何も知らない」
「・・・」
運転手は呆れたように無言でアクセルをふかし、根来寺の大門を駆け抜け、やはり三分咲きのしだれ桜のあるところに向かった。根来寺などはもうどうでもよくなっているのである。
タクシー内の甲子園実況は、中京大と明徳義塾の延長戦を伝えていた。
只今、我が家のラジカセからは智弁和歌山対宇治山田商の好試合が実況されている。
今日も一日、家で甲子園漬けなのである。(笑)

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2008.03.23

ヒューマン・スクランブル

Kousien

いろいろなひとたちが歩いてる。
目的があるひとそうでないひと。
ぶつかりあいながらあるいはそれを交わしながら、携帯を持って喚きながらあるいはお辞儀をしながら、とにかく黙々と歩いている。泣いて笑ってまた泣いて。理由(わけ)があってないようで、男と女はそんな想いと伴に歩き続ける。
どこからともなくそんなひとたちは湧いて出てくるようだ。不思議な街だな、大阪は。

甲子園。
ここにもいろいろなひとたちが溢れている。
地方の訛りが飛び交い、贔屓校の勝敗に一喜一憂しそして泣き崩れる。
泣いて笑ってまた泣いて。理由(わけ)があってないようで、そんなふうに地方の訛りは交差する。
今年の春センバツ、我が駒大岩見沢はみごとに散ってしまった。
夏の甲子園に比べたら春センバツはちょっと静かだけど、球児たちの熱気はかわらず熱いものがある。

初戦敗退に落ち込み、久しぶりにミナミで飲んだ。自棄酒である。
ビジネスマンで溢れているキタの梅田に比べたらミナミの難波はどちらかといえば夜の街。ここにもいろいろな人間が溢れかえっていた。人間交差点。
泣いて笑ってまた泣いて。理由(わけ)があってないようで、男と女は想いをただぶつけ合うだけだ。
♪ 春なのに 春なのに ためいきまたひとつ
駒大岩見沢、夏の甲子園でまた会おう。

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2008.03.15

池田の豆腐

Campanula

カード会社から毎月送られてくる広報雑誌がある。
そこにねじめ正一さんのエッセイが連載されていて、毎回楽しみに読ませて貰っていた。
「我、食に本気なり」というタイトルだから食べ物に対するこだわりが書かれていて興味深いものだった。
読ませて貰っていたと書いたのは、この連載が今回で終わってしまったからだ。
年間2000冊もの本を読む女(ひと)を知ってるが、ワタクシなどはこの手の雑誌しか読んでいない。そしてこの手の軽いエッセイしか読んでいない。図書館などへは行ったことはなく、まるで恥ずかしいワタクシなのである。

その最後の連載の食はなにかといえば『油揚げ』である。
ねじめさんにいわせれば、揚げたばかりのできたての薄油揚げを焼いてそこにちょっと醤油を垂らし、辛子をつけていただくのが最高なのだそうだ。そして油揚げは断然薄くなくてはいけないらしい。
揚げたての油揚げなど易々と手にはいるわけもなく、スーパーで売られているものは厚いものばかりで、これに関してもねじめさんはお嘆きのようだった。
人生最後の晩餐、ワタクシ的にはねじめさんのように油揚げに醤油と辛子というわけにはいかないな。(笑)

連絡船時代のことである。
午後の2時くらいに乗務して、翌朝の9時くらいに下船という交代勤務があった。函館~青森を2回往復するわけで、睡眠時間は4時間程度だったように記憶している。
交代の朝にはすっかり疲れ切っていてへとへとだった。
「まいど!」
そんな慌ただしい、交代時間のバタバタしているときに聞こえてくる声があった。
そのオヤジはそんなふうに大きな声で叫んで、船長室に入って行く。
池田さんという豆腐屋のオヤジがそのひとである。
池田さんとこの豆腐はもう数十年も連絡船に納められていて、朝な夕な、ワタクシたちはその豆腐を食って津軽海峡を無事故で航行していたのである。
朝にこうしてやってくるということは、今晩の飯のおかずは豆腐料理に違いないのである。簡単な推理だ。われわれは引き継ぎ事項にもないそんな他愛のないことまで言って笑いあった。
「セカンド・オフィサー、頑張ってるか!」
細身で老年の域に達している池田さんは、皺の混んだやさしい笑顔を向けて勢いよくそういうと、廊下ですれ違いざま肩などをポンと叩くのだ。
「ええ、まあ」
と応えたものの、慌ただしい朝に豆腐屋のオヤジから肩を叩かれるということがよくわからなかった。
池田さんは新聞紙でくるんだ二丁ほどの豆腐を持参していて、仲の良い船長なんかにお届けしていた。
「まいど!」
いつになったら池田さんはこう叫んで、二丁の豆腐をぶら下げながら船長室のワタクシのところにやってくるのか、たまにそんなことをぼんやり考えたこともある。

そんな池田さんのご自宅にお邪魔したことがある。
函館の十字街にある池田さんのお住まいは時代を感じさせるに十分で、ギシギシ鳴る急傾斜の階段を昇って行くとそこが池田さんの部屋で、実に趣のあるたたずまいであった。
朝っぱらだというのに、池田さんはできあがったばかりの豆腐を持ってきて、そしてビールの栓を抜いた。仲の良い船長も一緒だったので、三人がそれぞれに乾杯と言ってグラスを持ち上げひといきにビールを飲み干した。
部屋の隅に立てられている三味線が目についた。それを察知してか、池田さんはこの界隈が昔花街で、そのためか池田さんご自身も随分と豪遊された歴史をお語りになった。皺の混んだそのときの池田さんからは想像することが難しかったが、時折見せる粋な仕草はたしかに当時のものだった。
ふいに三味線の音が聴きたくなったが、それは野暮というものだった。
弾き手が池田さんとはかぎらず、おそらくその弾き手がすでにここにはいないことも十分察せられた。

できあがったばかりの豆腐には醤油だけで充分だった。
そして肴はというと豆腐以外に何もなかった。
「豆腐を食う会」、勝手にそう命名して飲んでるのだから、豆腐以外に何もないのは当たり前なのである。
池田さんは早くに奥様を亡くされ、ひとり気ままに生きておいでだったから、晴耕雨読ではないが、暇があったら本などを読み、酒が飲みたくなったら酒を飲む、そんな傍目には羨ましいところがあった。文学にも精通していて、とくに永井荷風なんかは好んで読んでいたらしく、知ったかぶりをひけらかすと、ズバッと切り込んでくるところもあった。刻まれた皺は伊達ではないのである。
「豆腐は何故『豆腐』と書くのか」
豆が腐ったのでは旨くないじゃないか。
ビールが清酒に代わって「豆腐を食う会」は益々絶好調だった。
「そんなことはどうでもいい。旨けりゃそれでいい」
豆腐屋のオヤジはそういって笑いながら酒を飲み干す。
たしかに豆腐が『豆富』だったら庶民は遠のいて豆腐には手を出しかねる。
豆腐は『豆富』になって気位が高くなってはいけない、池田さんはそういいながらも豆腐作りの難しさをさりげなく説いてみせるのだった。

腐って旨いものだってある、そんな極意があるとするならそれは池田の豆腐だ。池田さんの半分も生きていない若造のワタクシも勢いづいて生意気にもそうのたまうのだった。
「屁理屈を言うやつは、豆腐の角に頭ぶつけて死んじまうがいい」
豆腐の角というのはそのためにあるものなんだ。
豆腐屋の主人がいうこんな歯切れの良い言葉はないのである。
「豆腐はね、いつだって豆腐なんだ」
「それ以上のものでもなくそれ以下でもない」
これほどわかりやすい言葉はなかった。
それはやはり池田さんのこだわりであり、極意であったように思われる。
「よし、ババアの店へ行こう」
池田さんが急に思いついたようにいう。
ババアの店とは池田さんが豆腐を入れている小料理屋らしい。
「まだ昼ですよ」
「昼でもなんでもかまわない」
池田さんの足はすでに千鳥足なのである。
豆腐にしては厚みのない痩身の池田さんが、ゆらゆらと泳ぐようにして前を歩いて行く。
「味がないようで味がある、それが豆腐ってものだよ」
「味がない分、いろんな味になれるんだ」
池田さんの左右に揺れる背中はそういっていた。

最後の晩餐。人生の最後に何が食べたいか。
ワタクシなら迷うことなく池田の豆腐を食いたいというだろう。
残念ながらいまの十字街に池田さんの豆腐屋はない。
昨年の秋にぶらっとその周辺を歩いたが、古めかしくも威厳に満ちたそのお店はなかった。
金森の煉瓦倉庫があり、小綺麗なレストランや料理屋は並んでいるけど、その脇をちょっと入ったところにあった、あのギシギシと鳴っていまにも足を踏み外しそうで危なっかしい階段のつくりの池田さんの豆腐屋はすでにないのである。
「まいど!」
あの歯切れの良い池田さんの声はもう聞けないのである。
上にある写真は花屋の前で撮った Campanula Get Me というもの。
なぜか池田さんにはお似合いのような気がして上げた。
花のセンセイに褒められるかな。(笑)

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2008.03.10

岐阜駅にて

P1040285

久しぶりに岐阜に行ってきた。
稲葉山城を模した城があり、仕事が意外に早く終わったこともあったのでロープウェーで登ってみようかと思ったがやめた。濃姫はさておき、美濃の方には悪いが、その父道三にはあまり興味がないのである。
そこで閃いたのが岐阜駅にあるツワブキである。花のセンセイである。
駅構内にある“音楽堂”というCDショップの前に花壇があり、この1月30日にはツワブキが咲いていた。それ以来の岐阜だからその後いかがなっているものか、確かめずにはいられないのである。ツワブキが濃姫を押しやったのである。

ツワブキのツワ子はいなくなっていた。
さもあろう、いかに駅構内のショッピングアーケードが暖房されていようと、やはり冬の寒さはこたえるに違いない。
寂しさもあったが、ツワ子さんがフッとどこかへ放浪してしまっていなくなったような、そんなツワブキの葉が勢いを増しているような一画を写真に納めてみた。
ツワ子さんは一体どこへ消えてしまったのだろう。
花のセンセイにそれを報せると、センセイはウッと唸った。
そして寂しいねと一言いってしばらく無言になった。
ツワブキの花言葉。
謙譲」「困難に傷つけられない」
世間の目などを気にせず、思ったことをやってしまう
奔放で型「破りな性格。女性の場合「男勝り」タイプが
多い。うわさや批判には敢然と立ち向かっていきます。

困難に傷つけられなく奔放で型破り、どこかで自流の恋を楽しんでおいでなのかもしれないな。
ツワブキのツワ子さんに乾杯!

P1040290

その花のセンセイから、青函連絡船就航100周年記念絵葉書がとどいた。
なんということか、下にある『昭和63年3月16日 函館港』の記事にはこのお写真こそ必要だった。
バカバカバカ、イワンのバカなのである。
タイムスタンプが3月3日で、これは駒大岩見沢で囲碁の主将をして全国制覇を果たしたご子息の卒業式のあとに実家に立ち寄った日付だった。
“ジャズが似合う街 はこだて”と書かれ、そのあとの報告に寄れば、係留船「摩周丸」を見学し、函館駅2階の連絡船メモリアルホールを訪ね、啄木小公園を散策し、最後は“小さなジャス喫茶”で締めたのだという。
このルートは信天翁のルートである。
残念ながら白井朝子女史には会えず終いだったというけど、さすがにワタクシのあなたではあります。

潮かをる
北の浜辺の砂山の
かの浜薔薇(はまなす)よ
今年も咲けるや

啄木

100万本の薔薇など贈れない。
100万本の浜薔薇だって不可能だ。
せめて一鉢のツワブキだったら贈れるかも知れないな。
MJQの『Love Me, Pretty Baby』を聴きながら。

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2008.03.08

昭和63年3月16日 函館港

P1040281

風邪でダウンしている。
喉が腫れて咳が出て、歩くと関節が痛く熱もちょっとありそうだ。
だいたい風邪を引くとそのフルコースに苦しむ。
これは医者に行って注射などをし、薬などを頂いてもきっちりお約束ごとができてるかのようにフルコースはやってくる。
三日ほどつづいて、それから快復なのである。
その間、修行僧のようになにもしないかというとそうではない。
煙草を吸う。二日目には風呂にも入る。そして冷蔵庫から冷えたビールを取り出しぐいと一息に空け、つまり荒療法だってお手のものなのだ。(笑)
自慢はできません。紳士淑女は真似などしませんように・・・。

青函連絡船就航100年の記事がある。
そうだったのか、昨日がその日だったのか。

祝就航100年 汽笛響く 函館など旧連絡船3隻

【函館】国鉄青函連絡船就航からちょうど百年となった七日午前十時、保存展示されている旧連絡船の「摩周丸」(青函連絡船記念館摩周丸、函館市若松町)、青森の「八甲田丸」、東京の「羊蹄丸」の三隻で同時に記念の汽笛が響いた。摩周丸では、当時の制服姿の連絡船OBが出港前の作業を再現する「模擬操船」も行われ、市民やOBらが懐かしさに浸った。
 模擬操船は同記念館とNPO法人語りつぐ青函連絡船の会が企画。船内にはファンら約百三十人が集まった。連絡船OBが出港を告げるドラを響かせた後、元船長の「長声一発」のかけ声に続いて航海係が汽笛を鳴らし、模擬操船が終了すると、参加者から拍手が起きた。
 午前十時は、一九〇八年(明治四十一年)三月七日に、最初の連絡船が出港した時刻。青函連絡船は八八年三月に廃止された。
(北海道新聞より)

こうして語り継がれてゆくことは悪くないね。
NPO法人といえば白井貴子、いや、この記事にある白井朝子さんだな。
いつもこの人のパワーには負ける。お元気なのが嬉しいです。

ベッドに倒れていてばかりじゃしょうがないので、連絡船関連の資料を取り出してみた。
たしか船員手帳が残っているはずだった。
そこででてきたのがこれである。100年の歴史から見たらほんのわずかのメモ程度のもにしかすぎないが、ワタクシが生きてきた証がそこに遠慮がちにあるのだ。
お見せするほどのものでもないが、これも100年の歴史に甘んじてご披露すると、連絡船を存続か否かの厳しい時期に青函局で陸上勤務をやったのが昭和59年3月10日とある。
JRという新会社が設立される予定になっており、その新会社に数隻でも存続して貰うよう知恵を絞って運行ダイヤ、乗組員の作業ダイヤを考えた日々の始まりである。
悪戦苦闘。労働組合との団体交渉では罵詈雑言を受けたものである。
曰く、
「当直中、腹痛でトイレに駆け込むとき誰もいなくなってしまう」
「安全運航といってるが、連続睡眠時間45分とはなんだ・・・」
「昼飯はいつ食べるんだ!」
「バカヤロウ!」
さすがに鬼の国労だった。(笑)
これが数隻存続のための最良な案なのです。
余り力が入らなかった。ええ、それは十分承知してますよ、でもこれを受けてください。問題は存続にあるんですから・・・。
「受けられるか!」
「バカヤロウ!」
結果は全廃であった。(泣)

その交渉を2年間やり、船員手帳を見ると昭和61年2月14日に船に出ている。
復帰したけど風当たりが強かった。
普通船長で復帰するのだが、今回に関してはもろもろあって、
「船長にはさせない」
そんなお約束ごとあったのかもしれない。
まあ、今になって考えると気が楽でよかったけどね。
ラスト・エンペラーにラスト・サムライにラスト・キャプテン。
日の目を見なかったのはラスト・キャプテンなのである。(笑)
思い出すときりがないけど、船員手帳の最後の欄はこうである。
「雇止年月日及び雇止港」 昭和63年3月16日 函館港。
信天翁の漂流の始まりである。(笑)

こんなことを書いていたせいか風邪の具合が思わしくない。
こんなワタクシも船員手帳の「健康証明書」欄にはこう記載されていた。
肺活量が4580ccで握力はともに45以上、視力に至っては裸眼で1.5以上。
頑強だったのである。(笑)
う~ん、まとまらない文章だ。
思考力なし、すべて風邪のせいにしておこう。

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2008.03.05

Softly As In a Morning Sunrise

Mjq

朝日が差している。
こんな日はMJQにかぎる。
理由もなくこんな日は『朝日のごとくさわやかに』だ。
ミルト・ジャクソンのヴィブラフォンが頭を駆けめぐる。
どうだ、おまえのためにスイングしてやってるんだ。それなのにそのざまなんだ、一緒にスイングしろ!
僕は従順に布団を押しのけてベッドをとびだし、そしてコーヒーをおとす。
そして憂鬱な顔をして煙草に火をつけ大きく吐き出す。
いつだって休日の朝はそうだった。

ふいに携帯が鳴った。起きろ!
休日ではない。ミルト・ジャクソンではない。
ただその声は“朝日のごとくさわやか”だった。
仕事だろうと叱咤する。
そのわりには自分も仕事になんか行きたくないとだだをこねる。
僕は憂鬱な気分を押しのけてベッドをとびだしてコーヒーをおとしにかかる。
今日の朝はそんな朝で始まった。
そして携帯を切った僕は憂鬱にもどり、MJQを聴く。
さて、これから仕事に向かう支度に取りかかる。
やはり、ミルト・ジャクソンが囁いてくる。
どうだ、おまえのためにスイングしてやってるんだ。それなのにそのざまなんだ、一緒にスイングしろ!
「はい」
僕はいつだって従順になる。
さて、仕事だ、仕事だ。
僕は冷めたコーヒーに咳き込み、駆けだして電車に飛び乗る。

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2008.03.02

小さなジャズ喫茶

Art_pepper

函館山の麓に『想苑』というジャズ喫茶があった。
今でもあるのかもしれないが、勤務を終えた昼頃によく通ったものである。
JBLのスピーカーから流れるジャズを聴きながら飲むコーヒーは疲れを癒やし、なかなか快適だった。
しばらくして、この『想苑』からそんなに遠くない函館公園の近くに新装のジャズを聴かせるお店ができた。
こぢんまりした店で、ジャズの選曲もセンスがよかった。
若いマスターは京都の大学を出てすぐに地元の函館に戻ったようで、その大学で知り合った徳島出身の嫁さんと二人で店を開いたのである。大学の授業などあまり出ず、ジャズ喫茶通いばかりをしていたらしい。
アート・ペッパーが好きで、このミーツ・ザ・リズムセクションはいつも快適にスピーカーから流れていた。
軽食をとりながら聴くペッパーの『You'd Be So Nice to Come Home To』は素敵にスイングし、コーヒー茶碗がソーサーにあたるたびに響く音をも取り込んで、実に豊かな気分になったものである。
そんなわけでもないのだろうが、ペッパーの連続してうねるアルトにはなにかしらものがぶつかり、それはパスタをつつくときに皿とフォークがあたってでる落ち着かない金属的な音だったりするんだけど、そんな雑音が混在しているように思えるから不思議だ。
桜の咲く時期になると函館公園は花見客で一杯になる。
ブルーのシートを敷いて、そしてそこにコンロを用意し、ジンギスカン鍋で盛大に酒盛りを始める。
北洋漁業が華やかだった頃はあちらこちらで喧嘩がはじまったりして、その喧噪が函館の花見を象徴していたのである。
ジンギスカンのよい匂いが店のドアから入り込み、けたたましい怒声がそれに重なり、アート・ペッパーもヤケクソになってアルトを吹きまくっていたのである。
マスター夫婦とはその後も付き合いが続いたが、連絡船が無くなる少し前くらいに二人は離婚し、嫁さんは徳島に帰ったようだ。そんなこともあって、アート・ペッパーを聴くとなぜかしら寂しい気持ちになってしまう。
ペッパー自身が不遇であったように、その演奏がすばらしければすばらしいほど、今こうして聴いていても函館のあまりにも切ない思い出ばかりがつきまとって離れない。
函館の春はまだまだ先である。

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2008.03.01

えきそば

Chyoco

仕事で東加古川へ行くことになった。
加古川まで行き、そこから普通に乗り換える。
昼飯をとるため一時加古川駅を出るのも面倒で、そのまま駅構内にある蕎麦屋に入った。
「えきそば(昆布入り)」というのを注文してびっくりした。
昆布を麺にからめ、箸でそっと持ち上げてみるのだが、どうも麺の色がおかしい。蕎麦の色をしていない。
口に含み、味を確認してみるのだがどうも蕎麦の味がしない。
それもそうだろう、なんと麺は中華麺だったのである。(笑)
出汁は和の蕎麦のもので麺が中華なのである。とんこつスープをぶっかければそれはもう立派なとんこつラーメンである。塩スープをぶっかければそれはもう立派な塩ラーメンである。

店内を一渡り眺めてさらに驚いた。
カウンター席だけのこちら側からは向こう側には行けず、向こう側は駅構内ではないからこちら側へは来られない。駅の仕切りが厳然としてあるのである。(笑)
驚いたのはこちら側と向こう側のメニューが違うことだった。
向こう側には飯類のメニューがあるというのに、こちら側にはそれはなく、「そば」だけなのである。
これはおそらくJRの規定かなにかにひっかかるのだろう。
そのなんとも妙な「えきそば(昆布入り)」を食べながら、多分、「日本で一番旨くないそば」であるに違いないと思った。恐るべし播州人なのである。(笑)
ただ、播州人の名誉のために言うなら、こういう発想から新しい食の文化が生まれるのかも知れないということだ。ちょっと苦しいけど、「日本で一番旨くないそば」が「日本で一番旨いそば」に変身することだってあるのだ。
中華麺に味噌スープなんてのも今じゃ立派な「味噌ラーメン」に成ったではないか。汝諦めることなかれ。
頑張れ「えきそば(昆布入り)」なのである。頑張れ播州人なのである。

「えきそば(昆布入り)」で舌が麻痺したわけでもないが、チョコレートでお口直しなど。
行きつけのスナック、中国四千年の歴史のママさんから頂いたチョコです。
バレンタインデーのためにとっておいたもので、その日に行けなかったから昨日こっそり頂いた。
前日のお客の入りがさっぱりで『泣きたくなったわよ』などという口説き文句を聞きながら、チョコレートで釣られている哀れなるかな中年である。
昨年と同じパッケージのチョコレート。
バレンタインデーとは過去を滑稽に思い出す日なのかもしれない。
今頃になってバレンタインデーの話などとは情けない。合掌。

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2008.02.27

自由が丘

Jiyuugaoka

今、『自由が丘』という焼酎を飲んでいる。
東京のminaちゃんから頂いたものだ。
頂いたというよりはこちらからなかば強制的に要求したもので、彼女は快く応じてくれたのである。
有り難うの電話をかける。彼女は答える。
「おいしい?」
「うん、旨い」
「どんなふうに?」
「ツワブキの花のように」
「バカ」
「うむ、バカだ」
minaちゃんはワタクシの花のセンセイなのである。

太宰の小説『朝』のシチュエーション。
これに似た小説を書いたことがある。
同人誌の仲間は評価してくれたけど、先生と名のつく方々からは不評だった。先生の評など気にはしていないけど、君は大人の恋を知らない、そこがこの小説の弱さだ。
「君はね」、「君のね」、そういって辛辣な評をガンガン言ってくるのは彼の木下順一さんである。
「彼はね」、「彼のね」、そういっていつも寄り添ってくれていたのは彼の坂本幸四郎さんである。
木下さんからそう言われると、いつも歯を食いしばり少年のように羞じらいをこらえていたあの頃の自分が懐かしい。
坂本さんは一緒に酒を飲んでいればそれはそれでよかった。

今は大人の恋をしている。
だから今ならそれなりの『朝』が書けるかも知れないと、『自由が丘』をあおっているあなたのワタクシだ。
『自由が丘』の彼女は言うだろう。
「君、つめがあまいよ」
「うむ、・・・」
なすすべがないのである。
それよりはminaちゃん、『自由が丘』が空いちゃったんだけど・・・。
太宰の時代だったら電報でこうだな。
「至急、『自由が丘』送られたし!」
あなたのワタクシ、メールします。
「自由が丘、自由が丘、トカトントン、トカトントン」
“至急送られたし”よりはイカしているよね。
お願いします。
信天翁拝。


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2008.02.24

『朝』

Dazaiosamu

もう27,28年くらい前になるだろうか、太宰の筑摩書房の全集を購った。
たしか隔月1巻発売で、価格も当時としては安くないものだった。
予約を入れ、隔月1回本屋に出向き受けとるのが楽しみだった。
その全集の中に、太宰としては地味な『朝』という掌編があって、これにはちょっとドギマギしたのを憶えている。

「今晩泊めてくれないか」
などといって主人公が知り合いの娘さんのところにどかどかと上がり込む。
この男はお酒を飲んでいて、太宰そのものの酔っぱらいである。(笑)
急に停電にでもなったのだろうか、主人公と娘さんは暗い一間で一夜を明かすことになる。
娘さんが蝋燭を持ってくる。
ぼんやりと蝋燭の灯のともった中で娘さんが問う。
「この蝋燭、どこへ置きましょうか?」
それに答えて主人公の酔っぱらいが言う。
「燭台は高きに置け、聖書にある」
なかなかの名言である。

寝つけない主人公は思う。
そうだろう、彼はしたたかにお酒を飲んでいるのだ。
早く朝が来ないか。たよりない灯りの中で彼は念ずる。
そしてこうも思う。
蝋燭の灯が消えるのが早いか朝が来るのが早いか。
「○○ちゃんが危ない」
ついにはそんな思いにまで駆られてしまう。
「○○ちゃんが危ない」
多分こんな科白だったと思うが、この科白がいかにも太宰だなと思っていまでも鮮明に憶えているのだ。
たよりない蝋燭の灯りがふっと消えたとき、窓に朝の日がぼんやりと差し込むというそんな話なのだが、「斜陽」や「走れメロス」や「桜桃」よりも惹かれる掌編だった。

すでに太宰は古典だが、ふと思い出してしまうところは今でも捨てがたい。
ここを過ぎて悲しみの街。これも太宰の名科白だったかな。
富士には月見草がよく似合う。これよりは格段にいいと思ってる。
それにしても無頼派とよばれる作家がいなくなった。
日曜の夕暮れ時、中島みゆきの「泣かないでアマテラス」を聴きながら。

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2008.02.13

ミニー・ザ・ムーチャ

Ellington

ここしばらくデューク・エリントンばかり聴いている。
Book Off で、中島のアルバムを買ったときのついでに手に取ってみたやつだ。
AmazonにもiTunes Storeにもないところを見るとジャンク品だな、これは。(笑)
ちなみに上のアルバムはジャンク品ではありません。

ザ・ムーチャ。
エリントン楽団の抑制されたこの曲はいかにもムーディだ。
それに比べたら、ハーレムの『コットンクラブ』でのキャブ・キャロウェイ楽団のそれはかなり派手なもので、当時のハーレムの妖しさ危うさ脆さを物語っている。
キャブ・キャロウェイ。村上春樹は、キャブ・キャロウェイの持つ特異さはもはや時代を超越し、音楽スタイルを超越した一種伝説的なものなのだと言っている。さすがに村上春樹である。村上春樹の概念をさえ飛び越えている、それがキャブ・キャロウェイなのである。

このザ・ムーチャ、フランシス・コッポラの娯楽作品『コットン・クラブ』ではふんだんに流れ、そして秀逸な効果を醸し出していた。
それだからデューク・エリントンのCDからいきなりザ・ムーチャが流れたとき、頭をよぎったのはチンピラ役のニコラス・ケイジであり、その兄を演じていたリチャード・ギア、それよりはその恋人役のダイアン・レインだった。
『ゴッド・ファーザー』に到達する前のコッポラの作品で、コッポラ自身は自らの移民のルーツを探る作品として仕立て上げたと言ってるが、その不気味さにおいてハーレムは決して妥協していない。

タップの刻む音が、ミュートが効いた管楽器のうねった音がみな戦慄にすり替わってゆく。さすがに黒澤明を師と仰ぐコッポラの娯楽作品である。
それにしても冒頭部のダイアン・レインが美しすぎます。
ヨウツベでそのさわりを感じてください。

こんなタップができたら最高だ。
泣かせるコッポラの作品ではあります。

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2008.02.02

夜を往け

Nakajima_miyuki

神戸はどんよりとした曇り空。
こんな時に限ってミスをする。
想いが同じであっても食い違いが生じるときもある。
相手を困らせ、動揺させ、泣かせ、そして軽蔑される。
生まれてすみません。
生きていてもいいですか。
道化になることの難しさここに極まれり。
逃げ道はね、作っておかなくちゃね。それでなきゃ死んじゃう。
窒息死だ。トカトントン、トカトントン。

誰かが責めて誰かが泣き崩れる。
誰かが呆れて誰かが見捨てられる。
いかるがの里の乙女は夜もすがら衣機織れり秋近みかも。
いい歌だね。誰が歌ったというのだ。会津八一。
人生空回り。トカトントン、トカトントン。
どうしたというのだ、一体全体。
へい、ワタクシがイスカリオテのユダです。
大笑い。ユダがきいて呆れる。
おーい、こちらにお銚子をもう一本。
マンハッタン、マンハッタン。
また逃げ出すというのかい、キミは。
驚天動地、支離滅裂。誠心誠意、虚心坦懐。
あたしゃ売られてゆくわいな。トカトントン、トカトントン。

3分後に捨ててもいいよ 通りがかりゆきがかり
知らない話にうなずいて 少しだけ傍にいて
身代わりなんかじゃないけどさ 似てる人を知ってるわ
恋と寂しさの違いなど誰がわかるのかしら

あぁ 流れてゆく車のヘッドライトは天の川
あぁ 流れてゆく人の心も天の川
3分後に捨ててもいいから いまだけ傍にいて

コンパクトに映して見れば 時計はみんな昔回り
二度と戻らない人ばかり 浮かんでは消えてゆく

ねぇ 子供の頃あたし星を見てるのが好きだった
ねぇ 子供の頃あんたどんなふうだったの
3分後に捨ててもいいから いまだけ傍にいて

こんなビルの隙間にも 白いカモメが飛んでいる
紙切れみたいな人生が ねぐら探している

あぁ 流れてゆく車のヘッドライトは天の川
あぁ 流れてゆく人の心も天の川
3分後に捨ててもいいから いまだけ傍にいて

あぁ 流れてゆく車のヘッドライトは天の川
あぁ 流れてゆく人の心も天の川
3分後に捨ててもいいから いまだけ傍にいて
(中島みゆき『3分後に捨ててもいい』より)

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2008.01.30

花のセンセイ

P1040245

花のセンセイと電話で話し込んだ。
息子の話になり、センセイは憤っていたけど、聞いているとこの息子はかなりの大物である。
囲碁をやっている。全国高校選手権でも優勝している強者である。
灘校の子と選手権で打ったときのこと、見事この子をくだしたそうである。
対戦後、名人級の過去の棋譜を頭に詰め込んだ灘校はこう訊いてきたそうだ。
「ここのところで、どうしてここに打ってきたの?」
どうも名人級の棋譜にはそのような手はないらしい。
灘校の読みが完全に狂ってしまったのである。
「ここに打つとキレイだったから」
センセイの息子の弁である。
ここに打って、次にここに打つ。そうすると盤面は彼にとって絵画を描いている画家のように満足する結果となる。そんな思いを秘めながら、彼は盤面を彼のキャンバスのように縦横無尽に流れ打ち、そして彼独自の絵画を完成させたのだろう。それで勝ってしまうところがすごい。自在流。棋譜などもともと彼には必要ないのかも知れない。
彼の頭の柔らかさに感嘆せずにはいられない。
「灘校ってすごいの?」
「キミ、灘校知らないで相手と打ってたの?」
「うん」
「バカみたい」
「そんな人に勝ったんだ、ボク」
「・・・」
若さとは羨ましいかぎりである。

「いまどこから?」
「岐阜駅にあるビルの中」
CDショップから流れるコブクロの曲を携帯は拾っていたに違いない。
そのショップの店頭にある花壇に目をやると、いろいろな草花が咲いていた。外の寒さを感じることもなく、草花は健康そうに上へ上へと伸びていた。
黄色い花が目につき、花名の札を確認すると、ツワブキと書かれていた。
ツワブキは派手さはなく、そして貧相でもなかった。
「ツワブキがある」
「ツワブキ?」
「うん、向田邦子さんの・・・」
「ツワリのツワからとったツワ子さん」
「いえ、ツワブキのツワ子ですと言っていた」
「常子さんもいたなあ」
「常子さんは、花のセンセイ。君と一緒だ」
そんな会話のBGMがコブクロというのも悪くない。
「息子さん、いつ帰ってくるの?」
「もうすぐ」
「よろしく哀愁だ」
「うん」
岐阜もまんざら悪くはないのである。

帰宅してツワブキの花言葉を調べてみた。

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ツワブキ。
「謙譲」「困難に傷つけられない」
世間の目などを気にせず、思ったことをやってしまう
奔放で型破りな性格。女性の場合「男勝り」タイプが
多い。うわさや批判には敢然と立ち向かっていきます。

向田さんはここをツワ子に重ねたに違いない。
ツワ子、ワタクシの「花のセンセイ」そのものである。
ワタクシは、そんなツワブキをきわだたせるカスミソウなのである。
ツワブキに乾杯!
ヱビスビールを飲みながら。

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2008.01.27

信天翁考

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カニを食った。腹一杯食った。頭が痛い。
昨夜は至福の夜だったというのに、今朝の目覚めは最悪だった。
高級ワインが提供され、鹿児島の焼酎がずらりと並び、どういう訳かロシア産の火を噴きそうなスピリッツまで鎮座していた。まさに殺されそうな状況だったのである。
カニなんてものは食べ慣れてるからそんなに感動はしない、そう思っていたのが大間違いで、この度のカニには度肝を抜かれた。ピンク色のタグがひとつひとつのカニの爪につけられていて、中の白く澄んだ透明な身ときたらそれはそれはみずみずしく、甘みはいつまでも深く口の中でひかないのである。
日本海は柴山港が誇るブランドズワイガニなのである。

蟹イコール北海道というイメージがある。
有り難いようなそうでもないようなイメージだが、昨夜に限っては有り難くなかった。
「これをどう捌くの?」
中国四千年の歴史を生きているマダムが訊いてくる。
「これはね、ハサミでこのように・・・」
「お上手ね。それではこれみんなお願いね」
「・・・」
中国四千年は遠慮というものを知らないのである。
それからというもの、ただひたすらカニを捌いていた。ビールを煽り高級ワインを水のように飲み干し、ヤケクソでスピリッツで火を噴きながら、ただひたすら親の敵を討つような形相でカニと戦っていたのである。
どうもカニは苦手である。旨けりゃ旨いその分だけカニは苦手である。

「こちらで、お唄いになりません?」
元上司が同伴された女性の声である。
「お先にどうぞ、選曲しますから・・・」
「あら、そうですか。すみませんね」
彼女はマイクを握るとその場に立ち、なにやら身体を左右にお揺らしになり、歌い始めた。それはまるで、その曲を歌っている越路吹雪そのものであった。
「彼女はね、宝塚に行きたかったんだ」
元上司はこっそりと教えてくれた。
その間も、元上司と同郷であるという彼女は身体を左右にお揺らしになり歌い続けていた。
「どうぞ、次はあなたよ」
歓声と拍手にご満足気味に、宝塚を夢見ていた彼女がおっしゃる。
「北海道の曲がいいなあ」
元上司である。
「あら、北海道? それじゃあれあれ・・・」
宝塚を夢見ていた彼女はあれあれからその先を思い出せないでいる。
「あれよ、あれ。昔のコマーシャルの・・・」
「・・・」
「洗剤だったかしら・・・」
「ママレモンママ?」
「ちがうわよ、♪サッポロのひと~ で終わるの・・・」
「うむ、知ってます、ええ。タイトルが思い出せない・・・」
「思い出せなくても唄って・・・」
「・・・」
マンハッタン、マンハッタン。タカラヅカ、タカラヅカ。
女とは宝塚を夢見てるときが華なのかも知れない。
「北の漁場」に「石狩挽歌」、結局ワタクシの北海道の歌はそんな強烈な演歌にすり替わってしまった。カニを腹一杯食べて歌うのだから、中島みゆきの「IlOVE You,答えてくれ!」よりははるかにそちらの方が似合ってる。
「いいわよねえ、北海道」
鹿児島から宝塚を夢見て神戸に数十年住んでいるという彼女が、しみじみとお漏らしになられた。
カニはいきなり思い出を引っ張り込もうとする。旨けりゃ旨いその分だけカニは思い出を引き込むものなのだ。

「『信天翁』って機関誌なのよね」
痛い頭でいるとそう質問してきた。
「そうです」
「どんな機関誌?」
我が母校の機関誌。ググってみるといい」
「う~ん」
「ググると、多分二番目がそれで、四番目に来るのが『漂流記録』になるはずなんだ。こいつの検索順位を抜くことが出来ない。以前は『漂流記録』がトップに来ていたというのに・・・」
母校の教授らしい金川センセイは言語学をお得意としているらしく、ご自分のホームページで『信天翁』について熱っぽく解説なされている。信天翁の阿呆はアホにあらず、ボードレールを引用した語り口はきわめて歯切れがよい。
痛い頭でしばらくぶりにそこを覗いてみた。
ちょっと面白かったのがこれ、
神様の贈り物…若葉(マーク)の頃・女子高物語』。

 僕は女子校と男子校の両方の教師の経験がある。最近では男子校が少ないのでこういう経験をした人は少なくなっていると思う。
 男子の夢の職業として甲子園の監督、指揮者、女子高の先生というのがあげられるが、後二者の経験があるので羨ましがられる趣きもあろうが、指揮の経験は散々だったし、女子高ではもてなかったので、(以下略)

こんな切り口で展開してゆくのが実にいい。
やはり『信天翁』とは阿呆に通ずるのかも知れない。
まだ頭の方が思わしくない休日の暮れ時である。
休ませていただきます。


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2008.01.24

ジェットストリーム

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深夜放送の「ジェットストリーム」。
城達也のシブイ声に引き込まれよく聴いていたものだ。
今は伊武雅刀、彼もなかなかシブイ声、惹かれます。
「シブイ声をしてますね」
手前味噌だけど、電話口の向こうの相手からよくいわれることがある。
会ったこともない相手からそういわれるとちょっと照れる。
ただいま、ジェットストリームを聴きながらの即興記事の書き込み。
明日、東京へ出張。雪が降る。ホームにて。この世は解けないシーケンス。
チャーリー・パーカーのスリリングに満ちあふれた「ナウズ・ザ・タイム」を聴きながら。


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2008.01.19

花の名前

Mukouda

マンハッタン、マンハッタン。
向田邦子さんの『マンハッタン』がどんな小説だったのか思い出せず、悶々として歩きながら、気がつけば近くの本屋に入っていた。マンハッタンを探し当て、居酒屋でビールを飲みながら目を通した。マンハッタン、マンハッタン。心地よいリズムが頭の中を駆けめぐる。
『マンハッタン』は意に反して落胆に変わった。
なんとも不甲斐ない男が、なんともだらしなく生きていた。
これじゃ印象に残らないはずだ、そんな思いでマンハッタンをパタンと閉じ、ビールのお代わりを注文していた。

石蕗(つわぶき)のツワコ。
向田さんの『花の名前』にふいに現れる女の名。
女は、
「ご主人にお世話になっているものですが」
といって唐突に現れる。ただ現れるだけなのだ。石蕗とはそんな花?
花の名前などまったく知らなかった男が、主人公の妻である女に教わって、やがて石蕗のツワコにいたるのである。
花にまつわる二人のくだりが実にいい。


 結婚する前、松男は花の名前をほとんど知らなかった。
 桜と菊と百合。
 知っているのは、これだけである。よく聞くと、この三つもあやふやだった。
「桜だけは自信があります。ぼくの中学の徽章ですから」
と威張るので、桜と梅との区別をたずねると、とたんに頼りなくなった。
「やめようかしら」
 常子は、うちへ帰ってため息をついた。
 これからの長い一生、何の花が咲いて何の花が散ったのか関心のうすい男と暮らすことは、二十歳になった常子にはさびしいことだった。
 花の名前だけのことではないのである。
(新潮文庫「思い出トランプ」中『花の名前』より)


昨日のことである。
『花の名前』、この小説のような場面に遭遇した。
彼女は唐突に、花は何がお好きかしらと問うた。
不意を喰らって、遮二無二思い出したのがこの小説、『花の名前』だった。
下手な答えをしようものなら軽蔑されるに違いない。
「やめようかしら」
二十歳の常子の思いが頭にちらついた。
「カスミソウかな」
苦肉の返答である。
「カスミソウ? それ、花かしら?」
思いは千々に乱れるのである。
「花ではないかも知れないけど、花にしておこう」
「ふ~ん」
「こういう場合はね、花になるのがカスミソウなんだ」
「苦しいわね」
「苦しくて息ができない」
「ふ~ん」
やはり、思いは千々に乱れるのである。
そのあと、彼女は花についていろいろ教えてくれた。
それはまるで『花の名前』にでてくる常子さんのように。
「思い出した」
「なにを?」
「好きな花」
「なに?」
「カタクリの花」
「・・・」
「カタクリの花は、梅林の隅にひっそりと咲いているんだ」
「それで?」
「春になるとね、とても綺麗で・・・」
「ふ~ん」
墓穴を掘っているのである。

『花の名前』をはじめて読んだとき、これは大変なことになったと思った。
花の名前を憶えなくてはいけない。どんなことがあっても、花の名前を聞かれたら即答できるように、これがついてまわった。いつかきっと、このような場面に遭遇する。そんな確信があったのである。
そんな状況が突如として襲ってくるなんて。
マンハッタン、マンハッタンなんて呪文のように唱えていたのがいけなかったのかもしれない。『いつか王子様が』で手を打っておけば良かったのである。トカトントン、トカトントン。ヨヨイノヨイ。どうか神の御駕籠がありますように。
『ベビーズブレス。「少女の息づかい」』
彼女が教えてくれたカスミソウの英名である。やはり常子さんなのである。
トカトントン、トカトントン。ヨヨイノヨイ。ついでにマンハッタン、マンハッタン。
我に幸あれ。どうか神の御駕籠がありますように。

桜と梅の違い。水仙と百合の違い。はたして月見草はどんな色だったのか。
花の名前。それがどうした。
女の名前。それがどうした。
そんな松男の心境にはなれず、今もこうして悶々と桜と梅の違いを気にかけている休日の午後なのである。
向田さんはおっしゃる。
「女の物差しは二十五年たっても変わらないが、男の目盛りは大きくなる」
けだし名言である。
はたして、ほんとうに男の目盛りが大きくなるかどうかは別として。
気にかかるのは、変わらないと思いつづける女の物差しの方である。
キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」を聴きながら。

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2008.01.16

マンハッタン

Kitasabae

日本海に行ってきた。仕事である。
こちらでは、北陸に出ることをそう呼ぶ。
福井、石川、富山は総じて日本海なのである。
大阪は晴れていたというのに、北陸トンネルを抜けると積雪があって、そして横殴りに雨が降っていた。気温は格段に低く、歩くことさえ億劫だった。甘く見てはいけない、さすがに日本海なのである。

仕事を終え、帰りの電車を待つも来る気配さえない。
無人駅。ホームにある待合所でひとり瞑想に耽っていた。
自動券売機にお札を入れて切符を買うと、釣り銭のコインの音だけがけたたましく響き渡る。雨がたよりないガラス戸を打ち、水滴がかすかに流れてゆく。
「ホームにて」、そんな気分じゃないな。


雨が空を捨てる日は
忘れた昔が 戸を叩く
忘れられない 優しさで
車が着いたと 夢を告げる

空は風色 ため息模様
人待ち顔の 店じまい

雨が空を 見限って
あたしの心に 降りしきる

(中島みゆき『雨が空を捨てる日は』より)


ひとり口ずさんでいたのはそんな歌。
どんよりとたれ込めた雨雲はあくまでも低く、かじかんだ手に気分は滅入るばかりだった。日本海の福井は鯖江、なんとなくこの街には似合う曲だ。

ニューヨークの雨も冷たかった。
駅のホームでひとり思い出すのはそんなニューヨーク。
ブルックリンから地下鉄でタイムズスクエアに出て、ブロードウェーでミュージカルを観たときも横殴りの雨だった。
そんな雨の時でさえニューヨーカーはいたるところでキスをしていた。
「ニューヨークではね、いつだってキスをしてなきゃ女は逃げて行くんだ」
イエロー・キャブのドライバーは得意げにそう言った。
「知っておいて悪くない」
ドライバーの捨て台詞である。
『ハロー・ドーリー』の余韻が抜けないマンハッタンの夜、キャブはジャズクラブ目指して冷たい雨の中をひた走る。

マンハッタン、マンハッタン。
向田邦子にそんな小説があったな。
神戸の街はどこかマンハッタンに似ていなくもない。
マンハッタン、マンハッタン。
ニューヨーカー気取りで女を離すものかとキスの雨、こんなところもお似合いの街なのかも知れない。神戸はいつだってニューヨーカーになれる街。ジャズがお似合いのそんな街。いかがです、神戸。
日本海の冷たい雨はいろいろなことを思い出させてくれる。
マンハッタン、マンハッタン。
はて、どんな小説だったろう。


Imagine there's no heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today....

(ジョン・レノン『イマジン』より)


日本海は福井の小さな駅のホームにて。
iPodから流れるジョン・レノンのイマジンを聴きながら。

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2008.01.12

『マスカレード』を聴きながら

George_benson

砂山の砂に腹ばって眠っていたようだ。
2007年と2008年の狭間を彷徨っていた感じもする。
いたみを遠くに感じる初恋もいいが、そこから先にある狂おしいまでの恋も悪くはない。天才である啄木はいつもそうやって恋をしていたに違いない。東海の白砂に泣き濡れ、指の間からこぼれ落ちる砂にたまには涙しながら。
天晴れな啄木なのである。

昨日、行きつけのスナックに寄った。
台湾人であり、アメリカ留学の経験のあるママは聡明で美しい。
ブログの話になって、サイトを教えろというがこれには応じていない。それじゃ印刷して披瀝せよと迫るが、これも今のところ応ずる気はない。何かの拍子で見られる羽目になる、そのためにも「聡明で美しい」だけはことわりを入れておかなければならないのである。(笑)
今年もお店を閉めてカニを食うパーティをやる。
タラバに毛ガニに日本海のズワイガニ、これをてんこ盛りにしてガツガツ食う。カニはそうして一心不乱にガツガツ食うのが一番旨い。

そんな聡明で美しいママがぽろりともらした。
日本の『お神籤』は嫌いだ。突然、こうもらしたのである。
「大凶だなんて、馬鹿にしている」
相当に血圧をお上げのようだった。(笑)
それはそうであろうなと同情しつつも笑いをこらえていた。
そもそも大凶なんてのがあることすら知らなかった。その大凶を引き当てた。ママの話はまだまだ続いた。
一日に三回、それも違う神社でお神籤を引いたというのに、その三回のいずれもが『大凶』だったというのである。
これには同情しないわけにはゆかず、それは当たりくじなんだよ幸運の当たりくじ、などと訳の分からないことを口走っていた。
「それがね、そのあともう一回引いたのよ」
「うむ、それで?」
往生際が悪い中国四千年の歴史を生きているオンナなのである。(笑)
「『凶』だった。大凶よりはマシだと思った」
ママのため息はそのままわれわれのため息でもあった。
「その年は良くなかった?」
おそるおそる訊いてみた。
「まあまあだったわね。一日に『大吉』を三回引いた年よりは・・・」
「大吉を一日に三回?」
「ええ、その三年くらい前の年」
中国四千年の歴史を生きているオンナは聡明で美しく強かなのである。(笑)

函館からの帰りのANA便で手に取った「翼の王国」、この新年号にはいつも今年の運勢がのっている。
昨年もその前の年も「四柱推命」だったが、今回は「風水」だった。
自分の干支を真っ先に開いて読んだ。
曰く、
「多くの機会がおとずれる実りある年となりそうです。プレッシャーや競争に遭遇することもあるかもしれませんが、努力を惜しまず前進していくことが大切です」
努力を惜しまず前進あるのみ、なかなか手厳しいのである。(笑)
客室乗務員が側を通ったとき、いつものように、他の人の手垢のついていない新しい「翼の王国」を持ってきて貰いいただいた。
笑顔が美しい客室乗務員というのはいいものである。
これには努力を惜しまず、前進だってやぶさかではない。(笑)
I Love You,答えてくれ! のワタクシの元客室乗務員のお嬢さんはお元気なのだろうか。ANAは素敵な航空会社です。
まったりとした休日の昼下がり、かるいジョージ・ベンソンのギターにのった『マスカレード』を聴きながら。

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2008.01.06

砂山の

Oomorihama

湯の川温泉に一泊旅行した。
「しおさい亭」というホテルの後ろは海で、その海はのんびりと穏やかだった。
雪も降らず、ひねもすのたりのたりのだらんとした海がどこまでもつづき、裏手に回ると、ちょうど夕日が沈む頃だった。
函館山の左で陽はかすかに雲間で輝きを増し、大森浜の砂浜を一瞬際だたせ、そしてゆるやかに沈んでいった。なんとももの悲しく、綺麗で鮮やかな光景だった。
『砂山の砂に腹ばい初恋の・・・』
啄木の歌を口ずさんでみるが、終わりが思い出せないでいた。
確か最後は、『・・・を遠くおもい出づる日』のはずである。
何を遠くおもい出づる日なのか。

この大森浜には昔、砂山があったという。
連絡船の著書の多い坂本幸四郎さんに聞いたところによれば、この砂山は赤い砂山で、何故赤いのか解らないが、とにかく赤くそこにあったということになる。
「どうもね、あの砂山は不可解なんだ」
鼻の頭を赤くしてそうおっしゃる坂本さんは少年のようだった。
戦争の話なんかの後に出た言葉だから、そのような関係のものだったのかも知れない。だが、その先はやはり『・・・を遠くおもい出づる日』ではないが、思い出せないのである。
こんな思いにつかれるのなら、真面目に坂本さんの話を聞いておけば良かったと、われながら悔やみ恥じつつ、相変わらず思いは『・・・を遠くおもい出づる日』なのである。
そんな坂本さんも今は亡く、函館の大森浜は悲しみだけをひっそりと包み込むようにしてただ在るのかもしれない。

もう日が変わろうかという時間だったが二度目の温泉につかった。
7階の大浴場は海に面してガラス張りで海が一望でき、イカ船が1艘だけ煌々と白い灯りを放って漁をしていた。
オリオン星座の斜め下には悠然とシリウスが輝き、波は依然として穏やかだった。
温泉を出て、海に面したロビーのソファに腰をかけた。
シリウスが明るかった。砂山を探してみるがあるはずがない。
それでも、砂山砂山と呪文を唱えるようにしてあたりを見回す。

携帯を取りだしてメールを打つ。シリウスのような女史。
砂山の砂に腹ばいを確認してみたかったのだ。
返ってきたメールには、砂山に腹ばいの回答ではなく、『・・・を遠く思いいずる日』のヒントでもなく、田辺聖子の小説が面白いと書かれてあった。さすがに天才を豪語する女史である。(笑)
シリウスがね、とても綺麗なんだと書いてやると、田辺聖子の主人公はそんなロマンチストではないと返ってくる。
シリウスはなかなか手強いのである。(笑)

砂山の砂に腹ばい初恋のいたみを遠くおもい出づる日   啄木

仕方がないので自力で思い出した。
『いたみ』である。『いたみ』を感じよである。
初恋だってなんだって七転び八起きだ。七転八倒ともいう。
いたみを感じなくなったババァたち。これは最悪。(笑)
て、これはよしもとばななの『アルゼンチンババァ』を参考に。
明日でいよいよ休暇も終わり。合掌。(爆)

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2008.01.04

今朝の雪

Yuki

ここは日が暮れるのが早い。
窓越しに入る日を受け、句をひねり出そうとしてみた。
春といっても周りに雪じゃいかんともしがたい。

春よ春なぜにあなたは春なのか。
面白くない。馬鹿らしい。
君よ君なぜにあなたはアホなのか。
面白くない。阿呆くさい。

正月早々気に病むことがつづいた。
胃弱な漱石先生じゃないけど、胃がきりきりする。

酒を呼んで酔はず明けけり今朝の春    漱石

お酒を飲んでも酔わない。
今朝といわず昨日も一昨日も。
ま、こんな正月があってもいいか。

酔いもせで窓辺に紅く今朝の雪   信天翁

多分、誰かのせいだと思うんだけど。
辻でじっと空を見上げる碧梧桐の牛の心境だ。(爆)

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2008.01.03

杉の子

Suginoko

函館での新年会。
集まったのはみな私より若い6人。
ワインと料理でお腹を満たし、それから舶来居酒屋「杉の子」に寄った。
正月二日だというのに、超満員だった。
いたるところから大声が聞こえる。みな家無き子?オイオイ...
なんとも北の呑兵衛というのは・・・。

途中から北の女性写真家が加わった。
ずっと連絡船の写真を撮り続けてきたひとで、なかなかの女傑だ。
今も函館駅2Fでメモリアル写真が飾られているという。
白井朝子さんという。
朝子さんはお酒をぐいと飲み干す。
「貴子さん、お強いですね」
と言ったら、
「朝子です!」
ときっぱり渇を入れられた。白井朝子なのである。
なんとも北の女というのは・・・。

連絡船の話で盛り上がった。
もうすでに昔のことだというのに、みながみな当時の出来事を振り返る。
そういえば、その昔にもいろいろここ「杉の子」に集まって愚痴っていた。
そんなとき、マスターはいつもにこにこして聞いておられたなあ。
そんなマスターも鬼籍の人となり、壁に掛けられた写真になってほほ笑んでおられる。
無理矢理ママの元子さんを隣に呼んで写真を撮った。
今その写真を見てるのだが、いつの間にか隣には旦那がいた。なんともすばしこいのである。ドッチガヤネン...(笑)
これは許可無くアップできないのでお蔵です。(笑)
なんとも北の新年会とは・・・。

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2008.01.01

願をかける

Mado

元旦の朝。
目が覚めると雪が降っていた。
携帯でメールを入れて、それからお屠蘇をいただく。
日が顔を出し、それでも粉雪は舞い、積もった雪はおびただしいまでの水分を含んで重たそうだ。
仕方がないので玄関前の雪かきをした。
雪をかく。北海道では雪をはねるとはいわず、雪をかくという。
うっすらと汗をかいたところで止めた。風邪を引いては元も子もない。

Jinjya

近くの神社へ行ってみた。
思いっきり田舎の神社である。
賽銭を投げ入れ、二礼二拍手一礼。
隣には超ミニのおねえさんが深々と頭を垂れていた。
何をお願いしているのだろう。
そんな間にも降る雪は容赦ない。多分積もるだろう。

Omikuji

お神籤を買う。
大吉。

ふる雨は
あとなく晴れてのどかにも
ひかげさしそう
山ざくらばな

ひかげがちょっと気になるが、まあいい。
『恋愛』 誠意を尽くせ
ごもっとも。誠意を尽くさなくちゃ恋愛は成就しない。
絶え間なく降る雪。東京の空を想ってみる。

コンビニを覗いてみた。
ここしばらく新聞を読んでいない。
新聞という新聞はことごとく売れて無かった。
石を蹴飛ばそうと思ったが圧雪の道に石はない。
降る雪を恨めしく思い帰路につく。
元旦の朝晴れていうことなし・・・。
漱石にそんな句があったような・・・。

ふる雪のすだれをくぐり願をかけ    信天翁

元旦の朝とはさみしいものである。

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2007.12.31

Killing Me Softly With His Song

Roberta_flack
Roberta Flack

年賀状書きに大掃除。
そんなところにかつてのCA嬢minaちゃんからメールがきた。
I Love You,答えてくれ!を読んだという。
大晦日、最後なんだからI Love Youを叫べと言う。じゃじゃ馬である。(笑)
Killing Me Softly With His Songではどうかというと、駄目だという。
やはり、じゃじゃ馬なのである。
それじゃわたしも男だから言おう。I Love You。I Love You。
いかがでしょうか。(笑)
Killing Me Softly With His Song。
これ、どうして『やさしく歌って』になるんだろう。
どうでもいいけど、2007年もあと数時間で終わりだね。
どなたさまもよいお年をお迎えください。

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2007.12.24

クリスマスキャロルの頃には

Itunes

クリスマスキャロルの頃には、わたくしのiTunesのメニューのよく聴くトップ25、こんなんでした。
よく見えないので抜粋すると以下のようになります。
恥ずかしいので、適当なところで止めておきました。

 1.All Want For Christmas Is You
 2.サンタが街にやってくる
 3.Sweetheart
 4.本日、未熟者
 5.I Love You, 答えてくれ
 6.本日、未熟者
 7.ラスト・クリスマス
 8.顔のない街の中で
 9.ホームにて
10.いつか王子様が
   ・
   ・
   ・

Xmas

トナカイ君も、スピーカーの上で御機嫌だぜ。(笑)
みなさま、よいクリスマスイヴを。

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2007.12.19

とまどうペリカン

Pelikan

ペリカンと聞いて万年筆を思う人はかなりの通だと思う。
若い頃、練習船でシンガポールに入港したときのこと。
街を歩いているとおにいさんが声をかけてきて、この万年筆、安くするから買えという。見るとそれはあきらかに偽物と分かるペリカンだった。
当時のシンガポールのドルは海峡ドルといって、1ドルは120円であった。
6ドルだったか7ドルだったか忘れたが、わたしは騙されてみることにした。
偽物とはいっても書き心地は悪くなく、その偽ペリカンを使って、その後の航海日誌をひたすら書きつづけたのである。
いつか社会人になったら本物のペリカンを買おう、大袈裟ではなく、そのときわたしは心に誓ったのである。(笑)
社会人になって買ったペリカンの万年筆は、その後何処かに紛失してしまった。おそらく連絡船の廃止とともに何処かに雲隠れしたに違いない。

向田邦子さんは万年筆を貰うのを得意としていた。
ご自分で買うのは簡単だが他人様が使用して使いやすくなった万年筆、これを狙うのである。
飯を食わす。酒を飲ます。上げ膳据え膳。使わなかったのは色仕掛けだけであると述懐されている。(笑)
そしてかの万年筆は本妻となり、それまでのものは2号となり、3号となるのである。
向田さんのおねだりを真似たわけではないが、ボールペンをいただいた。
飯を食わすわけではなかった。酒を飲ますわけではなかった。ましてや色仕掛けなど使うはずもない。
使い古したものをと所望したのだが、新品が届いた。可愛いトナカイのオマケまでついて・・・。(笑)
メーカーは恐れ多くもペリカンである。
箱を開いてその姿形に色を見たとき、わたしは何故か若き頃に行ったシンガポールを思い出し、青春を彷徨っていたようである。

『とまどうペリカン』、これは井上陽水の曲だが、久しぶりに聴いている。

夜のどこかに隠された
あなたの瞳がささやく
どうか今夜のゆく先を
教えておくれとささやく
私も今さみしい時だから
教えるのはすぐ出来る

夜を二人でゆくのなら
あなたが邪魔者を消して
あとを私がついてゆく
あなたの足あとを消して
風の音に届かぬ夢をのせ
夜の中にまぎれ込む

(略)

あなたライオン 金色の服
その日暮らし 風に追われて
あなたライオン 私はあなたを
愛してとまどう ペリカン
(井上陽水『とまどうペリカン』より)

『とまどうペリカン』、好きな曲です。
明日、このペリカンで50枚の証明書にサインをします。サラサラと・・・。
手首がくたびれることこの上ない。
ペンの使い方がなっていないから・・・。(汗)

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2007.12.15

あん肝に「男山」

Ankou

今日、ちょっとした用事があって神戸三宮に出かけた。
ちょうどルミナリエの土曜とあって、大層な人混みであった。
某ディズニーのCMじゃないけど、
「これ、ラッピングしてくれませんか」
といって、ラッピングステーションでおねえさんに頼んだのである。
「ねえ、だれに送るの?」
そんなふうに訊いてくるものとてなく。(笑)
おねえさんは笑みをたやさず、ラッピングについていろいろ訊ねてきた。
「お色はこんな感じでいいですか?」
「そんなところでいいですよ、ええ」
「このようなものもありますが・・・」
「そんなところでいいですよ、ええ」
「リボンはこんな感じで左におくとか・・・」
「そんなところでお願いします」
おねえさんは笑っているのである。(汗)

帰りの電車に乗る前に、晩飯を食べた。
晩飯といってもいつものようにご飯はない。
お一人用お造りとあん肝である。それが上の写真。
あん肝はいけないね。
前回も記事に上げたけど、これってみな同じ、どこぞで造ったロールしたハムを切っているような・・・。
多分ね、船場吉兆のように、どこぞで造ったものを手前どもで造りましたといって出している。河豚には気を払ってるかも知れないけど、鮟鱇にはね・・・。
舐めてはいけない。(怒)

あん肝の初体験は函館。20代だった。
大門の地下にあるお店で、おかあさんがお一人でやっていた。
おかあさんというより、おふくろさんだった。
当時の連絡船のおじさんたちに連れられて行き、鮟鱇などオジサンたちが食べるものと思っていて、おかあさんが造ってくれた鮟鱇鍋にあん肝、鮟鱇のとも和え、なんとも贅沢な鮟鱇づくしのすべて、みな箸をつけなかった。
その後になって、それなりの歳になって、このおかあさんのところでいただいたあん肝、この味は忘れようとしても忘れられない。

お安い値段にしめたと思って飛びついても鮟鱇は振り向いてくれない。やはり鮟鱇というもの、これはしかるべきお店で大枚をはたいて食べなければいけない、そんな贅沢なものなのである。
ただこのお店、関西には珍しく北海道の地酒「男山」をおいているのである。
「男山」を注文し、ふと横から聞こえる話に耳を傾けると、これが右左の年配の男女、どちらもわけありのご様子。べらんめい、勝手にしやがれである。(笑)
どうもこのルミナリエの時期はいけないね。
何故か函館大門が懐かしい神戸の夜である。

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魔界の迷宮

Wakayama

昨夜は一度もPCの電源を入れていない。疲れてバタン、お終いである。
和歌山市への出張、ひどい一日だった。
朝、なんば南海駅の近くの喫茶店でモーニングサービスをいただいていたら携帯にメールがあり、周りの人に負けずにしっかり朝飯を食えと励まされ、そこまでは良い一日の始まりのように思えたが、そこから先が魔界の迷宮である。(笑)

和歌山市駅のタクシー乗り場で順番を待ってると、黒塗りのタクシーが先に2台行ってしまい、次が黄塗りのそれで、その後がまた黒塗りが続いていた。わたしは運良くというか悪くというか、間に入った黄塗りを見事ゲットしたのである。イエローキャブ、嫌な予感がした。(笑)

「○○会社、わかりますか?」
「あンだって?」
お歳の頃は80歳近くと思われる運転手さんが、なんというか、志村けんがコントでやる耳の遠くなった爺さん風に聞き返してくるのである。嫌な予感が現実のものとなった。(笑)
「○○会社です。△△町××丁目ですが・・・」
「・・・」
ご返事がない。(泣) やはり、嫌な予感が現実のものとなった。(笑)
「○○会社ってどこや?」
運転手さんは窓を開き、近くに立っている同僚に訊くのである。
同僚の教える道順を反芻し、志村けんの「あンだって?」爺さんは、否、ご年配の運転手さんは頷くと思いきや、首をかしげながら、う~んとひとつ唸りながら、車を発進したのである。益々わたしは不安になるのである。

運転手さんがいきなり車を降りてしまった。
「ややこしいところだ」
そう言って車を降り、近くの自動車修理会社やその付近を歩いているのである。運悪く人通りが少ないところで、運転手さんはそこで呆然と立ちつくすこと数分、わたしはため息またひとつなのである。(笑)
「こちらが海だから、ここでいいんやろ?」
わたしに訊いてくる。
「○×γ△■√★β」
「ファミリーマートがあそこだから・・・」
そう言って車を発進させると、今度は袋小路である。
「うっ」
運転手さんの絶句である。
「こっち、曲がったろうか・・・」
またしても行き止まり。
どこかの会社の敷地に迷い込んだらしく、行く手にはロープが張られてあった。
「なんやこれ・・・」
「πr=cx”×γ△■√★β」
「難儀なとこや」
難儀してるのはわたしの方なのである。

「会社に電話してみます。道順を訊きましょう」
「うむ」
携帯で連絡を取ると担当が出た。
「タクシーの中ですが、どうも道に迷ったらしくて・・・」
運転手に代わってくれと言うので、無口になってひとり唸っている運転手さんにわたしは携帯を渡した。
「うん、うん」
「海に向かって右に折れ・・・」
「あン、なになに・・・、次を左?」
「そこは行ったんやが・・・」
時々独り言が入る。待つこと数分である。(笑)
わたしは尾張・三河のあき竹城おばちゃんドライバーを思い出していた。
二種免許は安全なんよ、安全運転ができるものにくれるんだ。これは憶えておけ。これも安全運転のなせる技なのであろうか。思いは千々に乱れなのである。
「よし」
「わかりましたか?」
「この辺らしい・・・」
「x=c”y=qr"""▲γ=4π"rβ」
なにがよしか判らないが、ご年配の運転手さんはありがとうもなく無言でわたしに携帯を返してよこすと、再びゆっくりと車を発進させた。
おお、神よ我を救い給え。合掌。
会社はすぐ近くにあった。
『灯台見失い船漂流す』の図なのである。
つごう30分を要していた。(泣)

もうこれ以上は書けません。
「徳川吉宗の故郷へようこそ」
駅前に大きく掲げられた案内表示である。
わたしならこう書き加えるであろう。
「紀州路、魔界の迷宮へようこそ!」
尾張・三河の徳川といい、ここ紀州徳川の地にも余り来たくないような・・。
相変わらず漂流しているのである。(笑)
Mariah CareyのSweetheartを聴きながら。(爆)

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2007.12.11

気がつけば名も知れぬスピーカーが

Desk3

気がつけば同じスピーカーを2個買っていた。
無論自分の意志で買ったもので、なにかに血迷った訳ではもちろんない。
流れ流れて幾千里。あたしゃ売られて行くわいな。名も無き海外製品。超低価格。それ故お値段の方は公表できない。悪しからず。(笑)

始めにいたずらにひとつ買い、あまりに気に入ったので、昨夜電車を1駅前で下車し、もうひとつ、つまり2個目を購入したというわけである。クリスマスプレゼントとして使えるかもしれない、そんな思いもあった。
わたくし、パソコン・ショップではワゴンを覗いて歩くのが好きなのである。掘り出し物がある。そこを狙うのが好きなのである。
件のスピーカーはワゴンではなかったけど、ここのパソコン工房では海外ものの、そしてブランドなどまったく無視した恐れを知らないものを扱っていたりする。(笑)

ここ数日、このスピーカーからはビル・エヴァンスが流れっぱなしだ。
ここをご訪問くださる某お嬢さんは、鋭く、それは「いつか王子様が」なのだろうとお思いかも知れないが、実はわたくし、「ダニーボーイ」が好きで、次には「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ」なのである。
今も「ダニーボーイ」が流れ、クリスマスが近いというわけでもないが、「サンタが街にやってくる」なんかが流れているのである。
ひとり静かにウィスキーなどを舐めている冬の夜長というのも悪くないのである。
これはけっして負け惜しみではなく・・・。(苦笑)

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2007.12.09

気がつけばこんなにも

Old

気がつけば○○編、ルミナリエからサントリーオールドです。
1週間に1度行くお酒のスーパー、3週間でこんなにも。(笑)
さすがに本日は残り5,6個というところでした。
3週間、ということはこの間、ワタクシニッカを袖にしていたということ?
売りにでも出そうか。(爆)

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気がつけばルミナリエ

Luminarie2

昨夜、神戸三宮でかつての同僚と落ち合って酒を酌んだ。
小牧行きのタクシードライバーのおばちゃんの話などを報告し、さて、いつものお店へという段になって、同僚がその前にルミナリエでも見て行きますかという。
こちらも毎年見てる手前、ここに記事をあげる手前、よし、行こうじゃないかということになった。翌日の土曜や翌々日の日曜じゃかなりの混雑が予想されるし、願ってもないことだった。
ここは8時過ぎまで待て。燭台は高きに置けじゃないけど、8時前までは長蛇の列、焦ってはいけないのである。
歩きながら同僚の彼曰く、第1回のルミナリエに家族でやって来て、小学生の娘を肩車してガレリア(光の回廊)を歩いていたら、人の波に酔った娘が肩越しに嘔吐したそうである。衣服は台無し。(笑)
そのとき以来ルミナリエはゆっくり見たことがないそうで、生憎、こちらも野郎と一緒にルミナリエを見たことなどないことをいい合いながら大笑いした。
彼によれば、この娘さんは今は立派な高校生になり、最近は家に帰っても口をきいてくれないそうである。世に悲しきは思春期の娘を持つオヤジ哉なのである。合掌。(爆)

2007年版、ガレリア(光の回廊)にスパッリエーラ(光の壁掛け)をどうぞご覧ください。
半落ちならぬ、半酔いで撮った写真だけど、カメラが良いせいかまあまあいけるかなと・・・。(笑)
今年は100円寄付を募っていたので、100円とはいわず、ポケットにあった小銭を鷲づかみで基金箱へ投じたのだ。
まあ、100円とともに10円、1円が大量に混じってはいたけど・・・。(大汗)
ついでに、2005年版、2006年版を下にリンクしておきます。
なんといいますか、凛と心が引き締まります。
神戸の震災を忘れてはいけない。あらためて心より合掌。

Luminarie
ガレリア(光の回廊)

Luminarie3
スパッリエーラ(光の壁掛け)

Luminarie4
スパッリエーラ(光の壁掛け)

・2005年のルミナリエはこちら
・2006年のルミナリエはこちら

うむ、いろいろな方からいろいろなコメントをいただいている。
お気に召したら、写真はご自由にお使いください。(笑)

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2007.12.08

タクシードライバー

Station

昨日の出張、名古屋で新幹線を降り、在来線に乗り換える。
目的の駅で降り、タクシーに乗った。
ドライバーは女性で、どこかあき竹城に似ていて、お歳は察するに50代中頃と見た。
車を発進させるや、いきなり、
「お客さん、どちらから?」
と訊いてきた。
「大阪です」
と答えると、
「ああ、わたしも大阪や」
なんて応じてくる。
あき竹城に似て、どこか乱暴なのである。(笑)
かつて名古屋に住んでいたことなどを話し、大阪の話などにも話題が及び、ちょっと運転の方が気になったので、
「運転は長いんですか?」
と訊いたら、
「50年やってます」
と言う答え。どこか自慢気であった。
仕方がないので、
「それなら、腕はいいんでしょうねえ」
と褒めたつもりで言ったら、
「お客さん、タクシー運転手の二種免許ってのは、腕の善し悪しで取れるようなものじゃないんだよ」
と、あくまでも乱暴にあき竹城なのである。(笑)
「といいますと・・・」
「安全なんよ、安全。運転が安全でなかったら取れないんだ」
「・・・」
「だからね、私はスピードは出さない。時間がないからもう少し速くって言われても断る」
「そのとおりですね」
「勘違いされては困るんだなあ」
「ええ。僕は急いでませんよ。大丈夫です・・・」
「二種免許ってのは安全運転なんだから。安全運転して与えられる免許だってことを憶えていた方がいいよ」
「はい」
怒られているのである。(笑)
このままずるずると二種免許の講義を受けるというのもしんどかったので、話題を尾張・三河に振ってみた。
「こちらには長く住んでるんですか、大阪を出て・・・」
「大阪より長くなってしまった」
「そうですか」
ここで、どちらともなくため息ひとつ。(笑)
「住みやすいですか、大阪に比べて?」
「ここ? 嫌いだねえ、イヤなところだ」
「どんなところがですか?」
「人間がね、横柄で威圧的なのよ」
「というと・・・」
「まず威圧してくる、そして相手が『青菜に塩』になったところでようやう普通の話になる。徳川家康に似てるんだよ」
「う~ん、解るような気がします」
徳川家康がどんなだったか解らないが、ここは相づちを打っておくことにこしたことはないのだ。
青菜に塩といった言葉の響きがなんとも可笑しかった。可笑しかったけど、尾張・三河人には悪いけど、わたしも名古屋在住時代はいろいろな人間と出会い、そしていろいろな人間からこのような同じ思いをして来た経験があるから、素直に納得できるところもあったのである。
「私はね、ここのひとたちには本心は言わないね」
「ええ」
「会社の集まりでもね、本心は言わない。口は開かない」
「大変ですね」
「大変でも食って行かなきゃならないから仕方ない」
「それもそうです」
「とにかくここの街ときたら・・・」

これ以上は書けません。(笑)
およそ30分間、わたしはあき竹城に終始怒られていたような気がします。
このような御仁を、件の如き『青菜に塩』にせしむる尾張・三河人というのはさすがに恐るべしなのである。
このおばちゃん、今日も颯爽と運転を決めているに違いない。
多分、スピードを控えめに、そして安全運手に徹しながら・・・。
ひとつ、おばちゃんの故郷大阪から歌を進呈して差し上げます。

ふるさとへ向かう最終に
乗れる人は急ぎなさいと
やさしいやさしい声の駅長が
街なかに叫ぶ
振り向けば空色の汽車は
いま ドアが閉まりかけて
灯りともる窓の中では帰りびとが笑う
走りだせば間に合うだろう
かざり荷物をふり捨てて
街に街に挨拶を
振り向けばドアは閉まる
(中島みゆき「ホームにて」より)

お陰様で、この後のお仕事は順調に進みました。ホントカヨ...。(爆)

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2007.12.05

あん肝

Ankimo

鮟鱇の肝である。
なにを隠そうわたくし、鮟鱇には目がないのである。
なかでもあん肝に鮟鱇のとも和えときたら、これはもう逆立ちして踊っちゃう。(笑)

昨日名古屋に出張して、ほんとうは帰らなきゃならないところ、面倒くさくなったのでそのまま一泊してきた。
急遽ビジネスホテルを探し、晩飯を食いに出かけたところでメニューにあったのがあん肝であった。
揚げ出し豆腐とイカ刺しでビールを飲んでいて、ふと壁に掛かってる短冊に目をやると、なんとあん肝があった。
あん肝はお高いから、二切れくらい出てくればそれで充分OKだったのだが、なんとそれ以上のあん肝が出てきたのである。
鮟鱇の時期はこれからだが、どこでどう間違ったのか知らないが、あん肝なのである。さすが名古屋というか・・・。(笑) 旬じゃないのでまだ肝の旨みはなかったが、それでもなかなかシブイあん肝だった。

前のテーブルにふと目をやると、ひとりのオヤジが料理一品でお酒を飲んでいた。いかにも単身赴任らしいオヤジで、一見して堅物である。
ここのお店では地酒を置いていて、地元愛知や兵庫、新潟、宮城とそれなりに知られた銘柄である。北海道の「男山」があれば即座に注文したものを、新潟、宮城じゃ物足りないので、わたしは焼酎などを注文して抵抗していたのである。(笑)
かのオヤジは素焼きのグラスでグビリと一飲みし、お代わりを注文していた。あいかわらず料理の方は一品、そのままである。
おばちゃんがやってきて、持ってきた1升瓶を新しい素焼きのグラスに注ぎ始めた。その1升瓶に目をやると、それは「立山」だった。できるオヤジでなのである。(笑)
注ぎ終えて帰るおばちゃんを呼び止め、わたしも同じ「立山」を注文した。かすった程度にかのオヤジと視線が合ってしまった。「やあ、ご同輩」、オヤジはぶっきらぼうにそんな風に見ていたのかも知れない。

晩酌セットで飲み始めた自分を責めてみた。
よ~く品書きを見るがいい。「立山」にあん肝である。オヤジに先を越されてはいけないのである。(笑)
さて、これからの時期、鮟鱇万歳の季節到来である。
ただ、西の河豚に東の鮟鱇っていうから、なかなか旨い鮟鱇に巡り会えるとも限らない。ここは一丁気合いを入れるしかないか。
それにしてもくたびれた一日であった。合掌。

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2007.12.01

そして神戸

昨夜の疲れが残ってる。
いうまでもなくお酒の飲み疲れ。
金曜日の帰宅時は、たいてい大阪から神戸に行き、かつての同僚と飲み明かすことになってる。
飲み明かすと言っても終電までというところなのだが。

その昨日だが、午前中は神戸で仕事だった。
冬到来と思いきや、ここしばらく暖かかったせいか、街並みはまだ秋の様相だった。銀杏が枯れて落ち葉となり、忙しく歩いている人たちもコートを脱いでいたりした。昼飯を食うにはまだ早かったので、久しぶりにハーバーランドをうろついてみた。
平日の午前だから観光客の姿もちらほらで、天気もすがすがしく晴れていたから、もうこれは絶好のロケーションだった。
早速デジカメを取り出して観光人になった。
苦心して撮影した神戸観光写真、絵葉書にでもどうぞ。

Kareha
♪枯葉散る夕暮れは~。われ泣きぬれて蟹とたわむる。

Kanransya
人もなく、ただひたすら回る観覧車かな。

Orientaru
あまりにもおとなしく、静かなりし絶景かな。
このオリエンタルホテルとホテルオークラの間の向こう側にかつての職場がある。
「さよならの向こう側」である。(笑)

Tower
これはどう見ても絵葉書だな。たしかに絶景ではある。

Tower2
こちらの方が絵葉書に向いてるかも。穏やかなたたずまいだ。

Mozaiku
ホテル・カリフォルニアではない。その名をモザイクという。
お洒落な飲食店やら、神戸グッズを置いているお店が入ってるショッピングモールなのだ。

Mozaiku2
モザイク、こんな感じです。休日ともなれば人で溢れます。
まともに歩けない。ぶつかり放題。オススメです。(爆)


それにしても枯葉散る夕暮れならぬ、枯葉散る昼下がり、ひとりさみしくぶらつくというのもなんとも悲しい。侘びしすぎる。
何処かにフラメンコダンサーでもいないかしら。(汗)

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2007.11.28

鯛めし定食

P1030529

イギリスサンドじゃ物足りないので鯛めしです。(笑)
広島は福山、ここへ行ったら必ず昼飯を食うところがある。
JRの高架下にあるんだけど、ここの限定何食という鯛めし定食がこれ。
鯛めしに鯛の刺身が付いていて、そして天麩羅までも。
♪瀬戸は日暮れて~ 夕波小波~
思わず歌ってしまうのである。(笑)
なんとこのお値段、イギリスサンドと一緒なのだ。
♪瀬戸は日暮れて~ 夕波小波~
またしても歌ってしまうのである。
とにかくね、瀬戸の花嫁なんです。ドウイウイミダ...。
なんとも楽しい毎日ですこと...。(爆)

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2007.11.26

夢千代

Home

仕事を終え、仲間内で酒などを飲んでいたらカニの話になった。
これからの日本海、ズワイガニがめっぽう旨い時期になる。
北陸ではベニズワイ、越前では越前ガニである。
こちらで日本海といえば、香住とか津居山とかであるが、ついでに温泉は城の崎がすぐ近くなので、カニと温泉ツアーがこれからの主流となる。
たまに出張で香住など行ったりすると、これはもう騒々しくなる。

「泊まりだな、城の崎に」
「カニを食って温泉につかる、こたえられない」
「ここのほんとうのズワイはこの時期だけなんだよ」
「どういうこと?」
「解禁時以外は北海道から運搬船で来たりする。つまり、この時期以外はロシアのズワイなんだ」
「へぇ~」
「だから泊まるべきなんだ、この時期は城の崎温泉に」
酒のアテは柿の種である。
そんな惨めったらしいアテでカニを想い、ビールなどをさみしく飲んでいるのである。

「温泉といえば、ここの近くには浜坂がある」
「あそこは高い」
「夢千代だからね」
「夢千代といえば吉永小百合だ」
「シャープのアクオス」
「夢千代日記、浜坂が舞台だった」
「だから高いんだ」
「芸者は菊千代だろう」
「え?」
「夢千代よりは菊千代がいい」
「菊千代? 知らないなあ」
「菊千代といえば『七人の侍』の三船がそうだった」
「クロサワの?」
「長い刀を振り回すんだ」
「それはいけない」
「山賊みたいだった」
「菊千代はだめだ」
このあたりで柿の種はもうなくなっている。
干からびた小魚が恨めしく皿にのった。

「竹千代はたしか徳川家康だった」
「おお、家康」
「三船よりいけないな、竹千代は」
「山賊よりはましかもしれないが・・・」
「やはり、芸者は菊千代がいいにきまってる」
「いや、夢千代だろう」
「芸者ワルツ」
「やはり、芸者といえば夢千代だ」
「で、今も浜坂には芸者さんはいるの?」
「いないだろう」
「国破れて山河あり。芸者はいないな」
「夢千代さんはいないのかあ」
「菊千代だっていない」
「竹千代は?」
「夢千代がいないんだから竹千代だっているわけがない」
「あたってる」
「国破れて山河ありだから」
「残念だ」
「千代に八千代にさざれ~」
「石のいわおとなりて~」
「君が代?」
「これも国破れて山河ありだ」
「・・・」

夢千代も菊千代も竹千代も散々なのである。
なんというか、三連休惚けなのである。(笑)
わたくし、明日は香住じゃなく名古屋に出張です。
で、カニはどうなった。(爆)

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2007.11.23

二合半

L_bird
(イラストは「海の素材屋さん」から)

先日、函館からやってくるカミさんを待っていると、空港が吹雪のため出発が何時になるか解らないという。結局、2時間半遅れで飛び立ち、関空からのリムジンバスが着くのがなんと午後の9時になるという。迎えに出て、それでもまだ1時間以上も待たなくてはいけないので、ふらりと焼鳥屋に入った。
愛想の良い親父が出てきて注文を取り、暇だったせいか、カウンターにでも座らせて話をしたかったようだが、テーブル席に座ってひとり焼き鳥で酒を飲んでいた。
焼き鳥は当然鶏で、べつにキャベツが皿に盛られて出てきた。
いろいろあるもので、ここというか関西ではたいてい串にはネギなどが挟まっていない。鶏は鶏だけである。
キャベツに塩を振り、焼き鳥の合間にバリバリとやる。
最近は肉というものに神経質になっているから、キャベツばかりをバリバリやっていたら、さきの親父がキャベツをふんだんに別盛りで持ってきてくれた。ありがたい。
その後ももうひとつ別盛りでキャベツを運んでくれた。兎になったような気分で、さらにありがたい。関西人はこうして初めてのお客にお愛想を振る舞うのである。多分。(笑)

焼き鳥といえば、北海道ではたいていの場合豚である。
鶏と言ってるくせに、何故豚なのか。これは解らない。
レバーもタンもハツもすべて豚である。これもよく解らない。
そういえば、北海道では肝臓をレバー、舌をタン、心臓をハツとメニューに書かれているが、関西ではそのものずばり肝臓に舌に心臓である。たしか、名古屋では心臓をハートなんて呼んでいたような記憶もあるが、これはもうすっかり忘れてしまった。薄情なものである。(笑)
そして室蘭であるが、ここは人口の割合に比べて焼鳥屋の数が確か全国一番だったはずである。これもそれほど自信があるわけではないけど、ここも当然ながら鶏は出てこずすべて豚のオンパレードである。
全国一番の焼鳥屋の数からいって、味は確かに良かった記憶がある。
わたしはお店自慢のタレよりはいつも塩でいただく。
何も混じりのない塩でいただき、それが旨かったらタレなのである。

青函連絡船がなくなる前、函館のボーニ森屋というデパートの裏手に「二合半」という一軒の焼鳥屋があった。
ここの焼き鳥というか、レバーもタンもハツもすべて絶品だった。
特にレバーなどは大きめにできていて、焼き上がったその姿は芸術品のようにフワッとしてうっとりするくらいだった。口に含むとやわらかく、レバーとは思えないくらいじつにクリーミーな深い味がした。
もちろん塩だけで充分、何も足さない何も引かないなのである。
夕方に連絡船の乗務を終え、ほっとした気分で止まり木に座るのがなんともいえず好きだった。その道では評判の店だったので、7時前には席が埋まってしまい、外で待たされたりしたが、それでも根気よく待ったものである。雨の日も風の日も雪の日も、たとえ気が遠くなるほどの時間を要しても、われわれは根気よく待ったものである。
市役所がすぐ近くにあったから、この連中が誰よりも早くやってくる。役所の人間というのは焼き鳥のためにのみぞ生きる、なのである。ボーニ森屋のお嬢さんたちもたまにやってくることもあったが、このときは幸運のくじを引き当てた気分であった。
そして焼き鳥を頬張り、燗の付いたお酒をやりながら、われわれは連絡船の行く先を大いに案じ、熱っぽく語り合っていたような気がする。

ここの主人は女将さんで、どうも計算には疎いようであった。
しかも無口。お愛想を言ったてビクともしない。手強いのである。
いつも勘定がまちまちというか適当で、あんなにたくさんの焼き鳥を食い、あんなにたくさんのお酒を飲んだというのに、1000円で釣りが来たりした。
同僚が、
「間違っていませんか?」
と言おうものなら、どこからともなくケリが入った。(笑)
ただこの女将、気分屋でもあったようで、忙しく炭火に向かってるときなどに、
「レバーにタンにハツを塩で5本ずつ」
「あ、それからお銚子を2本追加!」
などと注文をしようものなら、勘定は倍づけされて目の前にあるのだった。
そのときも、かの注文した同僚には容赦なくケリが入ったようである。(笑)
残念ながら今はもうなくなってしまったが、焼き鳥を食う度、わたしの思いはいつだってこの「二合半」に飛んで行く。
連絡船もなけりゃ「二合半」もない。
函館への思いも薄らいでゆくわけである。
女将さん、どうか息災でありますように。(祈)

「おおきに」
親父にまた来ますとお愛想をいって店を出た。
リムジンバスの着く停留場に行くと、カミさんが所在なげに立っていた。
時計を見ると9時半を回っている。
「まいど!」
このときばかりは威勢の良い関西人になるのである。

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2007.11.21

寒い夜に

Aero

ガスファンヒーターが心地よく回ってる。
ONKYOのAEROからはキースのソロコンが流れている。
重い日。こんなONKYOのAEROだって平気で電車で持ち帰ってしまう。(笑)

眠気の襲ってくる暖かくなった部屋で、気になるブログを巡回してる。
故郷の新しくなった駅舎の写真があり、雪のうっすら積もった函館の写真もあった。おまけに、「おまけのオールド」の写真まで飾ってあった。
寒さには死ぬほど弱いって絶叫していたお嬢さんは大丈夫だろうか。(笑)

帰りに寄った家電屋でヘッドフォンをいろいろ試してみた。
いかにもいい音を出すぞってやつを耳に当ててみる。
そんなことを繰り返しながら、気がつけばいくつものヘッドフォンが抽斗の中に溢れていたりする。
四つ五つを聴き比べ、バッグからipodを取り出していつも聴いている曲を選曲してみた。
なんのことはない、今愛用しているものが一番良い音を出していた。
灯台もと暗し、人生とはそんなものなのかもしれない。

明日、久しぶりにカミさんが陣中見舞いにやってくる。
ルミナリエはまだ先だというのに・・・。
多分、明日の晩はイカ刺しなんだろうなあ。(苦笑)

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2007.11.18

ウィスキーがお好きでしょう

寒くなったからではないけど、またまたウィスキーの話です。(笑)
ようやくガスファンヒーターが運転されました。
本日の室温がやはり20℃。外はからっと晴れているようで、外で日に当たっていた方が暖かいかも。
いずれにしても、ファンは快調に運転されている。目出度し、目出度し。

♪ウィスキーがお好きでしょう~
♪もうすこししゃべりましょう~
石川さゆりのこの歌もなぜかこの時期に聴くとジ~ンときますねえ。
このジ~ンに切ない思いを抱きながら、小雪さんのさりげない流し目に狼狽えながら、ふと待てよと思った。
たしかウィスキーはニッカじゃなくちゃいけない、なんて記事を書いた記憶がある。それを思い出してしまったのだ。
そこで検索をかけてみたらありました。ニッカの生みの親、竹鶴政孝物語
ニッカがアサヒの傘下に入ってしまって久しいけど、やはりニッカには愛着がある。今頃、余市はうっすらと雪化粧かしらん。この北の国の自然の厳しさが髭のウィスキーを育んでいるのである。
♪ザンザンジダン~シュビズバ~に浮かれて、石川さゆりに酔いしれて、気がついたらわたくし、浮気をしていたのね。(笑)
そしてさらに、オールドのことに触れている記事もあるではないか。
なんといいますか、わたくし節操がないものでして・・・。
光陰矢のごとし、年を取るってことは素敵なことなのです。オイオイ...。
なんかいろいろ書いてるね。

先の記事にあるオールドの小瓶のオマケ、これは酒の安売りスーパーで偶然に見つけたもの。
かれこれ1週間が経つからもうすでにないかも知れないけど、先週は山積み状態だった。オールドの方はまだ半分くらい残っているけど、これからちょっと覗きに行ってきます。そうなんです、本日も「重い日」なのであります。(笑)
そして本日も違うオマケなんかないものかと・・・。
そうですね、小雪さんがついてくるとか・・・。バカミタイ...。
この時期、世はボジョレヌーボーばかりがもてはやされているが、小雪さんだって、いや、角だってダルマだって頑張っているのだ。
といいつつも、ボジョレヌーボーにオマケがついていたら落ちるな、多分。
ええ、わたくし節操がないものでして・・・。(爆)

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2007.11.17

ふたつのオールド

Old
「suntory_old.wav」をダウンロード

日増しに寒くなってきているようだ。
お風邪を召してダウンされている方もちらほらいるようですが、ご自愛を。
わたくしの部屋の気温、現在20℃といったところですが、暖房は入っていません。我慢してます。(笑)
こんな日は、ウィスキーのお湯割りなんぞをいただいて寝るにかぎります。

先週の「重い日」に買ったサントリーオールド、これが上の写真です。
なにやら子供のような小さな小瓶が写ってますが、これは目の錯覚ではなく、付録といいますかオマケといいますか、デカ瓶についてきたものです。
オマケだけどこのオールド、ウィスキーは入っていない。
そこで何が入っているかというと、♪ザンザンジダン~シュビズバ~、そうです、あの名曲が入っているのです。(笑)
こんなチビのくせして、電池もスピーカーも内蔵していて、♪ザンザンジダン~シュビズバ~、なのです。
試しに画像の下にあるファイルをクリックしてみてください。
どうです、優れものでしょう。(笑)
コンビニや酒屋さんにまだあるかどうか判りませんが、是非欲しいなんて興味がある方は飛んで行ってはいかがでしょう。

明日は全国的にさらに寒くなるようです。
「恋は遠い日の花火ではない」
ウィスキーのお湯割りなんぞを飲んで、早く休みましょう。
明日はガスファンヒーター、活躍してくれるかも。(爆)

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2007.11.14

少年二人

Hankyuu

日増しに寒くなっているようだ。
北の国の生まれだからといって油断をしてると、いつの間にか高熱を出してたりする。すでにインフルエンザの流行のおそれありとか。夜な夜なだらしない生活はいけないのである。
現在の室温23℃、これが寒いかどうか判らないが、ガスファンヒーターを試運転してみた。
あんなに五月蠅かった蚊右衛門の姿が見えないので、誘い出してみようという魂胆もあったのだが、蚊右衛門はどうも東京の某所に飛んで行ってしまったようである。多分、ここよりは数段住み心地が良いにきまってるが。(笑)

昨日、出張だったので少しだけ遅い電車に乗った。
時間に余裕があったので、梅田までは普通電車である。
いつもより空いている車内で新聞を読みながらいると、次の駅でいくらかの客が乗り込み、それでも座席はとびとびであるが座れる状態だった。
その客の中に小学生らしき二人の少年がいた。
この少年二人は、席を競って飛びつくわけでもなく、まるで大人のような態度でどっしりとし、私のすぐそばに立って大人しく話し込んでいるのである。まるで関西の子供らしからぬ落ち着いたそぶりで。(笑)
不思議な少年二人の顔を見ると、これもまた関西人らしからぬ賢そうなさわやか面立ちなのである。
話の内容までは判らなかったが、ゆったりとした話しぶりはこれまた関西のガキンチョらしからぬ・・・。(笑)

私が感心したのはこれから先である。
次の駅、さらには次の駅に電車が止まって客が降り、歯抜けではあるが充分席が空いたというのに、この少年たちは一向に座ろうとはしないのである。
私の前の席ではひとりの女子が眠りこけ、隣のオヤジの肩にもたれかかっていたりしてるのだが、少年二人はこんな哀れな見苦しい姿にも一向に興味を示さず、ただひたすら突っ立っているのだ。
そして終点の梅田の二つ前の駅、十三であるが、ここで大量の客が降りて車内ががらんとしたとき、はじめて少年二人はどちらからともなく声をかけ、空いてる席に座ったのである。
私は唸ってしまった。お見事。親の顔を拝見してみたい。
すっかり錆び付いてしまった頭を、後ろからガツンとやられた感じだった。
昨日の出先でのお仕事、気を引き締め、心してかかりました。
虚心坦懐。温故知新。因果応報。慇懃無礼。青色吐息。ああ、無情。
世の中まだまだ捨てたものじゃない。ああ、栄冠は君に輝く。
それにしても、十三から座るってところがいいね。

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2007.11.10

重い日

「思い日」ではない。「想い日」でもない。「重い日」である。
昨夜の飲み疲れで、一日中ベッドでゴロゴロと小説などを読んでいた。
夕方になって、晩飯も食わなくてはいけないので、近くのスーパーに出かけた。今日は重い日と決めて出かけた。
重い日、これは重たいものだけを買う日なのである。こう決めている。
野菜や刺身やパンや果物などを一緒に買ってしまっては歩きづらいことこの上ない。よたよたと足がおぼつかない。

本日の狙いは、サントリーオールドにウィルキンソンの炭酸に缶ビールに濃い茶にそれとダイヤアイスである。
店内を歩きながら、ブルーベリーのジャムを掴み、ワゴンにあるチリ産のワインと減塩醤油を追加した。どれもこれも重たい水ものばかりである。
レジを済ませ、スーパーを出て歩きながら肝腎の濃い茶がないことに気づいた。お茶は面倒なので、200mlのでかいやつをいつも御用達している。
まもなく家というところにもう一軒のスーパーがあるので、そこで買うことにして歩いた。
濃い茶の200ml一本。他店のレジ袋を一杯にさせ、レジのおねえさんの前を通るにはあまりにも恥ずかしく、しのびない買い物である。

「ああ、これね、人から頼まれたものなんですよ」
訊かれもしないのに、レジ袋を指さし弁解などをしそうなのである。
浮気がばれたときの言い訳にどこか似てるのかも知れない。
卑屈にならずに堂々と、
「その先のスーパーが特売日だったんだ」
こう言ってしまえば浮気などバレはしないのだろうか。(笑)
そんなことをぐずぐず考えながら店内を歩き回り、気がついたらカートの中はお祭りのようだった。
バターピーナツにヒラメの刺身にキューピーマヨネーズ、ピザにバターロールにチーズクラッカーに生牡蠣に豆腐に生わかめにヨーグルト、真っ赤な青森のリンゴまでがはみ出しそうになって踊っていた。
家がすぐそことはいえ、両手に三つものレジ袋を抱えながら、よたよたと歩いて帰ってきた。

頭がすっきりしない日の買い物は御法度である。
只今、冷蔵庫の前でため息をついている。
今晩、何を食えというのだろう。
重い日ならぬ、重労働の日に合掌。


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2007.11.07

冬の散歩道

Fuyunosannpomiti

蚊右衛門の話である。
夏も終わったというのに、残り香ならぬ残り蚊が一匹我が家に住み着いてるようで、こいつが蚊右衛門である。
蚊右衛門はニュースなどを見てると、ブ~ンとどこからともなくやってきて、私の顔の前を低空飛行する。
見えている分には余裕があるので、私はサッと手で払いのけ、軽くいなすのだが、これが就寝中の暗闇の中だと、思わず無意識に手が飛んでゆく。ピシャリと頬を打ち、その痛みの中で確認してみるのだが、蚊右衛門は見事にそれをかわして未だに健在のようである。
多分、いずれは哀しい運命であろう。(笑)

寒くなりました。
サイモン&ガーファンクルの「冬の散歩道」を聴いています。
ニューヨークやボストンの冬の経験はないけど、札幌や函館の冬の経験は山ほどある。札幌はいつでも雪が落ちてきても不思議ではない時期、函館はまだまだ雪は降らないだろう。
こちらは空気が乾燥していて、地下鉄を降りて乗り継ぎの阪急までの道すがらは軽く汗などかき、上着を脱いでしまうこともある。北国の生まれだからこの程度じゃ参らないが、周りに目をやると、すでに冬用のコートなどを着込んで完全防備の女子などもいて、これはなんとも面白い光景である。「冬の散歩道」なのである。

M嬢には電気ストーブを買うなんていってたけど、昨日、ガスファンヒーターを買ってしまった。裏切り者である。(笑)
ウィズ・ガス。ガスのある暮らしを楽しもう。これはこちらの大阪ガスのキャッチコピー。これにまんまと乗せられてしまったという哀しき図式なのである。
試し炊きをしてみたが、なんとなく良い感じで、ウィズ・ガスなのである。
M嬢は今日、オジサンたちを前にしての研修の講師を務めるらしい。
風邪が治ったばかりらしいけど、彼女の根性ならまず心配はないだろう。
私はこれから名古屋、岐阜へと出張である。
これから朝飯を食い、ipodに「冬の散歩道」を取り込んでいざ出陣。
昼飯は味噌カツと決めている。オジサンだって頑張っているのだ。
本日は全国的に晴れらしい。冬のお散歩にはちょうどいいだろう。
ところで、蚊右衛門はどこ行った。(爆)

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2007.10.30

天使の微笑み






昼に難波の地下を歩いていたら、クリスマスツリーの設置作業をやっていた。
さすがに関西の商魂は逞しいなと呆れつつ、昼は回転寿司にした。
「函館市場」、それが回転寿司の店名である。
回転して前を流れる寿司をおもむろにつまみながら、函館のことを思った。

先日、ある方からメールをいただいた。
メールはこれを買ってくれ、これを読んでくれ、果てはこんなゴシップを知ってるかみたいなものしか来ないので、真面目に目を通すこともなく、タイトルだけを読み流しそれでお終い、結果、未読の山なのである。
そんな未読の山から拾ったのが、先の方からのメールであった。
この方とは、「天使の微笑み」というサイトの管理人さんだった。

わたくしのブログには、恥ずかしながら「人気記事ランキング」などという洒落にもならないものを設置していて、ただ今の第1位には、「木下順一さんのことなど」が晴れがましくも躍り出ているが、これは木下さんとご縁のあるM嬢が奮闘している結果なのである。記事に参ったなどというコメントもメールも未だに無いのがなにやら複雑な心境ではあるが・・・。
ただ、「木下順一さんのことなど」がトップにいてくれることは、それはそれで嬉しいかぎりだ。
M嬢は函館ご出身でスチュワーデス(死語?)をおやりになり、それからJRAのインタービューワー。そして現在は・・・、忘れました。(汗) 利発で美しくて可愛いのである。
M嬢に袖にされたら一巻の終わり、わたしゃ売られてゆくわいな、なのである。(笑)

先の方のメールに戻ると、この管理人さんは木下さんのお嬢さまとご結婚をされているとのことだった。
興味深く文面を追うと、木下さんの足跡を紹介してゆく主旨でサイトを立ち上げたとあり、木下さんとわたくしとのエピソードが目に浮かぶようであるとおっしゃり、このつまらない拙ブログにリンクを張ってよろしいかというものであった。嬉しいことである。
いつであったか、「木下順一」でググってみたことがある。
そのときのGoogleは「天使の微笑み」をいの一番に掲げ、そして信天翁の「木下順一さんのことなど」をその次に拾い出してくれた。さすがにGoogleである。(笑)
それ以来気になっていた「天使の微笑み」。
サイトを拝見しても、そのときはどなたが管理人さんか判らなかったが、こうしてメールをいただくと、木下さんとの縁(えにし)がどこかで繋がっているのかと、そんなふうな感慨にとらわれてしまう。

上の写真は「天使の微笑み」にあるものを借用しました。
これは木下さんがタウン誌『街』を編纂していた頃の事務所の風景です。
わたくしもここへは呼ばれたこともあり、なつかしい風景です。
不作法な野郎よりは、木下さんはいつだって女性がお似合いだ。
左がO木玲子で真ん中がかつての北海道はミスW内のS藤玲子。
わたくしの同人誌『晨』の仲間です。そして玲子の安売りです。(笑)
今年の年末は、『晨』の仲間に連絡でも取って忘年会でもやろうかなあ。
ちなみに本日のGoogle君、「木下順一」で検索してみたら、信天翁がトップに躍り出ていた。よく見ると、かのM嬢のコメントだった。
やはり袖にされたら、わたしゃ売られてゆくわいな、なのである。(笑)

ひとり、酒を飲みながらの書き込み、まったくとりとめがない。
「神戸ハイボール」は、ウイスキーと炭酸を混ぜマドラーで13回転半。厳密なのである。
本日、サントリーオールドで神戸ハイボールとシャレてます。
「天使の微笑み」の管理人さんの奥様に、これを進呈させていただきます。

そういえばお父さま、下戸でしたね。
これもシャレということで。(謝)

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2007.10.27

準備万端

Bvlgari

もういくつ寝るとお正月?
お正月には酒飲んで、凧など揚げずに休みましょう♪
気の早い話だけど、正月帰省の航空券取りました。
ANAのマイレージクラブ特典予約、二ヶ月前の予約開始が本日9時30分。
12月27日分を、予約開始時間と同時にアクセスして見事にGetしたのだ。
血と汗と涙で貯めた15000マイルが飛んでいって候。(笑)

毎月の電気代ガス代はマイルへ移行。
毎月のスーパーへの買い出し、つまり食費もマイルへ移行。
コンビニで購入する新聞もカップ麺もおむすびもマイルへ移行。
昼のレストランも食堂も、大丸も阪急もユニクロも、ヨドバシもヤマダもミドリも、そして一人寂しくBarで飲む神戸ハイボールだってマイルへ移行だ。(笑)
あまりにもカード会社のお得意さんになってしまったので、つまり年間使用額がある水準をクリアしてしまったので、なんと、いつのまにか貯まったマイルはその5割り増しになって移行されているのである。
わたくし、頭のてっぺんから足の先まで、体内を駆けめぐる血の一滴までANAのマイルで侵されております。(笑)

先日飛び込んだ某Y電器。
ここはブランドもののフレグランスなんかも置いている。
わたくしの愛用は上の写真にあるブルガリのブルー・プール・オム。
買い置きのため、立ち寄ったら必ず覗いてみるんだけど、その日はなんと3000円で釣りがくるお値段だった。
二つを鷲掴みにしてレジへ。Y電器のポイントも貯まっていたけど、ついいつもの癖でカードを切ってしまった。
ブルガリの香りがANAのマイルに変身なんてなかなかでしょう?
じつにセコイ生活をしているものだと呆れてしまう今日この頃。

もういくつ寝るとお正月? お正月には凧あげて コマを回して・・・
やはり酒飲んで休むにかぎる、それが正月だ。
明日天気になあれ。(笑)

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2007.10.21

晴れたらいいね

P1030741

暑い暑いと言ってたら、急に寒くなってきた。
「そうだ、ストーブ買おう」
急に思いつき、昨日、電気屋に行ってみた。
いろいろあってよく判らない。
よく判らないけど、今年は電気式と決めている。
灯油は運ぶのも面倒だし、灯油屋を探すのも億劫なのだ。
電気ストーブはどこか頼りないけど、そんなに家にいるわけでもないので、「そうだ、ストーブ買おう」は「そうだ、電気ストーブ買おう」なのである。(笑)

電気屋の偵察を終え、久しぶりに「Book off」に寄った。
目眩がしそうなCDの山をかき分け、数枚を鷲づかみにしてレジに向かい、そこで広げてみたらドリカムにMAMAS&PAPASだった。それにDUKE ELLINGTONにDEXTER GORDON。
狙ったものはなかったが、どれも250円也なので、なんか得した気分だった。
なにげにドリカムか、これは自分でも判らない。(笑)
吉田美和の相方が亡くなってしまったからかな。やはり、よく判らない。

P1030745

そんな判らないCDが、薄暗くなったわが部屋で鳴っている。
『決戦は金曜日』に『晴れたらいいね』、これくらいしか知らない。
MAMAS&PAPASの『CALFORNIA DREAMIN』がかかり、そして『MONDY MONDY』のハーモニーが静かに流れている。
さて、ジャズの大御所、DUKE ELLINGTONはいつになったらかかるのだろう。
気怠い日曜日。これからスーパーへ買い出しだ。
電気ストーブはどこいった。(笑)

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2007.10.20

深まる秋

Kiku

早いものです、この日曜日は菊花賞。
深まる秋だなんて言っておきながら、いきなり菊花賞だなんて。(汗)
今日は仕事が混み入ってどこにも寄れないで帰宅した。
どこにも寄れなかったのは飲み屋です、ええ。(笑)
週末だというのになんとも情けない。週末にブログだなんて・・・。(笑)
しょうがないから菊花賞の出馬表でも載せましょうかね。
ついでに、帰宅時に立ち寄った大丸のコスメのおねえさんもオマケです。

Daimaru

ここ数日、やたらと電車に乗って飛び回っている。
そして気がつけばコックリコックリ。午睡である。つまり眠ってる。
以前にこのブログでも記事にしたことがあるが、完璧に眠りに落ちてしまうのはなぜか女性が多い。ほんのわずかの距離でも、それが居心地の良くないバスであろうと、世の女性は実にあっさり眠りに落ちてしまう。スキだらけ。不思議な現象だ。
男というのは、外に出たら周りはみな敵という意識が潜在的にあるのか、簡単には眠らない。一服盛られないかぎり眠りはしない。(笑) 女に比べて神経が四方八方に張り巡らされているのかも知れない。
こんなことを言ったら、世の中の女がみな馬鹿なようにとられかねないが、そうではなくて、油断大敵とよく言うが、女というものは油断に対して男よりは神経が行き届いていない、残念ながら油断というものに多く気を払っていないような気がしてならないのである。

「女のバッグ」というのもある。
「センセイのカバン」でもなく、「女のカバン」でもなく「女のバッグ」である。
これは女の居眠りより強烈である。
通勤途中や電車の中でよく見かける光景だが、バッグのファスナーを閉じず、どうぞ見てくれみたいな・・・。開陳しているのである。
女のバッグの中は女の衣の中と同じだと思ってる。見せてはいけない。
さすがにじろじろ見るわけにもゆかないが、化粧水にファンデーションにリップにお菓子にペットボトル。極めつけはヴィトンの財布なんかが無造作に放り込まれているのはいかにもスキだらけで、女のミステリアスなバッグの中味が台無しなのである。
勝手にしやがれ。あたしゃ売られて行くわいな。
世捨て人になってはいけない。(笑)

電車の中で眠ってはいけない。
そう思っていたのだが、最近、よく眠りに落ちてしまう。つい四つほど先の駅までだというのにコックリコックリである。
男だって油断に多く気を払っていないやつもいるのである。
これはなんというか、四方八方に敵がいなくなった年齢がそうさせるのかも知れない。
ただ、カバンはしっかり閉めている。男のカバンの中なんて面白味もなく、タイガースファンで汗臭くなった阪神電車みたいなものですが。(笑)

さて菊花賞。
女の居眠りに女のバッグときたら、「夢の中」でドリームジャーニー、「ティファニー」でマンハッタンスカイというのはいかがでしょう。ティファニーは宝石だけど、この際バッグだって構いはしない。
全く責任は持てませんが・・・。
事故責任、いや自己責任で。(笑)

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2007.10.19

北海道日本ハム

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思いっきりおめでとう(笑)

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ヒルマンが見えない(笑)

祝 北海道日本ハム。
リーグ優勝、やってくれました。
札幌ドームの熱気が伝わってきました。
これで一気に日本シリーズを優勝して欲しい。
ちなみにこの写真、我が家の液晶TVからパチリです。なかなかです。(笑)
これでゆっくり眠れます。オヤスミナサイ...。Zzz・・・

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2007.10.14

神無月

P1030706

もの思う10月。
もの思わなくても10月。
挨拶もなしに勝手にやってきた10月。
本日、ここにきてようやく衣替え。
まとめて十数枚の夏のYシャツをクリーニングに出す。
出張の帰りに、ひやかしに寄ったお店で買ったウールのジャケット。
まだ袖を通していないスーツが二着。神無月とはそんな月。

P1030715

気になっていたAero Sound System
休日だというのに難波まで出かけてその音を確認。
BOSEには到底及ばない音だけど、悪戯で買ってしまった。
iPodに取り込んだビデオ&ムービーが、液晶TVで再生できるはずなのに何度チャレンジしても出てこない。
ウイスキーを煽り、気合いを入れて挑むも反応なし。神無月とはそんな月。

函館のとあるスナックの名物マスターが亡くなった。
マスターとはそんなに親密ではなかったが、娘のM子さんは後輩の嫁さんだからよく知っている。
今日2時から「お別れの会」があったらしい。
急遽カミさんをやったが、このあと、お店を開けるのだと言っていたそうだ。
本当は来週から営業の予定らしいけど、今日集まった方たちのために開放するのだという。故人もきっと喜んでいることだろう。さすがM子さんだ。あっぱれ。

iPodに取り込んだビデオ&ムービーが映らないTV画面を横目に、Charlie Haden & Pat Metheny を聴いている。
アルバム「Beyond The Missouri Sky」 の中の『He's Gone Away』だ。
なんとも哀しくやるせないメロディがおとなしく、ささやかに流れている。
Pat Methenyの切なすぎるギターの音色、これも神無月の悪戯であろうか。
合掌。

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2007.10.09

恋は遠い日の花火ではない

神戸ハイボール。
かつて神戸にあった伝説のバーらしい。
先月函館に帰省したとき、ANAの機中で読んだ機内誌「翼の王国」に紹介されていて、その魅力に惹かれた。
開店が1954年とあり、残念ながらの閉店が1990年。平成2年だから、私が初めて神戸勤務したときにはすでになかったということになる。
ここで出されていたハイボールがやけに旨かったらしい。
なんでも、ハイボール以外を注文できるのはマスターがよほど機嫌の良いときだけだったとか。
だいたいバーのマスターなんてのは、そんな一風変わったオヤジが多いのが定説になってる。
神戸ハイボールはグラスにウィスキーを入れ、炭酸を注ぎ、最後にレモンピールを吹きかけただけで、氷は入れないらしい。抜群の旨さとある。
閉店になってしまった神戸ハイボールだが、神戸ハイボールは市内のちょっとしたところで今も飲めるそうだ。
紹介されていたそんなお店の中で、行ってみたいと思ったのが神戸港中突堤にあるホテルオークラ最上階の「スターライトラウンジ」。
ここは以前の勤務場所のすぐ近くで、そうと知っていたら足を運んでいたものを・・・。悔やまれてならない。

ウィスキーを初めて口にした時代、水割りなどというものはなくて、ハイボールだった。
ハイボールがどんな飲みものかも解らず、アメリカ映画で見たひとつ憶えで気がつけば注文していた。
炭酸が入っていたかどうかはすでに記憶にないが、こんな不味いものよく飲むものだと呆れたものだ。
それが今やいっぱしの酒飲みである。炭酸などというややこしいものはいらないからと言って、ロックでガブ飲みだって平気な人間になっている。時の移ろいというものは残酷で哀しいものだ。
今日、散歩がてらに街を歩き、覗いた酒屋で上等の炭酸を買った。ウィルキンソン炭酸。
神戸ハイボールにはこのウィルキンソンの炭酸を使っているらしい。
このウィルキンソンも何故か記憶にすり込まれていて、それはちょうど受験勉強中の深夜放送のコマーシャルだったように思うが、こんなふうに神戸で思い知らされるとは皮肉なものである。
今、サントリーオールドのロックにウィルキンソンをたっぷり注ぎ、♪ザンザンディダン シュビズバなんて口ずさみながら、気分はリー・ヴァン・クリーフになっている。

お待たせしました、サントリーオールド第二弾です。(笑)
「この課長の背中篇」、いいなあ。男としてはこう生きたいものだ。
今宵は長塚課長と弁当屋の田中裕子ねえさんに乾杯だ。
ただ、このご両人のCF、お湯割りじゃないか。ガッカリ。
そういえば、こんなお湯割り全盛時代もありましたな。
やはり、光陰は矢の如しなのである。
美しき哉我が人生だ。ヤケクソともいう。(笑)

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2007.10.08

マイ・オールド・フレンド

「1985_8bspfxta0dm.mp4」をダウンロード
リー・ヴァン・クリーフ(0:59)(こちらがオススメです)


リー・ヴァン・クリーフ(0:29)

昨日、ぶらりと寄ったショップで見つけたのがYou Tubeの動画をiTunes経由でiPodに取り込めるソフトiGet You。
頻繁に使うこともないから、ちょっと迷ったけど、I Get Youしてしまった。
おそるおそるインストールし、さて何を取り込もうかと迷ったあげく、中島みゆきのそこそこのものをI Get。
iPodで持ち出して聴くのもいいけど、液晶TVに動画を映し出してiPodを聴くというONKYOから発売されている「AERO Sound System」なるものもあって、これにもなんだか触手が伸びている。(笑)

そんなことはいいとして、昨夜、一人水割りを飲んでいたら、急にサントリー・オールドの昔のCFが観たくなった。
♪ザンザンディダン シュビズバ って渋いBGMが流れるやつ。
この曲の作曲はなんと、小林亜星さんらしい。驚いた。ぶったまげた。(笑)
最近流れている、一人住まいの娘を案じて父が嘘をついて上京してくる「父の上京篇」や、過去に流れた、夜の街での別れ際に女性社員が課長の長塚京三さんに向かって言う、『課長の背中見るのが好きなんです』と言って泣かせる(汗)「課長の背中篇」もいいけど、ここはなんと言ったってリー・ヴァン・クリーフのものだろう。

昔を思い出しながら、しみじみとしてしまった。
いずれはこんな風に年をとってしまうのだろうな、そんな思いで見ていたCFだが、自分がそんな年齢に近くなろうとはね。
こんなリー・ヴァン・クリーフのように渋くスマートに歳を重ねて行きたいものだ。

友達?
たくさんいるよ。
子供・・・おとな
男・・・女
はげしいの、やさしいの
軽いの・・・重いの
新しいの・・・ふるいの
もっとふるいの
結局、みんな好きだね

シブイ! めっちゃシブイ!
泣かすね。泣けた。
マスター。オールド、ダブルでもう一杯。

次回は長塚京三、田中裕子ご両人のものをアップする予定です。
乞うご期待!(笑)

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2007.10.06

K代さんからのはがき

Letter

昨夜遅く帰宅すると、郵便受けに1通のはがきが投函されていた。
差出人に目をやると、それは函館のK代さんからのものだった。
相変わらず達筆である。そして相変わらず気遣いのこもった、優しくて愛情のあるものだった。

K代さんとは函館の同じ同人誌にいた。
K代さんは小説は書かず、身の回りにある出来事などを随筆にして投稿していた。優しくて品のある丁寧な文体は誰からも好かれていた。他の同人の作品を評するときも、実に愛情に満ちた評をし、その優しさを遺憾なく発揮していたのである。

はがきは、私の移転通知に対する返信であった。
此の度はご丁寧におたより有り難うございましたとあり、新しい仕事や引っ越しなどでの疲れを気遣ってくれている。
函館の男子高校の教師をお辞めになり、今は悠々自適の生活を送っているはずだが、随筆を書き続けているのかどうかはこの文面では判らなかった。ただ、お元気にされている様子だけは充分に読んでとれた。
K代さんのはがきの最後には、かつての同人だったR子さんが今でも小説で気を吐き、最近では北海道新聞の書評で大きく取り上げられたことが記されていた。そして私に対し、まだ書いているのかと問うて終わっている。

函館の女は元気である。
突然飛び込んできたK代さんの便りを手にして、そんな元気な女たちを思い出している。K代さんはもとより、RさんにSさんにNさん、そしてこれぞ函館の女傑といえるYさんだ。
窓から入り込む秋風に誘われるように、函館、Yさんと検索してみると、面白い記事がヒットした。
北海道新聞函館支社が募集している「いさり火文学賞」のもの。
応募資格が道南にゆかりのある人というのは良しとして、そんなことよりも私の目を釘付けにしたのはその審査委員の顔ぶれだった。懐かしいYさんの名前があり、そして5人の審査委員のうち、4人が面識のある方たちだったのである。
AさんにSさんにTさん。その方たちは私の同人誌の合評会に現れては評をしてくれた。丁寧に評をしてくれたり、ときには親の敵にでも会ったかのように激しく罵ったりしたのである。元気なのは函館の女ばかりではないのである。
ここに木下順一の名前がないのが寂しい気もする。
木下さんが健在だったら、間違いなく彼は審査委員長格だったことだろう。
「いさり火文学賞」。ここだけには応募することはできないな。(笑)

「○○さんも書いていらっしゃるのでしょうか」
K代さんの最後の文面である。
何も書いていない私は戸惑い、顔を赤く染め、K代さんからのはがきをそっと机の袖に押しやるのである。

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2007.09.28

第一滝本館

Takimotokan

札幌に墓があるので、彼岸もとっくに過ぎたというのに墓参りである。
そのまま帰るというのも芸がないので、登別まで高速を飛ばし、第一滝本館に泊まることにした。
私にとって滝本は思い出の温泉で、というか、私にとって北海道の温泉と言えば登別で、そして風呂は第一滝本館ということになる。

Sikotutouya

小学校6年の修学旅行は洞爺湖、登別温泉だった。
洞爺湖で遊覧船に乗り、そしてオロフレ峠を越えて登別に出て熊牧場を見た。
それだけの記憶しかないが、その時泊まった第一滝本館の大浴場だけは今でも忘れられない。
今でこそ登別温泉にはたくさんのホテルが林立しているが、当時は第一滝本館くらいしかなく、あとは大抵がこぢんまりした旅館だったと記憶している。
温泉は大きなプールになっているものもあり、どういうわけか、ここでは男女一緒になって泳げたように思う。
水着なんて当然持参しないから、みんな素っ裸になって泳いだ。
いくら小学生とはいえ、女子も男子も素っ裸だから、これはいま考えてみると相当に乱暴な話なのだが、当時はなんの疑問も持たず、教師も生徒も一緒になってワイワイ騒いだのである。

Tさんは、小学生にしては胸の大きなというのか、胸の大きくなった、校内でも評判の可愛い女子生徒だった。いわばマドンナであり、当然ながらわれわれ悪童はTさんを探したのである。
ところがTさんはどこを探しても見つからなかった。
悪童の中でもとびっきりの悪童がどこで情報を仕入れたのか、Tさんはひとり部屋にいて、ここには来ないのだという。
われわれはみなガッカリした。マセた馬鹿どもである。(笑)
やはりマドンナは、どんなことがあってもマドンナなのであり、マセタ馬鹿どもに裸の姿などは見せないものなのである。
そんなふうにひとり納得はしたものの、私の思いはより一層Tさんでいっぱいになり、胸が焦がれた。
初恋地獄編ならぬ、初恋登別編である。

そういえば、ここ登別温泉には地獄谷があり、源泉となっている硫黄の匂いをふんだんに含んだ湯煙をもうもうと立ち上げている。地獄の閻魔様、つまり鬼なんかも売りにしていて、いたるところでギョロリと睨みをきかしている。
淡く悲しきわが初恋登別編。当時の鬼が意地悪をした、私はそう踏んでいる。
オロフレ峠を久しぶりに越えながら、そんな甘い思いに浸っていた。
第一滝本館、思い出のいっぱい詰まった温泉なのだ。


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2007.09.25

函館大門の灯

Oonumanite

久しぶりに函館大門で飲んだ。
日曜日のことだからすでに二日も前のことだが、未だに酔っているような気がする。
「一夜限りのグランド・キャバレーの灯」として、奇特な女性が私財を投げだし、昭和40年代後半に賑わったキャバレー「未完成」を一晩だけ復活させた。函館の盛り場大門が息絶えて久しいが、sachiyoさんという30代の女性が華やかなりし大門を知るなんてことはないと思うが、彼女はボランティアをかき集め、協賛会社などを募って頭を下げて回り、今や廃屋に等しい蜘蛛の巣が張ったような「未完成」を当時そのままに再現して見せた。
頭が下がるというか、何がそこまで彼女を衝き動かすのかなんて解らないが、多分、無事終わったようである。
翌日の朝刊には、当時のうら若きホステスさん達が、それなりにお歳を召した姿で誇らしげに写真に収まっていた。
多分、無事終わったようであると書いたのは、残念ながら、私はチケット完売で入場できなかったのである。

北洋漁業が全盛で、連絡船も賑やかだった時代、大門は大いに賑わった。
花見といえば大門に繰り出し、忘年会といえば大門に繰り出し、そして勢い「未完成」を含め三つあったキャバレーをハシゴして回ったりした。ホステスさんも多いときでは100名は優にいて、鯛やヒラメの舞い踊りではないが、それはそれは竜宮城のような賑わいだったのである。
記憶にあるのは、加藤登紀子さんが旦那の逮捕留置でドサ回りをやるにいたり、ここ北のキャバレーにやってきたことだ。
それが「未完成」だったか「ハーバー・ライト」だったかは忘れたが、私はそのステージのためにだけ勇んでかけつけ、お登紀さんの歌う「知床旅情」に涙した。
「この歌のためにだけ来たんだよ」
セット料金だけで頑張る私に、三人もついたホステスさん達は快く了解してくれ、
「それじゃわたし、もっと良い席を取ってやる」
そう言ってひとりが席を立ち、遙か向こうの席を確保して手を振っているのだった。そして信じられないことに、どこからかかすめ取ってきたビールとつまみまでそのテーブルに並べて待機しているのだった。
有り難きは北の田舎の心優しきホステスさんなのである。

当日の「未完成」には入れなかったが、その前日の前夜祭にお店を覗いた。
慌ただしくスタッフが動き回り、前日だというのに、ぎりぎりまで打ち合わせがつづいているようだった。
ステージや天井のシャンデリアはたしかに昔のままを再現しているようで、朧気な記憶がぼんやりとだが甦る。
sachiyoさんらしき女性がいたので声を掛けてみた。
完売だというチケットのことやらいろいろ話を聞きたいことはあったが、口をついてでた言葉は、
「某ブログをやってます」
ただのその一言だった。
「ああ、某ブログですか」
それがsachiyoさんの返答で、それじゃと言って私は外に出た。
なんともあっけないというか愛想のないと言うか、締まらない会話だったが、それ以上話すこともないように思われた。とにかく彼女は髪こそ振り乱してはいなかったが、かなりしんどそうだった気配が見て取れたのだ。多分、2,3時間しか寝ていないのであろう。
「ブログにコメントいただき、やってきました」
こんなふうにいえば良かったかと思ってみても、それは後の祭りというものだ。どうも「杉の子」で飲んだ「なんとかハイボール」がいけなかったようだ。
すっかり足を取られてしまい、酔いが急に回ってきたこともあった。
向田さん流にいわせるなら、「一服盛られた」感じで、照明の落とした店内のsachiyoさんの顔のピントまでもがあやしくて、「一服盛られた」というよりは、「二服盛られた」ような酔いの急襲だったのである。

当日は仕方がないので、後輩のA君と「杉の子」で飲んだ。
「杉の子」はA君の奥さんがやっているスナックのようなバーのようなお店で、賑やかだった大門の面影を残している、そんな数少ない貴重なお店なのである。
かつて辻仁成が函館の街を舞台にした「海峡の光」で芥川賞を受賞したが、この「杉の子」らしきお店も登場しているような気がしないでもないが、そんな縁もあって、前の奥様の南果歩さんを伴って幾度か来ていたりもする。
A君と居酒屋で宗八カレイとイカ刺しとサンマの刺身を食い、「杉の子」に戻ると、かつての職場の青年T君が女性を伴ってカウンターに座っていた。
われわれは二人を挟んでカウンターの人となり、二人のことなどお構いなしにそれぞれ勝手に話し始めた。
「『未完成』、知ってますか?」
私は隣に座る女性に訊ねた。
「ハイ。『未完成』、知りません」
当たり前である。
「お前、いつから彼女いたんだよ」
A君が隣りに座るT君に話しかける。
「いつというか・・・」
「ほら、ビール、もっと飲め」
いきなりというか、乱暴な話である。
静かにとり澄ましていたT君は苦笑いになり、いつしか鼻は赤くなっていた。
「Y子さんといいます」
T君が私に彼女を紹介する。
「良い名前です」
「ハイ。ありがとうございます」
Y子さんは、いつだって「ハイ」と言ってから次の言葉を返してくる。
「いまね、『未完成』に振られてきたの」
「ハイ。振られて?」
「ええ、振られたんです」
「ハイ。どうしてです?」
「チケットが完売で・・・」
「ハイ。チケットが・・・」
私はここで、キャバレー「未完成」についてY子さんに講義をしてやる。
「そのsachiyoさんって、よく解らない女性だよね」
「ハイ。でも偉いと思います」
「偉い?」
「ハイ。頑張っているから・・・」
Y子さんは優しいのである。
「それよりチケットがね、残念だった」
「ハイ。チケット、残念でした」
「先輩、Y子さんは小学校の先生してるんです」
T君が心配そうに声を掛けてくる。その気持ちは充分よく解る。
「どちらの小学校?」
「ハイ。東大沼小学校。ご存じないでしょう?」
「東大沼は知ってます。湯けむり会員だから」
「ハイ。湯けむり会員?」
「流山温泉。東大沼にありますよね」
「ハイ。あります。流山温泉」
「トルシエジャパンだってワールドカップ前、東大沼でキャンプを張った」
「ハイ。そうです。その近くです」
「東大沼は有名なんです」
「ハイ。そうなんですか」
無茶苦茶な話である。
そんな乱暴な狼藉者が侵入しようと、Y子さんは明るく笑っている。
そしてバックからデジカメを取り出すと、
「ハイ。みんなで撮りましょう」
いつしかY子さんは溌剌とした先生に早変わりし、酔った二人の狼藉者とT君に集合合図を掛け、シャッターを切った。
A君の奥さんのM子さんが笑いながらビールを出す。
「ハイ。わたくし、もう飲めません」
「それじゃT、お前が飲め」
A君の気合いである。
T君の鼻の頭はさらに赤くなっていた。
良きカップルというか、T君にはもったいないY子さんである。
気がつけば12時になろうとしていた。
「未完成」には振られたが、悪くない一日が終わろうとしていた。
「一夜限りのグランド・キャバレーの灯」。
果たしてこの大門の灯が再び灯ることはあるのだろうか。

翌日、私はカミさんを誘って東大沼に行った。
トルシエジャパンのサッカーグランドはあったが、東大沼小学校は見つからなかった。
大沼国定公園の小さな島々を渡って歩き、紅葉にはまだ早い秋の大沼の写真を撮って回った。
上の写真はカミさんが撮ったもの。
やたらと私に向かってシャッターを切っている。
その理由を訊くと、
「もしもの時の写真、いまから撮っておくの」。
なんというか、死んでたまるかの心境なのである。

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2007.09.17

可愛いラジオ

Radio

9月も中を過ぎたというのに、とんでもない残暑が続いている。
誰のせいでもないとわかってるけど、35度とはどうよ。
エアコンをガンガン回し、宛名書きの続きをやっている。
もちろん、「本日、未熟者」を聴きながら・・・。(笑)

バッグの中をゴソゴソやってたらラジオが出てきた。
先日、大阪の電機屋を冷やかしていたとき、ワゴンの中から顔をのぞかせ、
「どうだ、買ってくれねえか」
と声をかけてきた可愛いやつだ。
手に取ってみると、防滴型、お風呂で聴くシャワーラジオだった。
のんびり風呂になど浸かってる時間なんてないが、1000円で釣りがくるような安い代物だったので、騙されたつもりで買ったのだった。

ちょうど汗もかいていたから、風呂に入り、防滴の効果を試してみた。
マンションの風呂の配置上FMの電波はちょっと弱く、「どうだ、買ってくれねえか」君は頼りなかったが、AM電波はしっかり受信していた。
のんびり風呂になど浸かってる時間なんてないなんていっておきながら、しばらくボーッとしながらそのラジオを聴いていた。
そういえば、風呂に浸かりながら読書する方もいるらしい。
相手は紙だから、防滴というわけにはゆかないのだろうけど、今後、パソコンを浴室に持ち込み、音楽やら読書やらを聴いたり見たりする、なんて御仁も現れるのだろうか。
そこまでしなくともと思いながら、懸命になってFMの電波を拾っている。
秋はどこへ行ったのだ。

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2007.09.16

本日、未熟者

Mijyukumono
本日、未熟者(itunes store)

新しい仕事に就いて二ヶ月が過ぎた。
あっという間に過ぎてしまったのか、ようやく二ヶ月なのかよく判らないが、今というか今更というか、退職にあたっての挨拶状などを書いている。
宛名を書きながら、いろいろな思いが錯綜する。
願わくば、こいつとは二度と一緒に仕事なんかしたくないな、そんな方もあれば、よく飲みよく食った仲のいい同僚もいる。こいつはいつだって手を煩わせてくれたな、そんな若者はいまでも気になる。
気になるのはそんな若者ばかりではなく、名前だって気になった。気になったというか、普段気づかなかった名前が突如として現れるのだ。
いつも苗字で呼んでいた彼、彼女が、突然敏彦になり靖夫になり、三雄になり公哉になり、そして亜矢子になって京佳になるのだ。彼女は京佳だったのか、今の今まで気づかなかった京佳さんを思い出してしまうのである。

スティールパン、バカでかい鉄でできたお椀のような楽器を皆で叩いて演奏する。もちろんソロだって有りだが、合奏がほどよい音色を奏でだし、そこそこ聴けなくもない。
同僚からチケットを貰い、彼等のグループが演奏する会に付き合わされたことがある。彼等の出番が来る前だった。まだ始めて間もない技術の未熟な若者たちが、バカでかい鉄でできたお椀を叩きだした。皆が懸命になって調和を図っていて、観客を魅了するところまではさすがにいかなかった。
そこでわたしは京佳さんを見てしまうのである。
京佳さんは遠慮がちにそのパンを柔らかく叩き、そうかと思うと笑顔を見せてゆっくりとひとつ、ふたつと間をおいて叩いたりする。これでもかこれでもかと、力まかせに叩けないこのパンは京佳さんには向いていないな、わたしはそんなことをふと思った。
「あら、いらしてたんですか? 恥ずかしいわ」
翌日、京佳さんはそう言って笑った。どこか含羞を含んだ笑いだった。
京佳さんはわたしの部下である。
「いい音色だったよ」
「ほんとですか、うれしいです」
わたしは心にもないことを言って京佳さんを喜ばせた。
京佳さんは、やはり含羞を含んだ笑いを見せた。

どこから見てもアブナイ客だった。
個人情報に絡みそうな資料の開示を迫っている。
応対しているのは京佳さんである。アブナイ客は京佳さんの言ってるひとつひとつの言葉をメモし、その翌日から毎日といってよいほど電話をかけてきた。
君はこういったじゃないか、君はこの資料は出せるといったじゃないか、そんなことをアブナイ客は電話の向こうで繰り返し、京佳さんは懸命になって応対していた。電話は小一時間に及ぶこともあった。押し問答。
「上司を出せといわれても、私、頑張ります」
京佳さんは頼もしいのである。
二週間くらいたってまた電話があった。
「正式に情報開示請求をなさってください」
相変わらず京佳さんは懸命になって応対してるのだが、いつしかその声が急に消えた。上手く納得させたのかと思って京佳さんを見ると、彼女は受話器を持ったまま眠っているようだった。
上司は出しません。有り難いというか立派というか、天晴れな女である。
秀敏に雄二郎に幸宏に勇雄。
典子に章江に玲子に須磨子。
宛名を書きながらそれぞれの思いは尽きないのである。
ワープロに慣れたせいか、手書きというのはちょっとしんどくて、今日は途中で止めてしまった。
もう二ヶ月が過ぎているというのにである。
わたくし、『本日、未熟者』。

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2007.09.11

夏から秋へ

P1030500

今日は午後から休暇を取った。
別に急ぐ用があったわけでもないが、理由は「信天翁」にある。
こう書いてしまったらなにやら意味深だが、なんのことはない、ATOKが欲しかっただけだ。
VAIOにしてから漢字変換エンジンがマイクロソフトのMSIMEになってしまい、もう使いづらいったらない。
同梱されていたのがMS Officeで、一太郎が入っていないから当たり前なのだが、やはり使い慣れたATOKが欲しい、それで休暇を取り、ミナミのLABI NAMBAまで走ったということなのだ。
「あほうどり」とキーボードで打ち、MSIMEで変換すると、
「アホウドリ」
「あほうどり」
候補はただのこれだけである。つれない。出直してくれ。(笑)
これがATOKだと、
「アホウドリ」
「あほうどり」
「信天翁」
「阿呆鳥」
「阿房鳥」
とこうなる。お見事。胸のつかえが下りた。ざまあみろ。(笑)
やはり愛すべきはATOKなのだ。
もう14年の付き合いだからね、離れられない。古女房。
これでブログの更新も安泰だ。これは嘘です。(笑)

帰りに“なんばParks”をぶらついてみた。
人が多いねここは。平日の真っ昼間、何用があってこんなに若者たちが集まるのか、一体彼等は仕事をしているのか。
人のことはいえた義理じゃないけど、この現象、いつも不思議に思ってる。
最近は年をお召しになった方たちが増えている印象だけど、これはやはり団塊世代が大量にリタイアした2007年問題を象徴しているのかもしれない。いや、今日目についたのは、それよりは遙かにお年を召した老人たちだった。このように、
今後この国ではさらに老人たちで街が溢れかえるのかもしれないな。
ATOKを小脇に抱えながら、道行くお年寄りたちに目をやりながら、そんなことをぼんやり考えてみた。
ちなみに「老人」をATOKで変換してみたら、「老人」ひとつしか候補がなかった。さしずめ、老人は老人なんだよ、ATOKはそう主張しているようだった。
悔しいので、変換キーを叩き続けると、
「老人」
「ろうじん」
「老人たち」
と、いままで自分が打ちまくったらしい「老人の連想変換」の注釈付きで並んで出てきた。
さすがにATOKというべきか、なにやらうれしかったが、実はATOK、
「あなたもそろそろその仲間入りなのだよ」
そんな狡猾な思惑も秘めているようで、なかなか手強いのである。
ATOK、袖にしてやろうかしらん。(笑)

ベランダのアルミ戸を開けてみた。
涼しい風が舞い込んでくる。
久しぶりに自然の風に思いっきりあたるというのもいい。
そろそろ秋かもしれない。
暦の上ではとっくに秋なんだけど、これしきの風で騙されたりはしない。
多分、今週いっぱいは夏でしょう。
夏。夏の流れ。夏の別れ。夏を惜しむ。
それじゃ「なつ」を変換。
「奈津」
「捺」
「なつ」
これだけ。素っ気ない。
奈津子という昔の女を思い出してしまった。(笑)

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2007.09.09

少しだけ動き始めた

Vaio

新人のVAIOです。
DELLにあるiTunesで購入したりCDから取り込んで溜め込んだ楽曲、これが700曲あまり。これをシフトして引き継ぐのに半日掛かってしまった。どうやって取り込むのか、手探りでなんとか強引に押し倒してやった。(笑)
今のんびりとBOSEから音を出してるところだけど、さすがSONYというか、なんとなく切れのよい、シャープで締まった音がグッド。
て、気のせいかもしれないけど・・・。
まあいいや、本人が満足してるんだから。(汗)

気分は「サーモンダンス」の中島だ。
ええ、いま流れてる曲、下にあるYou Tube の中島なのです。(笑)
『生きて泳げ、涙は後ろへ流せ』
涙など流さないほうがいいに決まってる。
先日発売の「ダヴィンチ」、中島特集を掲載しています。
どうでもいいけど、Vistaって使いづらい。(泣)

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2007.09.08

Dellにさよなら

Dell_pc

先日の帰宅電車でのこと。
ホームに到着した電車がそのまま折り返すので、当然車内の客は降りる。
その下車する客を待って、それから次の客が乗り込むのだが、私が座った向かいの女性は一向に降りる気配がなく、開いた本に夢中になっている。本の表紙がこちらを向いているのでタイトルが確認できた。
「四日間の奇跡」、それがそのタイトルである。
まるでその「四日間の奇跡」にのめり込むように、あるいは「四日間の奇跡」に埋没でもしているかのように、ピクリとも動かない。この女こそが奇跡のようだった。暑い夏が延々と続いているから、こんなふうな奇跡の女が一人くらいいたって悪くない。
彼女はこのまま三宮まで引き返し、そしてまた梅田までやってくる、この繰り返しをどれだけ続けるのだろう。
どうでもいいことだけど、やはり奇跡的な女には違いないようだ。

この奇跡的な女が残暑にやられているように、私も夏の名残の灼熱にやられ、帰宅途中に立ち寄った電機屋でパソコンを衝動買いしてしまった。
VAIO、何も調べずにキーボードを叩いていたら店員がやってきて、
「本日は決算前の大特売です」
という。
特売という言葉にはいつだって敏感に反応する弱い人間だから、気がついたら値札を指差し、
「この端数、これなんとかならないの?」
と口走っていた。
店員が計算機を叩き出し、今夜限りの大特売と書かれた値札から、さらに2%を割り引いてくれた。
「お客さんには敵わないなあ」
浪速の商売人には負けてはいられないのである。

今そのパソコンの環境を整備している。
6年ほど愛用してきたDellからいろいろなソフトをシフトし、悪戦苦闘を強いられ、頭に血が上っている。危険ですから近寄らないでください状態なのである。この男、凶暴につき状態なのである。
いつになったら終わるのか、昼飯も食べていない。
そんな状況をおもんばかってか、長年連れ添ったDellのCDドライブが大きな音とともに勝手に飛び出し、マウスポインタが言う事を利かなくなり、終いには繋いだBOSEの片方のスピーカーから音が消えた。
私の衝動買い、意外とよいタイミングだったのかもしれない。
「そんなあなたが悪いのよ」
そっとDellに呟いてみる。
「わたしゃ売られてゆくわいな」
まるで都都逸の世界なのである。
女との別れがつらいように、PCを袖にするというのもどこか切なく、男としては気が退けるものなのである。

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2007.09.01

大トロに泉州茄子

Nisiumeda4

9月になった。長月。なにもするでもない長い月の始まり。
そして来月にはそんな長月に愛想をつかし、神が姿をくらます神無月。
どうでもいいけどバカみたいに暑い日はつづいている。暑さの中でおぼれてしまいそう。エアコンは回り続ける。

二日酔いの重たい頭に渇をいれ、朝刊をパラパラ。
高砂親方の暑苦しい顔。社会面である。
「戻ったら会見しないと」
その見出しである。朝青龍がそう言ってるらしい。
どうもこの方、そのまま戻ってこないような気がする。
大相撲の世界は厳しい。本人がまだやると言ったって、親方が廃業届を協会に出せばそれで終わり、朝青龍は消えて無くなるのである。反論の余地無し。欠席裁判。モノノアワレ。高砂親方のお顔はいつだって暑苦しい。

ズボンとシャツをクリーニングに出した。
向かいがクリーニング屋だから簡単なものだ。
ついでに紹介すると、その隣が薬局で、反対隣がブティック、居酒屋、鮨屋とつづき、そしてマンションの1階が泌尿器医院で、その下の地階がスナックにちゃんこ料理屋だ。この見事さはどうだ。美しい日本のわたし。泣けるじゃないか。
Yシャツを二、三枚手に取って点検し、その二、三枚をダンボールに仕舞いこんだ。大分疲れ切ってきたので、次の資源ゴミの日にでも処分する。こちらは正規の手続きをとった廃業届。合掌。

見事なことといえばラジオが凄い。
ポッドキャストのために、カセットテープを聴くことが出来ればいいだけのラジカセを買ったのだが、これのチューニングが思うように行かない。3千円で釣りが来るような代物だから、ダイヤルを必死になって、ゆるりゆるりと、おそるおそる合わせてみるけど、なかなか合わない。大阪の局も神戸のKissFMもガンとして受け付けない。ユーミンの声がとぎれとぎれに、そして喘ぎ喘ぎ断続を繰り返してる。頑固というか、昔のゲルマニュームラジオのごときなのである。強かな女のごときなのである。性悪女、降参。
PCだって負けてはいない。起動に5分は要する。
ラジオにPC、こちらの方はまだまだ廃業届を出すというわけには行かない。

函館からマグロのトロが届いた。
松前沖で獲ったマグロをその場で解体し、即売してるのを買ったらしい。
松前と大間は津軽海峡を隔ててすぐだから、これは大間のマグロといってもいい。二日酔いで頭が重いけど、これはすぐに戴きなさいといってるに違いないので、生ワサビをおろし、冷えたビールで戴いた。
冷蔵庫の中には買い置きの泉州茄子(なすび)があったので、これもついでに手で裂いていただく。マグロのトロに冷えたビールに泉州茄子の揃い踏み。有り難きかな我が休日である。

これやこれ江戸紫の若茄子    宗因

江戸紫ではないけど、泉州茄子の紫も色鮮やかだ。
「これやこれ」と、我が魂も舞い踊っている。
残暑になんか負けてはいられないのである。
ちなみに上の写真は・・・。
もう説明はいいですね。(笑)

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2007.08.29

レッドソックス

Nisiumeda3

最近、仕事でいろいろな人と会う。
そしていろいろなことを訊かれる。
例えばこんなこと。
「野球、どちらのファンですか?」
「ええ、レッドソックスです」
「・・・」
「松坂の・・・」
相手は苦笑いして、その先は語らず。
多分、タイガースって言って貰いたいんだと思う。
ところがどっこい、レッドソックスなのである。(笑)

今日は和歌山市に行ってとんぼ返り。
サザンという特急に乗っての帰りの車中、車窓ののんびりした景色を見ていたら急にサイモンとガーファンクルが聴きたくなった。どういうわけか、まるでアメリカ的ではない風景なのにサイモンとガーファンクルなのである。
ipodをバッグから取り出し、スイッチを押す。
「ミセス・ロビンソン」に「スカボロー・フェア」、そして「ボクサー」に「明日に架ける橋」。
いろいろな思い出の映像が、車窓の向こうの山間の景色にオーバーラップされて流れてゆく。
「ご出身はどちらですか?」
「函館です」
「どうりで・・・」
何がどうりでかは解らないが、どうりでなのである。
いろいろなことを訊かれるというのも悪くはない。
明日は美濃の稲葉山城に出張です。
斎藤道三に濃姫、信長の亡霊だってでてくるかもしれない。(笑)

上の写真は、もうここではすっかりお馴染みになった(笑)、JR大阪駅桜橋出口から地下鉄四つ橋線西梅田駅に向かう途中にある、連絡通路の壁画です。
これも結構気に入ってる。
そろそろ夏も終わりかなあ。やれやれだ。

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2007.08.27

阪神競馬場

Hanshin2

昨日、何を血迷ったか阪神競馬場に行って来た。
『そうだ、京都行こ!』
のコピーじゃないけど、
『そうだ、競馬場行こ!』だった。
宝塚にある阪神競馬場、久しぶりだった。

神戸に震災があって、その年に赴任してきて、「ガンバロウ神戸!」を歌いながら、何故か休日ともなれば足は阪神競馬場に向いていた。とにかく、歩いて5分という環境がポンと背中を叩くのだった。
その時と比べて何も変わっていないから、その変わっていない分だけいろいろ思い出すことがたくさんあった。
競馬場のターフはやはりいい。

「お客さん、転勤ですか?」
宝塚市役所で住民票を移し、新しい住まいに向かうタクシーの中で運転手が訊いてきた。
「こんな震災後に、非道いことをするもんだ」
確かに非道いことをするもんだと思った。
ただそれは、前任地の釧路を発つときまでの話で、市役所から宿舎に向かう車中、ワッと飛び込んできた白鷺が羽を開いたような阪神競馬場を目の当たりにしたとき、その気持ちは何故か吹き飛んでいた。
「これ、傷んでないの?」
「競馬場?」
「ええ」
「いくらかは傷んでるらしいけど、そこはお国が金かけてるから」
お金をかけてるからそう易々とはやられるはずがない、運転手はそういいたかったのだろう。

夫婦二人の宝塚での新生活は、水ホースを買うところから始まった。
4階の部屋のベランダのガラスは破れていて、その破れたガラスの代わりにダンボールが貼ってあり、そして閉めきらないアルミ戸を通して黒いゴムホースが室内に引かれていた。
その1本のゴムホースから頼りなく水が流れ、われわれは用を足した後、あるいは浴槽の水張り、そして炊事洗濯の時などこのホースを縦横無尽に操ったのである。
これではいけないと思い、三方向に分けられる器具とホースを買い求めに走った、それが新生活のスタートだったのだ。

正面スタンドの右端に、芝生でできた小高い丘状の観覧場があり、大抵の場合、われわれはそこに横になってビールを飲み、場内にあるファストフーズ店で買ったハンバーガーなどを食べたりした。
歓声を気にすることもなく陽を一杯に受け、のんびりと、まるで牛にでもなったかのように寝そべってはビールを飲んだりした。サラブレッドの駆ける蹄の音だけが心臓の鼓動のように届いた。震災があったなんて嘘のようだった。
そして一際高い歓声。妻がいきなり駆けだして行く。わたしはポケットからそっと馬券を取りだしてみる。そしてさらに一際高い歓声。

一人そこに横になり、天を仰いだ。
夏雲が形を変えて崩れかけている。
ここは阪神競馬場。
『そうだ、競馬場行こ!』
開催は間もなくです。

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2007.08.26

春日野

Daimaru16f

昨夜、ひとり日本料理屋で食事をした。大丸の16階にある夜景が臨めるお店。案内された席がちょうど良い具合に正面がガラス張りで、夜景がきれいだった。外で夕食を取るなんて滅多にないことだが、なんとなくこの16階というやつが気になっていたのだ。
ちょうど向かいが阪神デパートで、その屋上がビヤガーデンになっていて、ビールジョッキを空けながら虎ファンが騒いでいる。面白いのでデジカメを向けシャッターを切るとストロボが光った。
慌ててストロボ無しにし、月曜の出張で使う書類を引っ張り出し、目を通す振りをして、そしてデジカメのシャッターを切る。隣の女性二人連れが、職場のことを愚痴ってる。もう一方のお隣では年輩の男が若い女を口説いてる。
16階というのも悪くはないが、夜景を見ていても、大阪は大阪なのである。

Tsukihitei

運ばれてきた料理です。“春日野”というらしい。
すぐに飯というわけにもいかないのでお銚子を注文し、刺身などをつまんでみる。天麩羅をつまみ、豆腐を頬張っている頃には職場の愚痴は佳境に達し、男の口説きは加速してきたようだった。
ビルの谷間を車のヘッドライトが流れてゆく。何もかもが平穏な、そんな終わりなのか始まりなのか判らない一日が妖しく蠢いてゆく。
“春日野”という名が恨めしい。
ここは大阪キタの街。思えば遠くに来たもんだ。(笑)

続きを読む "春日野"

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2007.08.22

ああ、栄冠は君に輝く


第89回高校野球選手権閉会式 ~栄冠は君に輝く~


甲子園の外でやってた熱闘甲子園ライブ

栄冠は君に輝く

(作詞:加賀大介 作曲:古関裕而)

1.雲は湧き 光溢れて 天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ
  若人よ いざ まなじりは 歓呼にこたえ
  いさぎよし 微笑む希望 ああ栄冠は君に輝く

2.風をうち 大地を蹴りて 悔ゆるなき 白熱の 力ぞ技ぞ
  若人よ いざ 一球に 一打にかけて
  青春の 賛歌をつづれ ああ栄冠は君に輝く

3.空を切る 球の命に かようもの 美しくにおえる健康
  若人よ いざ 緑濃き しゅろの葉かざす
  感激を 目蓋にえがけ ああ栄冠は君に輝く


Iwamizawa Kousien1

Stand3 Eikan

Beer Soto

高校野球にはやはりドラマがある。
あんなに劣勢だった佐賀北が、ほんのわずかのチャンスで逆転勝ちした。
広陵のベンチ側である1塁外野席で私は呆気にとられてしまった。
誰しもが広陵の勝利を信じて疑わなかったその瞬間、ドラマは始まった。
決して不調ではなかったはずのピッチャーが満塁でフォアボール。そして信じられようことか、次の打者に満塁ホームランを喰らってしまったのだ。
一瞬の出来事だった。1塁側応援席はため息と伴に呆然とうなだれる者たちで騒然となった。
その向かいのアルプス席からは怒濤のような喚声が響き、球場全体を揺るがし、巨大な渦となって1塁アルプスをたちどころに飲み込んでしまう。なんというドラマの演出だろう。

栄冠は君に輝く。
この大会歌を聴きたくて最後まで残った。
ブログをひもとくと、2005年の駒大苫小牧の2回目の優勝時にも同じようなことを書いている。
今回はあの時と違って、冷静に聴くことが出来た。そしてついでだから、ipodでボイスメモしてみた。
甲子園の雰囲気だけでも届けば嬉しい。
2007年夏、これでほんとうに終わりです。
それを告げるかのように、稲妻が窓に光り、雷が鳴り響きだした。

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これで最後

Nisiumeda2

私の最期ではありません、甲子園です。
いよいよ泣いても笑っても今日でお終い。お仕舞いともいう。
3年も連続して甲子園の決勝を観てるのだから、今日も当然観に行きます。
なんとなく勢いで佐賀北のような気がしますが、今までのピーンと張った緊張の糸がプッツりと切れてしまわないか、ここが天下分け目の関ヶ原、本日決勝のポイントと見てますが如何でしょう。
いずれにしても、悔いのない試合をやって貰いたい。
甲子園で飲む冷えたビール、これは間違いなく今日でお別れです。(笑)

上の写真、勿論、横尾忠則のイラストではありません。
もうここではすっかりお馴染みになった(笑)、JR大阪駅桜橋出口から地下鉄四つ橋線西梅田駅に向かう途中にある、連絡通路の壁画です。
これもなかなか気に入ってます。

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2007.08.21

なんだ・こりゃ

Bunsyun

うだるような暑い日が続いている。
家でゴロリと横になり、レースのカーテンを揺らして舞い込む風を感じながら、買っておいた文藝春秋を開き、平成19年度上半期の芥川賞授賞作品などを読んでみた。諏訪哲史の「アサッテの人」、それがその作品である。
タイトルにまず驚き、そして読み出してみて、さらにその内容の奇抜さに腰を抜かした。
「なんだ・こりゃ」、これは向田邦子さんのエッセイだが、読み始めから終始一貫して私の思いはこの「なんだ・こりゃ」だった。選考委員の選評が気になり、読後に拾い読みしてみると、石原慎太郎が同様に躓き、「文学の、言葉の不毛」として怒り心頭、小説のなんたるかを説示していた。例えばこんなふうに。

 大体、作品の表題がいい加減で、内容を集約表現しているとも思えない。自分が苦労?して書いた作品を表象する題名も付けられぬ者にどんな文章が書けるものかと思わざるをえない。曰くに『グレート生活アドベンチャー』、『アウラ、アウラ』、『わたくし率イン歯ー、または世界』、『オブ・ザ・ベースボール』、『アサッテの人』。いいかげんにしてもらいたい。

もともと芥川賞は小説家の登竜門としてあるのだから、新人が新人らしく新しい試みを、あるいは桁外れの冒険をするのは一向にかまわないが、それでもこの「アサッテの人」はやはりどうも私には「なんだ・こりゃ」なのであった。同時にこの作品の授賞を決定した選考委員の勇気、これはこれでやはり私には「なんだ・こりゃ」なのである。
「なんだ・こりゃ」なので、私には悲しいかな、この作品にコメントすることは勿論、筋書きなどについても触れることは躊躇われる。つまり、何から何までまるで「なんだ・こりゃ」なのである。これは小説を埋葬する小説を装った評論なのかも知れない。興味があれば、是非とも書店で文春の立ち読みなどをしてはいかがだろう。
そしてその後、以下に引用する向田さんの「なんだ・こりゃ」を御吟味下さい。(笑)

 今から十年ほど前のことだが、新宿コマ劇場のそばでお酒を飲み、二、三人の友人と連れ立っていい機嫌で歩いていたら、地下の穴ぐら酒場のようなところでアングラ舞踊団が公演をやっているのが目についた。(中略) やがて、フイゴのような女のすすり泣きが聞こえ、一隅にうすいあかりがともった。
 吹雪の中を、白い市女笠、白い衣装の旅支度の若い女が、難渋しながら歩いてゆく。どうやら彼女は花嫁で、たったひとりで遠い土地の見知らぬ男のところへ嫁いでゆくところらしい。花嫁は真白い化粧で死人(しびと)のようにみえる。
 風と雪にさいなまれ、肌もあらわになった花嫁は突如あらわれた男に手ごめにされる。舞台は暗転すると、天井からするすると格子がおりて女郎屋となり、赤い襦袢をかきあわせた女が、客席に向かって、格子の間だから手を突出し、客を引いている。その化粧は、さっきと同じく、真白い死人(しびと)の顔なのである。
 こういったことを、おどろおどろしい舞踊劇でやるわけだが、このとき、男の声があった。
「なに、やってんの」
酔った初老の男であった。
(中略)
 冷やかすとか、わざと面白がって言っているというのではなかった。本当に、一体なにをやっているのか、見当もつかなかったのであろう。
(中略)
 感心して見ているフリをしているけれど、どこかに少し無理をしているものがある。それを、素直に言いあてられて、ほっとするというか、急に力が脱けたというか。(中略)
 女郎役の女優は、みなさん痛々しいほどの熱演であったが、一度温度の下がった空気はもとへもどらなかった。結局、耳に残ったのは、吹雪の音でも女の叫びでもなく、
「なに、やってんの」
という男の声であった。
 新しい音楽。新しい衣装。新しい考え方。正直いって、よく判らず、いいとも思えないのだが、そう言うと、オクレているようで気がひける。
「なんだ・こりゃ」
「なに、やってんの」
 素面でこう言う勇気があればいいと思いながら、つい物判りのいい顔で笑っているのである。
(向田邦子著「無名仮名人名簿」中『なんだ・こりゃ』より)

判らないものは判らない、それでいいのだろう。
石原慎太郎の本音も、そんなところにあるのだろうとひとりほくそ笑んでいる。
新人賞が氾濫している昨今、直木賞がプロ作家としての認証みたいな色合いがあるのに比べたら、この芥川賞というやつ、もうすでに使命を終えたようにも思えなくもないのだが・・・。

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2007.08.18

素麺汁

Nisiumeda

今朝起きてコンビニへ朝刊を買いに行き、横になって気になる記事に目を通し、うとうとしながらそのまま寝込み、目が覚めたらお昼を回っていた。
昨夜遅いこともあったけど、とにかく眠たいのである。
こんなに気温が高い日が続いているから、とにかく休め、脳が身体にそう命じているのかも知れない。
別にやることもないので、そのまま横になっていたらまた眠ってしまった。
時計を見たら2時半だった。
まるで今晩の24時間TVを観るのに備えているようだ。

24時間TV、今年は欽ちゃんが走るらしい。66歳、お元気なのである。
完走できるかなと思っていたら、朝刊にお節介な記事があった。
禁煙普及を進める医師等でつくる「日本禁煙学会」なるところが欽ちゃんに助言してるというのだ。
「医学的に見て極めて非常識」
これが「日本禁煙学会」の助言である。
つまり、そのような暴挙はお止めなさい、そんなところだろう。
欽ちゃんはヘビースモーカーらしいのでその身体を案じてのことなのだろうが、当の欽ちゃんにしてみれば大きなお世話のなにものでもないだろう。出鼻をくじく、まさに欽ちゃんは出鼻をくじかれてしまったのである。
ここまでくるのに、トレーニングやら健康管理やらで相当な準備をしているのだから、止めろと言われても応じられるわけがないのである。非常識もまた常識である。
こんな余計とも思える助言を流し目で読みながら、私はくわえ煙草である。

素麺を茹でてみた。
昼もとっくに過ぎているというのに遅い昼食である。
そのまま食べるのもよいが、ここは冷ました八丁味噌で作った汁の中に具と伴に泳がしていただくのも良いと思い、味噌を探していたら、冷蔵庫の中から半ば固くなった、岡崎の八丁が出てきた。
半ば固くなったと書いたが、手に取ってみると半ばどころではなく、カチンカチンの、まるで石のように固い八丁だったが、私は根気よく、これを湯で懸命になって溶いた。(笑)
具は残り物の野菜が主だったが、出来上がってみたらこれはこれでなかなかの素麺汁だった。味噌は偉大なり。それにしても恐るべきは三河の味噌である。私の健康管理はすべて味噌で成り立っている。
まるで関係ないことだが、つい秀吉の母である大政所を思い出す。味噌と秀吉と大政所。新説でもご披露しようか。(笑)

上の写真は、JR大阪駅桜橋出口から地下鉄四つ橋線西梅田駅に向かう途中にある、連絡通路に飾ってあるポップアートらしきもの。
通路の両側の壁にこのような絵が描かれているが、アーリーアメリカンぽくって気に入っている。
特に気に入ってるのがこれ、今にもこの女性の後に続きそうになってしまった。(笑)

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2007.08.12

午後のひととき

Pm_0300

昨日の甲子園から一転して、今日は主夫だった。
洗濯をして、そして布団を干した。
シーツやタオルケットは熱風であっという間に乾いてしまう。
布団を取り込み、ベッドメイクを終え、あまりにも暑いので冷蔵庫からビールを出す。エアコンはフル回転だ。
いかり豆。こいつをアテに喉を潤してると、iTunesからは中島みゆきが歌い出す。北の国の女にゃ気をつけな。勿論だ。
ビールを飲みながら、いかり豆を食いながら、昨日の電車の女を思い出す。

女は泣いていた。
ツレの男が何やら話しかけてるが女は黙って泣いている。ハンカチを口にあて、ただ泣いている。
向かいに座ってる少年が、隣の祖父らしい男になにやら話しかけている。
「何故、泣いてるの?」
そんなところかも知れないなと思った。
それを気にするでもなく、女はやはり泣いていた。
僕は女よりは、その少年の方が気になり、そしてじいさんが気になった。
僕がじいさんならなんて答えるだろう。
「なんか、悲しいことがあったんだろう」
多分、これじゃ答えにはなっていないだろう。
「大きくなればわかるよ」
これでは少年を困惑させるばかりだ。
僕は苦笑した。
甲子園で汗を拭いた黄色いタオルを口に押しあて、恥ずかしい気持ちになって苦笑していた。

ああ、待っても春など来るものか
見捨てて歩き出すのが習わしさ
北の国の女にゃ気をつけな
(中島みゆき「北の国の習い」より)

何故か北の国の女を思い出す。
いかり豆が無くなった。ビールもすでに空になっている。
「誰だって泣きたいときはあるものなんだ」
これが僕からの少年への答えだ。
あいかわらずエアコンはフル回転だ。
夏は終わったというのに・・・。

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夏が終わった

Komatoma

駒大苫小牧、残念ながら負けました。
私、自慢じゃないですが、この駒苫の甲子園での試合を4年間見続けています。
4年前は楽天に行った田中君が1年生で、このときは2回戦から決勝までをすべて、そして翌年も2回戦から決勝戦まですべて観戦し、そして昨年も1回戦を除き、決勝までの全試合を観ているのです。
どの年も1回戦を観なかったのは、多分、負けるだろうと思ったからで、ここを勝ったらご褒美に観戦し続けてやろう、そんな星一徹のような心温まる親心なのです。(笑)
そして結果はすべて決勝まで行った。
ところがそのジンクスを破って今年は1回戦から応援に行ったものだから、神は我を見捨てたというか、惜しくも負けてしまった。なんとも皮肉なことです。やはり1回戦は行かなきゃよかった。(笑)
ただ、北海道なんてどのチームが甲子園へ行っても出ると負けで、甲子園のお荷物といわれた時代を考えたら隔世の感があります。

嫌な予感はすでに試合前にあった。
甲子園駅を降りてチケット売り場まで歩いて行くと、アナウンスが繰り返し流れていた。
「1塁側アルプス席は間もなく売り切れです」
そんなバカな。決勝戦でもあるまいし、売り切れだなんてそんなアホな・・・。
長蛇の列に混じって並び、さて次は自分というところで、チケット売り場の小さな小窓が無惨にもガシャっと閉じられてしまったのだ。いまどき、あんなにも無愛想な対応はどこの役所でも見られない。売り切れですの一言もなくガシャんである。関西の女は冷たい。泣くに泣けないというか、今年のタイガースの優勝はないぞと腹の中で呟いてやった。(笑)
仕方がなく1塁アルプス席に近い外野席を確保し、まだ続いているらしい第三試合に目をやると、これがなんとも凄まじい展開になっていた。
私の第二の故郷である富山代表の桜井高校が敢然と東福岡と闘っていた。
9回まで2点リード、このまま逃げ切るものと思いきや、ああ、無情、土壇場で同点にされ延長戦。檄を飛ばそうと思ったが、運悪く、1塁外野席は東福岡ではないか。ああ、無情。この焦れったさといったら例えようがない。
そしてついには逆転負けのオマケまで付いているのだから、これは幸先いいわけがない。

かくして不吉な予感が的中し、駒大苫小牧は甲子園を去っていった。
そして私はチケット売り場のお姉さんを恨み、周囲を東福岡に囲まれてしまった我が身を悔やんだ。ついでにタイガースの今年の優勝がないことを確信したのである。(笑)
勝者がいれば敗者がいる、あたりまえのことなのだ。
でもこのチーム、試合もそうだけど、試合前の練習でも光るものがあった。
関西の野球好きが駒苫アルプス席を埋め、その外野席までも中学、高校の球児らしい生徒達が何かを掴もうと大挙してやってくるのだからそれが解るというものだ。
贔屓目にいうのじゃないけど、少なくとも1塁外野席に陣取った関西人は、これすべて駒苫が楽に逃げ切るものと暢気に観戦していた。広島相手にである。
カクテルライトに照らし出される両チームの選手達を見ていて、ああ、いい時代が北海道にもやってきたんだなと、ほんの少しだがセンチになったりしてビールを煽っていた。自分が生きている時代にこんなことが起ころうとは、私の余命もそろそろなのかも知れないのである。(笑)

ただこの試合中、途中からお隣に坐ったアベック、これがどうも・・・。
駒苫が点を取ればワーっと歓喜し、広陵が点を入れると思いっ切りバンザイだ。いい時代が北海道にもやってきたんだなという私の感慨は粉々に吹き飛び、残りわずかな余命は運良く長引いたようなのであった。
無料の外野席、たしかにデートの場としては最適かもしれない。
どちらが勝とうが負けようが、そんなことはどうでもよい。この両チームはわたしたち二人の愛のために精一杯の戦いを見せてくれている。ああ、なんとも素敵な演出ではないか。
どちらもガンバレ!
「あ、どうしてそこでエラーするん。あかんなあ、まったく」
「あ、なぜ走らんの、もうひとつ先の塁を狙え! ああ~~」
「よっしゃ、これで勝ちが決まりや! バンザイ!」
「え、セーフ? アウトやんかアウト。審判、どこ見てんだか。ああ~~」
「あかん、あかん、それ振らな勝てへん!」
「やった、やった。バンザイ! バンザイ!」

これが正しい、正統派の高校野球の観戦なのかも知れない。
いずれにしても、私の夏は終わったのである。(笑)

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